天聖経: 第69話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第三篇 真の愛

第一章 真の愛の根源

第四節 真の愛の力 38-57

38 すべてのものを和合させることができるものは愛です。昔の士大夫(家柄の高い官吏)の家は、両班(特権的な身分階層)の権勢がどれほど強く、権威意識がどれほど強かったでしょうか。その伝統的、道義的な生活法度は、どれほど複雑ですか。その環境では、足も思いのままに伸ばすことができないのです。しかし、たとえそのような家に女性がお嫁に行くようになっても、自分の母親、父親を放っておいて、自分の兄弟をすべて捨てて、新郎のところに行こうとするのです。調和の能力を発揮できる原動力が愛の力だというのです。

 

39 愛という言葉自体は、一人では成立しません。これは、必ず相対的関係を結成することが必要です。二人が一つになるのです。一人が上になればもう一人は下になり、一人が東になればもう一人は西になり、一人が南になればもう一人は北になり、一人が前になればもう一人は後ろになります。どんな場所、どんな環境でも、自然に合わせることができる能動性をもっているのが愛なのです。

 

真の愛は調和と平等の母体

40 真の愛を所有するようになると、すべての悲しみと苦痛も、その真の愛の中では喜びに昇華されます。言い換えれば、この宇宙の個人的な権力をもって、知識をもって、金力をもって主張する以上の、絶対的な権限として残したいのが、人間の本性の欲求である真の愛なのです。

真の愛は、どこから来たのでしょうか。言うまでもなく、宇宙の根本であられる神様の真の愛から来ました。神様もそのような愛を願っているので、そこに由来しているのです。結婚しようとする男性と女性に聞いてみれば、新婦は、「彼が自分よりも立派であってほしい」と言い、新郎も「新婦が私よりも立派であってほしい」と考えるというのです。また、父母は、誰でも自分の子女たちが自分よりもっと立派になってほしいと願っています。そのような心は、すべて神様から来たのです。これは、真の愛を中心として語る言葉です。

 

41 花の色に、あらゆるまだら模様の色があるのと同じように、愛も根は一つですが、それが現れるときに、相対する作用は、千態万象の作用をします。これが愛です。悲しい人に対すれば、その人の心は悲しくなり、喜ぶ人に対すれば、その人の心はうれしくなるのです。相対に合わせて現れるのが愛なのです。愛する妻の表情というものは、夫の背後の暗い背景も、すべて消化することができます。

 

42 神様は、真の愛の呼吸をします。神様も宇宙に拍子を合わせるので、真の愛を中心として宇宙が永遠に続くのです。愛には永生があります。すべて、神様を中心とした一方向です。真の愛は、永遠、絶対、不変の愛です。一度始まれば、永遠に続きます。それが進む時には、波の形や円形になります。波の形で行くものは横的に連結され、円形は縦的に連結されます。上がっていく時にはだんだん大きくなり、下がっていく時には小さくなります。天の側は大きく、地の側は小さくなるのです。神様の真の愛は、永遠なものなのです。

 

43 人間の中で円満な人とは、どのような人でしょうか。女性と毎日のようにけんかする人が円満な人ですか。円満な人は、東側に向かっても、西側に向かってもぶつかりません。頂上を押せば、へこんで他の所が出てくるとしても、自分自体は変わりません。宇宙は丸い形をしています。太陽も丸い形です。すべてのものが丸いのです。

丸いものは、何を中心としているのでしょうか。自分一人では丸くなることはできません。相対的関係があってこそ丸くなることができます。このような関係的実体、関係的領域を集約させる一つの存在物として登場する世界は、円形圏を基盤とするようになっています。ここで、この円形をつくる母体が、調和の母体が、愛の作用なのです。

 

44 人は、愛に酔って生きなければなりません。愛に酔って生きる人が幸福な人です。芸術家は、芸術に酔って生きます。文学をする人は、自分が構想する本を書くとか、ある名作に酔って生きます。そのような人は、幸福な人です。ですから、人間の四肢五体は、立体的な神様の理想的な愛に酔って生きなければならず、その方だけについていかなければなりません。

 

45 愛は、個人の心にも通じ、家庭の真ん中でも通じ、民族の真ん中でも通じ、どこでも主流として進むのです。流れていっても、すべてが歓迎です。それを塞ぐ道はありません。すべて、愛の力に従って関係が結ばれるように造られたのです。ですから、愛の綱に従って宇宙と呼吸して生きた人は、神様の宮殿に行って、思いどおりに門を開いて入っていくことができます。そこにも、神様に侍る至聖所がありますが、その至聖所に行って「神様!」と言えば、神様が「おお、お前が来たのだな!」と言うのです。

 

46 平等という言葉は、愛を取ってしまえば、取るに足らないものです。愛を中心として平等なのです。愛を中心としない平等はありません。それでは、幸福とは何でしょうか。幸福は、愛の端にある一つの実です。幸福は、愛の後ろ側だ、愛の前側だ、愛の頂上だ、愛の足場だという言葉は、すべて正しい言葉です。愛は一つであり、丸いので、すべて正しいというのです。愛なくして幸福がありますか。女性がどれほど美人でも、等しい愛の内容をもった男性がいてこそ、調和があるのです。

 

47 真の愛を中心とする圏内では、どのような差別もありません。水や空気と同じです。愛の力は、水や空気と同じように、いつでも水平をつくるのです。水もいつも水平をつくり、空気も、高気圧が低気圧に流れていって、いつでも水平をつくるというのです。愛も同じです。愛は、すべてのものを平準化します。真の父母を中心として一つの文化、アダム文化世界が出発します。個人から始まって、永遠に霊界まで連結されます。

 

48 愛をもてば、男性と女性は対等になり、愛をもてば、いくら息子が大統領だとしても、その息子と母親は対等になるのです。愛をもったところでは、すべて平等になる内容があります。夫は、外でいくら歩き回っても、家に帰るときには、「私は愛する妻の家に帰る。愛する妻の懐に帰る」と思い、妻は、「愛する夫よ、私の懐に帰ってきてください」と思わなければなりません。それが平和であり、平等です。ここで夫と妻が一つになるのです。夫は、妻の懐に帰ることを願い、妻は、夫が懐に帰ってきて一つになることを願うのです。そこには、低いものもなく、高いものもなく一つです。

 

49 私たち人間は平等だと言うとき、それはどのような平等のことを意味するのでしょうか。本性による愛を受けるときに、本性的に平等圏をもっているということです。何の平等かといえば、愛を中心としての平等です。愛を中心として、最高の平等圏が決定されます。人に最も重要なものが愛です。神様に最も重要なものが愛なので、愛の平等さえできれば終わりです。それで、すべて成し遂げることができるのです。

 

50 宇宙と授受しようとすれば、愛をもたなければなりません。愛でなければ永遠に授受することはできません。「愛は温和で謙遜だ」と言ったのも、永遠に、完全に運動するためなのです。抵抗なく運動するための一つの方法です。温和で、謙遜で、犠牲になれば、どこでも通じます。どこでも抵抗なく行くのです。これは、犠牲ではありません。抵抗なく作用するための一つの秘法は、ために生きて、犠牲になり、奉仕することなのです。

 

51 愛は国境を超越します。神様の真の愛には、国境がありません。五色人種(あらゆる人種)を超越するのです。黒人、白人、黄色人種を差別しません。愛は偉大なのです。愛の流れにおいて環境を意に介さず流れていけば、環境がかえって同化されるのであり、反発するのではありません。そのようにできる思想的な内容を備えてこそ、神様が喜ばれるのです。

 

真の愛は平和と幸福の源泉

52 神様の愛の圏を通るようになれば、春の日の香りが漂う花から、香りという香りをすべて嗅いで酔いしれた気分と同じようになります。また、春の季節の芝生に座っているとき、綿のようなもくもくした雲から、形容することができないほどの何かを感じる気分と同じようになるのです。そこでは細胞が踊ります。ですから、神様の愛は、生命力をもったあらゆる存在の力の源泉であり、幸福の源泉です。喜楽や平和、人生が願うものの絶対的な要件であり、信仰の絶対的な要素になります。

 

53 男性と女性は愛を中心として、絶対的に一つにならなければなりません。一つになれば、どのようになるのでしょうか。争うのではありません。愛の調和を形成しなければなりません。そうすれば、そこに幸福が宿り、平和が花咲き、永遠の天国が広がるのです。そこから永遠の世界が訪れてくるようになっています。

愛を花咲かせなければなりません。愛は万国の幸福の拠点です。ですから、真の愛の世界を編成するようになるときには、万事が保障されるのです。

 

54 人類始祖の初愛の結合は、神様御自身の愛の完成でもあるので、当然、神様もアダムとエバも宇宙万象も、歓喜と祝福の中に酔う、幸福な祝宴の連続でなければなりません。神様の愛と生命と血統が、人間の中でその始原となるものを形成しながら定着する、幸福な儀式でなければなりません。

 

55 愛の主体が満ちれば、すべてのものが満ちるのです。愛がいっぱいに満ちてこそ、すべてのものが満ちるので、無限に与えることができ、真実に与えることができるのです。そこで授受することは、理想の実現であり、理想の繁殖です。愛の世界は、距離を超越します。愛がどれほど速いかといえば、光もついていくことができません。一番速いのが愛です。一番明るいのも愛です。一番完全なものも愛です。一番完全に満ちるのも愛です。居眠りしていた女性も、本当に愛する相対が現れると、花が咲いたようになります。愛だけがそのようにすることができます。その愛は、どのような愛でしょうか。宇宙の主人になる愛、宇宙の中心になる愛、宇宙の源泉になる愛である、真の愛です。

 

56 一時的な目的を中心とした統一は、誰も願いません。統一されたとしても、永遠であることを願うのです。それでは、永遠を中心として一つになる、その要素とは何でしょうか。愛だというのです。愛は、統一するにおいての基盤です。それは、永遠に追求していくことができる幸福の基台になるのです。愛がなければ幸福はありません。愛がなければ平和はありません。愛がなければすべてのものが衝突しますが、愛が充満するようになるときには、すべてのものが和合するようになるのです。

 

57 愛とは、神様が願う標準を前提として語る言葉です。心と心の境界線を打破し、一つに結束させる麹のようなもの、つまり原因であり、動機であり、母体となるのが愛なのです。この愛は、小さいなら極めて小さいものであり、大きいなら極めて大きいものです。愛する人同士は、目を一度まばたきしただけでも、天地がひっくり返るように感じられ、また愛する人が一度にっこりと笑う表情をしただけでも、天地が出たり入ったりするのを感じるようになります。鋭敏ならそれほど鋭敏であり、小さいならそれほど小さく、大きいならそれほど大きく、見えるなら見え、見えないなら見えないのです。その境界線を壊すことができるものは愛しかありません。

 

Luke Higuchi