天聖経: 第95話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第四篇 真の人間

第二章 人間の責任分担と堕落

 第一節 人間の成長と責任分担 34-44

第二節 人間の堕落 1-4

責任分担が重要な理由

34 神様は、すべての生命の中心であると同時に、愛の中心です。もちろん生命も愛の中心であり、愛も生命の中心です。神様は人類が苦痛を受けていることを知りながらも、なぜ幸福な人類になるように導けなかったのでしょうか。少し考える人は、「何らかの絶対的な神様がいらっしゃるならば、どうして全世界の人類が歴史を通して時を問わず、受難の道を行かなければならず、理解できない道をさまよいながら、手探りして行かざるを得ない運命に置かれているのだろうか」と言うでしょう。このようなことを見るとき、愛の神様は存在しないと速断しやすいのです。

 

35 悲惨な復帰歴史は、神様御自身がいかなる権力をもってしてもどうにもできません。それは、人間の責任分担の五パーセントが残っているからです。神様がいくら涙を流しても、どうにもできません。この重大な基準は人間が立てなければならないのです。人間には責任があります。それを、今まで人間は分かりませんでした。神様は全能なので、その神様がしようとさえすればできないことはないと考える信者が多くいますが、神様にもどうすることもできないことがあるのです。

 

36 神様は、人間が堕落するとき、なぜ干渉しなかったのでしょうか。絶対的な創造主として認定した以上、完成するまでは人間自身が責任を負うようにしなければなりません。中間で干渉すれば、絶対的な権限の基準が崩れるというのです。神様は偉大な方です。第二創造主の権限を委ねるために、そのようになされたのです。個性真理体になっているため、神様も思いどおりにできないのです。

 

37 人間の責任分担というこの明確な思想的根拠によって、蕩減復帰という最も嫌な、「怨恨」の術語が出てきました。その蕩減復帰路程は、神様も絶対に後援することができず、一人で行かなければならないのです。助けてあげれば蕩減になりません。なぜでしょうか。人間の責任分担という原則があるので、その原則において助けてあげるのは蕩減にならないのです。助けることができたのであれば、人間が堕落するときに神様が干渉して、堕落しないようにしたはずです。責任分担があるので助けられなかったというのです。

 

38 今まで神学者や霊界に通じる数多くの人々が、サタンがいることは分かりましたが、全知全能の神様のみ前に反対するサタンの活動を、なぜ防御することができなかったのかという問題は分からないのです。これは霊界に通じても、問題なのです。神側に行こうとすれば、いつでも必ずサタンが妨害するようになっています。一方ではなく、四方八方から反対するようになるのですが、なぜ神様がそれに干渉できず、制裁を加えられないのでしょうか。このような問題が今も謎です。霊界に通じても、これだけは分からないのです。

ですから、このようになったすべてのことを、サタンによってこのようになった悲惨な事実を、霊界がなぜこのようになり、地上がなぜこのようになったかということを解かなければなりません。それを神様が知っているからといって、教えてあげることはできないのです。それは責任分担がかかっているからです。

 

39 責任分担に責任をもてる人は、本来堕落せずに完成すべきアダムとエバ、真の父母になるべきアダムとエバでした。父母だけが責任をもてる責任分担だったのです。父母が責任分担を果たせずにこのような結果の世界になったため、誰にも責任分担ということを教えられないのです。父母に教えられなかった神様なので、誰にも教えることができません。「統一原理」で言う責任分担という言葉が出てこなかったならば、歴史は解く道がないというのです。

 

40 責任分担ということを知らなければ大変です。責任分担を中心として、ひっくり返すための蕩減路程を歩んでいるという事実を知らなければ、宗教世界の歴史が解けません。これが解けなければ、霊界に行ってもすべてが解けず、すべて残ってしまうというのです。解く道がありません。皆さんは責任分担という言葉を簡単に思うかもしれませんが、途方もない歴史的な福音なのです。

 

41 統一教会で人間の責任分担ということを明らかにしたという事実は、宇宙的な発見です。原子爆弾を発明したこと、アインシュタインが相対性理論を発見したこととは比較にもなりません。それが分からなければ、歴史のすべてのものが解決されないのです。神様と人間の関係、歴史のすべての出来事が曖昧です。正義の人々が歴史時代においてなぜ犠牲になり、なぜ過ぎ去ったあとになってその人々の名が現れるのかという問題は、歴史学者も哲学者も解明する方法がないというのです。

 

42 責任分担を完成したというときには、サタン世界が私の前に現れてはいけません。皆さんの前にサタン世界は現れませんでしたか。これが問題です。先生がこの責任分担を知らなければ、今日、復帰歴史や世界救済、「錦衣還郷(きんいかんきょう)」(故郷に錦を飾ること)や解放圏というものはあり得ないのです。新・旧約の歴史が探し求めて解決しなければならない問題が、責任分担圏をどのように越えるかということです。それが新・旧約の願いです。

それでは、メシヤがなぜ必要でしょうか。メシヤは責任分担圏の上位にいる人です。メシヤと一つになればサタンが讒訴できません。天の権限をもって、責任分担完成圏の基盤の上に、神様の愛に一致した血統圏をもって現れるため、サタン世界が反対できないのです。

それでも反対を受けるのはなぜでしょうか。サタン世界の人をつかんで、死んでも放さないというので、十字架で葬ってしまえと言って騒ぎ立てるのです。責任分担を完成できなかった人は、天国に行くことのできる権限が絶対にありません。サタンの血統を受け継いでいなかったアダムとエバも、責任分担を果たせなかったために、サタンが引っ張っていったのです。

 

43 蕩減復帰がなければアベル圏を探すことはできません。アベル圏を探すことができなければ、父母が出てくる道がないのです。父母を探すことができなければ、神様が理想とする本然の世界を探す道がありません。そのため、すべての人間は個人的責任分担に引っ掛かっており、家庭的責任分担に引っ掛かっています。そして、氏族的責任分担、民族的責任分担、国家的責任分担、世界的責任分担に引っ掛かっています。これを解くことができなかったので、霊界まで地獄と天国に分かれているのです。永遠の霊界までも地獄と天国に分かれているのは、責任分担の問題を解決できなかったからです。そこに人がいるとしても、サタンの人です。神様と何の関係もありません。ですから、責任分担と蕩減復帰は絶対に必要なのです。

 

44 皆さんは、責任分担を一日に何回ずつ考えますか。御飯を食べるときも責任分担、スプーンを握るときも責任分担、スプーンや皿を洗うときも責任分担、トイレに行って大便や小便をしながらも責任分担、歩きながらも責任分担を唱えなければなりません。アダムとエバは責任分担を考えなかったので滅びたのです。皆さんも責任分担を果たさなければ滅びます。私たちは、アダムとエバのように責任を果たせず、堕落する人になってはいけません。復帰して勝利した人になるためには、二十四時間責任分担を尊重し、考えなければなりせん。

第二節 人間の堕落

 

1 聖書の内容を観察してみれば、人類始組が不倫の愛により、悪魔サタンを中心として父子の関係を結んだという事実を否定することができません。神様の血統を受け、神様の絶対的な愛の中で、神様の直系の息子、娘として生まれなければならない価値をもった人間が、悪魔サタンの血統を受けてサタンの息子、娘として生まれたというのです。

 

2 堕落は、どこから始まったのでしょうか。男性と女性の間で堕落したというのは、どういうことでしょうか。聖書の文字どおり、善悪の実を取って食べたのが堕落でしょうか。果物を取って食べたのが原罪になることはあり得ません。異性間で堕落し得るのは、誤った愛しかありません。人間始祖が果物を取って食べた罪によって、その子孫が千代、万代、罪人になり得るでしょうか。それは血統的に罪の根を植えたので、遣伝の法則によって永遠に持続するのです。不倫の淫行関係によってエバは天使長と一つになり、天使長と一つになったエバが再びアダムと一つになることによって、アダムとエバは神様を中心とせず、天使長を中心とした夫婦関係を結んで家庭を築くようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、結局サタンの血統を受け継ぐようになったのです。

 

 

間接主管圏と直接主管圏

3 神様の実体にならなければならず、人類の真の父母にならなければならなかったアダムとエバが、思春期になる前に堕落してしまいました。言い換えれば、秋に良い実を結ぶために春に種を蒔いたのですが、これが秋まで行くことができず、夏に落ちてしまったというのです。堕落とは正に、このように途中で脱落したことを意味します。

 

4 本来、アダムとエバが完成すれば、神様がその完成の位置に入っていって、アダムとエバと一つになるのです。それで結局、霊的な立場と肉的な立場が一つになり、霊肉を中心として神様の愛に連結されなければならないのです。成熟した思春期を迎えていない未成年のときに堕落しました。霊肉が神様の愛と連結されていない未発達の時期に堕落したというのです。そのため、愛が分からずにいます。いが栗はいが栗なのですが、中身のないいが栗の姿と同じなのです。

Luke Higuchi