天聖経: 第68話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第三篇 真の愛

第一章 真の愛の根源

第四節 真の愛の力 23-37

 

23 養蜂の季節になると、蜜を取り出す機械で蜜を取り出します。蜂が蜜を貯蔵する所は穴がぼこぼこと開いています。蜂が冬を過ごすために貯蔵しておいた蜜を、人間がすべて取り出して砂糖水を与えます。砂糖水を補ってあげて冬を過ごさせます。そのように砂糖水だけを飲んでいた蜂が、春になって蜜の味を味わうようになると、正気を保てないほど夢中になります。春に花が咲けば、蜂は花を飛び回りますが、花の中に入っている蜜を見れば、蜜を食べようとお尻を上に押し上げて、頭を下に突っ込んでいます。それをピンセットでつまんで引っ張っても出てきません。力いっぱい引っ張ってお尻が抜けるほどになっても、口を離しません。その蜜の味がどれほど強いのでしょうか。

蜜の味がそうであるなら、愛の味はどうでしょうか。愛の味と蜜の味のどちらがもっと良いですか。神様は、何の味を最も好まれるでしょうか。神様が匂いを嗅ぐなら、どのような匂いを最も好まれるでしょうか。聞くなら、何を聞くのを好まれ、感じるなら何を感じるのを好まれるでしょうか。神様が好まれるものは愛しかありません。神様の五官を集中させることができ、喜びを充満させることができるものがあるなら、それは愛しかないのです。

 

24 愛の光は青いですか。赤いですか。愛の光は、どのような光でしょうか。五色の光です。味も、五味子と同じように五種類の味です。五色の光なので、どれほどきらびやかでしょうか。虹の光は七色になっていますが、これらがすべて混ざると考えてみてください。どのような色になりますか。七色の光を合わせると白光色になります。人間が最も好む色とは、どのような色ですか。神様が創造する時、最も好む色を先につくっておきますか、最も嫌いな色をつくっておきますか。最も好きな色です。早春に咲く花の色は、どのような色ですか。紫色です。紫色は赤い色も入っていて、桃色も入っていて、すべて入っています。ですから、高尚なものは、すべて紫の光です。霊界に行ってみると、最も良い光が紫色なのです。

 

25 男性と女性が抱擁しキスする場面は、平面的な極から愛を求めていく衝突の光が出る場面です。そこに白い光が出れば、色を加えて五色燦然と輝く光をつくらなければなりません。その光が縦的な神様の愛によって混ざるとき、虹の光のような、理想的な燦然とした光明の世界に転換されます。人間の愛の光は、横的な光で、単純な光です。本然の人間は、混合した光、つまり男性と女性が愛で結合した、完全な光を願うのです。そのときに、縦的な愛が降りてくるのです。虹のように、天の愛がこの横的な愛に降りてきます。

 

真の愛は一つにするもの

26 愛の感覚は、一方的ではなく総合的です。

細胞までも、そのような作用をします。「愛に酔う」という言葉があります。ですから、一度酔ってみなさいというのです。酔うようになると、天下に存在するすべてのものを呼べば、返事のないものがありません。流れていく水だけ見ても、千年の間、歌を歌うことができます。そこにおける、甘美なささやきは無窮無尽です。

このようなことを見るとき、人間の価値は、愛を通して宇宙と和親できる主人格です。これを成し遂げることが人間の行く道です。皆さんの心が神様の愛を占領する日には、千年、万年歌を歌い、踊りを踊ることができます。その時は、すべてを成し遂げた時なので、ほかに何も必要ではありません。世の中で、それよりも貴いものはありません。神様の愛を占領する日には、金銀財宝もすべて必要ないのです。

 

27 真の愛は、すべてのものをいっぱいに満たします。神様の目に愛が入っていくと、神様が愛に酔うのです。家庭で父親が愛に酔っていると、母親も喜び、息子、娘も喜び、全体がすべて喜びます。ところが、父親がしかめっ面をしていると、母親も仕方なくしかめっ面になり、息子、娘もしかめっ面になります。また、母親が真の愛に酔っていると、父親もその真の愛に溶けてしまいます。息子、娘もその真の愛に溶けてしまいます。息子、娘が真の愛に酔っていると、母親も溶けて、父親も溶け出します。

 

28 真の愛は万能です。うまくできないことがありません。自分が理想を描くと、理想を描いた相対が現れます。夫の器量が悪くても、愛するようになれば、不器量ではなく、ハンサムに見えるのです。愛の中では、不器量なものも、すべて隠れてしまいます。

私たちは、自分の顔を覚えていません。毎日のように鏡を通して自分の顔を見てはいますが、自分の顔を覚えていないのです。写真を見ながら、「あ、私はこんなふうに見えるのだなあ」と思うのであって、鏡を通して顔を見る時には、そのようなことは考えられません。

考え方によれば、不器量な人の中で最も不器量な人のようでもあり、ハンサムな人の中で最もハンサムな人のようでもあります。また、長細いと思っていたのに、丸くも見えます。愛の目で見るようになるときは、自分のようにハンサムな人はいません。目のすぐ近くに何かを持ってきたとき、それが見えますか。適当に離れていて焦点を合わせて見てこそ、はっきりと見えるのです。ですから、あまりに近いと、感知することができないのです。

 

29 愛は偉大な力をもっています。作男暮らしをする作男だとしても、主人の娘と愛の関係を結ぶようになるときは、作男にすべてあげなければなりません。愛は、極めて低い立場から、極めて高い立場に飛躍できるのです。どれほど強い塀や壁でも撃破することができます。どれほど混乱した世の中でも、神様の愛を体験して感じる人は、飛躍することができます。

アメリカの大統領が、田舎に住む素朴で、無学で、もっているものもなく、不足なことの多い結婚前の女性と愛の関係を結ぶようになれば、その女性は、その日から大統領と同じ立場に同参できる権威を賦与されます。

このように、どれほど低い立場にいたとしても、高い立場に瞬間的に跳躍できるのです。今日、人間がどれほど悲惨であったとしても、神様を中心として、「あなたが父で、私が息子であることに間違いない」という愛の関係を結べば、家の居間を自由に出入りできる特権が賦与されるのです。愛だけがそれを可能にします。

 

30 愛する人に会えば、永遠に花を咲かせたいと思います。爆発したいのです。愛の相対同士が和合するようになれば、爆発を起こします。また、愛は、光明な力ですべてのものを占領します。その力を凌駕できるものはありません。愛には、そのような爆発作用があるのです。存在という存在は、すべて愛の話さえすれば口を開けるのです。すべての細胞が門を開きます。

 

31 愛する人を捕まえますか、博士の学位のある人を捕まえますか。なぜ真の愛を好むのですか。どれほどお金が多くても、私たちの体と心を一つにする力はありません。知識がどれほどあっても、体と心、五官全体を一つの焦点に集めることはできません。目と鼻と耳、すべてのものを一つの焦点に集めることはできません。権力も、そのようにすることはできません。

しかし、愛は、そのようにすることができます。ですから、愛から最高の喜びを感じることができるのです。愛によって霊肉の五感の焦点が合います。私たちには、霊的五感と肉的五感がありますが、この二つの焦点を一つにして爆発的な喜びを享受できるのです。強力な刺激を感じることができます。このすべてのことを否定して、細胞がすべて一つになることができます。真の愛の力は、霊肉の細胞を一つにできるのです。他のものは、そのようなことができません。真の愛が最高峰なのです。

 

32 愛とは、男性と女性を一つにする力です。お互いが完全に愛するということは、彼が私の中にいて、私が彼の中にいることです。あたかも、パウロが霊的な体験をしたあとに、自分が体の中にいるのか、体の外にいるのか分からないと言ったのと同じです。主体と対象を何で結びますか。一人の男性と一人の女性が、ただ適当に会って生活するのは、愛ではありません。

愛によって方向が合い、体質と素質が合うのです。一つはプラスであり、一つはマイナスとして完全な相対的関係になり、「私はあなたが死ぬほど必要であって、あなたは私が死ぬほど必要だ」と言うことができるのが愛です。このように、完全に結ばれて一つになるときには、二つの人格が合わさって一つの人格をもつので、二人以上の価値を現すことができるようになります。そうすれば、より高い次元の世界を建設できる主人になるのです。

 

33 体と心が一つになるのは、お金でもできず、知識でもできません。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、正しい言葉です。習慣性、凝り固まった堕落性を脱ぐことはどれほど難しいか分かりません。歴史性をもち、世界性をもっています。歴史を踏み越えてしまうことができ、世界を飛び越えることができる自覚のある人でなければ、それを征服することはできません。

男性と女性は、生理的に異なり、構成の要素と本質が違いますが、愛では一つになるのです。

 

34 真の愛で和合した体と心の細胞は、共鳴できるようになっています。真の愛でなければ共鳴することができません。共鳴体の音叉は、一方を打てば、同じ振動数でもう一方も響きます。一緒に響こうとすれば、振動数が同じでなければなりません。同じように、私たちの本性の心と、本性の体が、成熟した立場で神様の真の愛の心と完全に和合できる環境的条件が合えば、自動的に動くのです。力が作用するというのです。

 

35 真の愛の共鳴圏に入っていけば、天地がはっきり見えます。お釈迦様が「天上天下唯我独尊」と言ったのはどういうことでしょうか。その共鳴圏の核心に入っていってみれば、天下がすべて私の手の中に入っていて、神様が私の中にいらっしゃり、天理が私と連結されているので、そのような言葉を言うことができたのです。真の愛の共鳴圏に入っていけば、信仰は必要ありません。救世主は必要ありません。解放なのです。

 

36 体と心は、いつ一つになるのでしょうか。縦横が一つになっていれば、天地の大法(法度)によって永遠に体と心が一つになっていたでしょう。私が求める価値の定着点は、愛するときに生じます。男性が男性として生まれた、その価値を決定し、定着できる立場に立つのは、結婚することによって可能です。ですから、結婚しなければ、人に属することもできないのです。愛を知るようになるとき、男性としての完成品となり、女性としての完成品になるのです。愛を中心として完成するのです。

 

37 人が求めるものの中で、最も貴いものが愛です。人間は、貴いもの、貴い人、貴い愛を求めて生きていきます。神様は、始まりも終わりもない愛の中心であり、天地の主管は、一日ではなく、永遠にするのです。貴い万物の中心は人間であり、貴い愛の中心は神様です。神様は、人を求めるために物質を犠牲にし、愛を求めるために人間を犠牲にしてきました。愛は二人が一つになることです!神様は、そのような愛を人間に与えようとされるのです。愛で結んだ縁のない場所ではばらばらになりますが、愛を中心とすれば集まってくるのです。

Luke Higuchi