天聖経: 第94話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、
もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第四篇 真の人間
第二章 人間の責任分担と堕落
第一節 人間の成長と責任分担 19-33
責任分担とみ旨の成就
19 摂理には遂行すべき主体があり、遂行すべき対象があります。主体は神様であり、対象は人間です。その主体と対象が摂理のみ旨を中心として一つになって完成しなければ、勝利の起源を探し出すことはできません。神様は、主体と対象が一つになるようにすればよいのに、なぜそうならないようにしたのでしょうか。それは人間の責任分担があるからです。人間の責任分担があるので、このような複雑な問題が延長されてきたのです。もし人間の責任分担がなかったならば、神様はいつでも勝利の歴史から、勝利の過程を経て、勝利の終着点まで進んだでしょう。
20 堕落した子孫である皆さんには、責任分担圏が残っています。個人的な責任分担を中心として見るとき、個人的な原理結果主管圏で個人完成して神様の愛と連結し、神様と直接的な愛の関係を結べる個人的な直接主管圏の基盤をもったかと言えば、もてなかったのです。蕩減復帰は、サタンを分立するために必要です。サタンを分立しなければ責任分担を果たすことができません。そのため、責任分担の道を歩んで成熟し、十七、十八歳になれば、男性に絶対に必要なのが女性であり、女性に絶対に必要なのが男性であるということを知らなければなりません。
21 神様はなぜ、人間に責任分担の期間を与えたのでしょうか。どうして神様は責任分担という過程を中心として、互いに接近しなければならないようにしたのでしょうか。なぜ、一つの共同目的である創造の偉業完成という課題を完成させるべく、一時を願いながら行かなければならないのでしょうか。それはほかでもない、愛のためなのです。
青年の男女は思春期を迎えますが、霊的にも肉的にも完全に成熟し、花が咲くときが思春期です。思春期は、十八歳を前後して人間に必ず訪れます。その思春期において、霊的な人と肉的な人がいれば、それらが一つになって花を咲かせるのです。万物の中心である人間がその香りを漂わせれば、このすべての宇宙が和動できる、一つの春の季節を迎える環境になったでしょう。その春の季節は、人間の春の季節であると同時に神様の春の季節です。神様が喜ぶ中で香りを嗅ぎ、歌を歌いながら「うれしい」と言うことができれば、そこで初めて、神様の完成的理想生活圏が出発したでしょう。
22 愛の中心は人間ではなく、どこまでも神様です。そのため原理において責任分担の完成は、人間の愛と神様の愛が一つになることを意味します。神様の愛は永遠の愛なので、永遠の愛を中心として相対の位置で一つになるのは、永遠の一体を成就することなのです。そこに分立はあり得ません。
23 アダム一人の責任分担の完成によって、個人の責任分担の完成だけでなく、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担を完成できる基盤が、その一代において築かれます。そうすれば、アダムの子孫は責任分担完成圏に立つため、天の国の直接統治を受けることのできる世界史的な基準に立つようになります。そこには世界責任分担や国家責任分担というものは残っていません。アダム完成とともに世界責任分担が完成します。責任分担を完成することにより、原理結果主管圏と直接主管圏が連結されるのです。
24 直接主管圏と原理結果主管圏が連結されたその道、その接線は愛によって始まります。それが連結されるため、愛によって連結される愛の橋が生じるのです。神様と人間の間に愛の橋が初めて生じるのです。
しかし、責任分担を完成していない場所では、人間と神様の愛に本来の理想的な橋が架かりません。理想的な愛の場は、責任分担を完成するときに成されるのです。
25 直接主管圏とは何でしょうか。愛を中心として初めて主体が生じ、客体が生じて、主体の意図による客体の環境圏が連結されます。そのような世界は、アダム家庭の完成であり、全体の完成です。そこにはサタンも存在せず、今日のような堕落した世界もありません。アダムとエバを造って「責任分担を果たしなさい」と言った場には、サタンがいなかったのです。
26 原理結果主管圏と直接主管圏内でアダムが責任分担を完成することにより、アダムとエバを中心として神様が臨在し、家庭から真の愛の定着基地が始まります。
その家庭は、個人的家庭ではありません。その家庭は、天宙を代表した家庭です。世界を代表した家庭です。世界国家を代表した家庭であり、世界氏族、世界家庭、世界個人を代表した家庭です。
個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、すべて逆さまに代表した立場です。下から天宙、世界、国、民族、氏族、家庭、夫婦になります。この代表になって、ここから愛を中心として天と一つになることにより、この全体が天の家庭に連結された王権時代に前進するはずだったのです。
27 天と地と人が分かれたのですが、どこで合わさるのでしょうか。男性が思春期まで成熟し、女性も思春期まで学んで成熟し、結局は男性を知り、女性を知るようになるのです。ここに来て初めて複数になるので、複数で連結されるのです。そのようにすることによって運動が始まります。この場が統一教会で言う五パーセントの責任分担です。この場は天と地が接する場です。世界が横的に接する場であり、天地が縦的に接する場であり、宇宙すべてが前後に合わさる所です。男性と女性が根源から分かれて出発したので、ここに帰らなければなりません。ですから、皆さんは全宇宙の中心です。最も貴い宇宙の中心をもう一度探さなければなりません。その宇宙の中心を探し求めていく道は、お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。真の愛のほかにはないのです。
28 男性と女性は天宙の圧縮された核です。夫婦が真の愛で愛する所には、全宇宙が引っ掛かってきます。男性と女性は愛のために生まれました。ですから、直接主管圏は縦的なのです。本来、人間は縦的になっています。責任分担を完成することによって縦的な主人が設定され、次に横的な主人が設定されます。それは真の愛によって設定されるのです。
29 原理結果主管圏から直接主管圏に越えていくためには、必ず成熟した位置で夫婦の愛を完成させなければなりません。そのようにすることによって、責任分担が完成します。愛の基準が神様と絶対的基準で連結された夫婦を通して生まれたその息子、娘は、絶対的な血縁です。その基準を目標にして、果たしておかなければならない責任が人間にあるのです。
30 原理結果主管圏と直接主管圏、地上と天上を統一し、心身を統一することは責任分担の完成です。神様と横的な真の父母は一つです。そこにおいて統一された愛、天と地を連結する愛、体と心が一つになった愛、男性と女性が一つになった愛が問題です。統一された愛の基盤を築くことにより、初めて天の愛と天の生命と天の血統が連結され、その横的な拡大が八方に展開することによって王権が生じるのです。
31 神様がアダムとエバに干渉できなかったのは、人間の責任分担があったからです。彼らが蘇生、長成の期間を経て、完成圏を通過して直接主管圏内で祝福を受け、人間の責任分担五パーセントを完成していたならば、すべて終わっていたでしょう。そこから新しい出発、個人的な人生と家庭的な人生が始まり、歴史的なすべての出発において、神様のみ旨が完成したでしょう。そのようになっていたならば、そこから真の愛を中心とした神様の血族となる真の父母が出てきて、真の家庭と真の子女が生まれ、氏族、民族、国家を編成して地上に神様の願った理想実現の国家が形成されたでしょう。それが地上天国です。
32 アダムとエバが責任分担を完遂していたならば、私たちには恨という言葉が残されていなかったでしょう。責任分担を果たせなかったがゆえに、私たちの歴史過程には恨めしい道が残っているのです。もし責任分担を完遂していたならば、人間と天使世界、全被造世界は、喜びと栄光の中で神様の主管を受けることになっていたでしょう。これが原則です。責任分担の未完成によってサタン世界が形成され、この地がサタン主管圏内に残されたのです。この責任分担の未完成によって、神様も苦労の道を今まで選んできているのです。この責任分担は、いかなる時代にも、いかなる個人にも、いかなる民族にも、いかなる世界にも残されています。一個人を見るときも、この責任分担という課題が、自分の生涯を中心として、いつも目の前にあるのです。それが「私」に対して責任を果たすよう追及しているというのです。
33 創造の偉業を経綸したあとの神様は、完成のみ旨を目にすることのできなかった神様です。その神様に侍ってきた人類は、完成を目にすることができないまま呻吟している人類です。それでは、いつ神様の解放の日が来るのでしょうか。いつ人類の解放の日が来るのでしょうか。その解放というのは、責任分担を中心として来なければなりません。そうでなくては、人間が願う理想世界、統一教会が願う地上天国実現は不可能です。
責任分担を完成した位置に立った人間は、神様のように完全な人間です。神様が九五パーセント創造したのですが、人間は一〇〇パーセント完成した創造主の資格を賦与される立場に立つため、人間の完成であるとともに神様の創造の偉業の完成になるのです。創造の偉業の完成であるとともにみ旨の完成であり、み旨の完成であるとともに神様の完成になるのです。