天聖経: 第67話
オーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第三篇 真の愛
第一章 真の愛の根源
第四節 真の愛の力 3-22
真の愛は授受作用の力
3 人が存在するためには、自分の体から、まず授受の過程を経なければなりません。男性と女性も、相対的要件を備えて、お互いに授受してこそ存在できるのです。もし、男性は女性が必要ないと言い、女性は男性が必要ないと言うなら、百年もたたないうちに、世界はすべて滅んでしまうでしょう。人が存在するためには、つまり授受するためには、相対を必要とするので、今まで男性と女性は、お互いに愛し合って家庭をつくってきたのです。
ですから、愛というものは、授受の作用を起こさせる力なのです。それは、男性と女性が授受する作用の力です。したがって、愛という力の母体が生じるためには、授受する作用がなければならず、そのためには、男性と女性が絶対的に必要です。すなわち相対要件が必要なのです。
4 物質は力で成り立っています。しかし、力はそれ自体だけでは生じません。相対的基準が成立しなければ、授受作用をしないので、力が出てきません。皆さんの体から発生する力も、四肢五体で授受して出てくるのです。授受作用に比例して力が出てくるのです。力がある前に、まず授受作用がなければなりません。授受作用をしようとすれば、どのようにならなければならないのでしょうか。一人では絶対に授受作用はできません。したがって、授受作用をするために絶対的に必要なのが相対です。これは、すべての存在様相の絶対的な要件です。相対がなければ、授受することができません。
5 愛は、愛すれば愛するほど、もっと大きいもので補われます。滅ぶのではなく、興隆するのです。愛なくして興隆する道理はありません。また、愛なくしては永生もありません。ですから、イエス様は、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二・三七、三八)と話されたのです。これは、絶対的に守らなければならない戒めです。愛の関係と、愛の道理においてのみ興隆するのです。
6 真の愛は、度数の限界線と生命までも超えて投入するようになるとき、力が何千万倍も発動するようになります。真の愛を投入して、滅ぶという道理はありません。真の愛を十くらい投入すれば、それが何倍も増加して出ていくのです。真の愛の力は、作動すれば作動するほどどんどん大きくなっていくので、世界を抱き、宇宙を抱き、神様まで抱きかかえる運動が起きるのです。
7 真の愛には消耗がありません。動けば動くほど大きくなります。力学では、入力が出力より大きいですが、愛の世界では、入力より出力が大きいのです。ですから、愛がすべてのものの核なのです。それで、相対に供給しても余るのが真の愛です。供給して不足するということがありません。真の愛は、相対になるそのすべてに分けてあげても余るので、運動をすればするほど大きくなっていくのです。
8 真の愛の関係では、入力よりも出力が大きくなるのです。ですから、歴史の聖人たちは、その時代に迫害されて消えていったのですが、彼らは入力よりも出力が大きくなる真の愛を投入し、また投入し、さらに投入しました。神様もそのようにしたので、宇宙創造が可能でした。投入すれば大きくなります。大きく、大きく、大きく、もっと大きくなるのです。投入する心情圏があれば、生命の存在基台は、永遠に残るのです。
9 作用する世界が、永遠に循環できるように刺激的な力を補充でき、消耗する力を補強し加重する力をもっているのが、真の愛です。ですから、真の愛のみが永存できるのです。人間にとって最も貴いものは生命と愛です。生命は愛によって生じます。ですから、生命をもった人は愛に従っていくようになっているのです。
10 真の愛が宇宙に存続できる生命の源泉だというとき、この宇宙のために低気圧的な立場で与えて、与えて、もっと与えれば、絶対的低気圧の方向から、宇宙は「私」を中心に立てるか、上に上がるようにします。中央の中心になるか、頂上に上がっていくのです。真の愛とは、どのようなものでしょうか。完全に投入し、投入して永遠の零点まで行くようになるときには、宇宙がプラスするというのです。
ですから、その立場に行くようになると、神様が発動していくのです。投入して忘れ、投入して忘れるほど、私を押してくれます。私を押してくれて何度も投入してみると、中央に押し上げられるのです。中央になってさらに投入すれば、地に深く入り込むのではなく、上がっていきます。膨らんでいくのです。中央で何度も運動をするので、丸くなっていくのです。それで、運動する宇宙は球形になっています。
11 愛の相対は永遠なので、永遠にその相対が出てくるときまで投入します。また、相対をもったものも、無限に投入しようとします。自分の根本まで入っていくようになっているのです。神様はそれほど無限なので、その愛の世界で運動するすべてのペアは、永遠性をもっています。ですから、無限で絶対的な神様の愛の対象になれば、永生するのです。
12 神様の愛は、ために生きる愛、ために生きようとだけする愛です。神様が何度も与えざるを得ず、真の愛も何度も与えざるを得ず、お互いが与え合って回っていきます。神様の愛は、そのようなものです。神様が何度も与えようとされるので、この愛の本質も、何度も与えようとして回るというのです。
宇宙はどこから始まったかというとき、回るところから始まったというのです。存在するすべてのものは、回るようになっているというのが本質です。どのようなものが永遠に行くのでしょうか。永遠に与えようというもの、永遠の愛を中心として永遠に与えようとする、その愛が永遠に回るのです。与える力と受ける力が一つになって、何度も与えようとするので、拡大が起きるのです。そのような原則の力があるので、宇宙は生成することができたというのです。
13 愛は、回るための潤滑作用と軌道(修正)作用をします。愛なくしては潤滑作用ができません。自動車も、動かすためには油を注がなければなりません。私たちが運動するのにも油を差します。潤滑作用がなければなりません。何でも、運動しようとするには潤滑作用がなければなりません。最高の喜びの潤滑作用は愛しかありません。それは、根が永遠の神様なので、なくなりません。作用すれば作用するほど発展するようになっています。
真の愛の力は無限大
14 真の愛は、宇宙を包括しても余り、宇宙を通しても余り、宇宙と和合しても余ります。それは、生命の原動力であり、運動の原動力であり、すべてのものの原動力です。そのような愛があるところで、初めて生命の価値があるのです。そのような愛から理想的なものも出てきます。「ははは」と笑っても、それが理想的なのです。わんわん泣いても、愛のために泣くのなら、それは理想的に泣いているという言葉が出てくるのです。それで、人は悲しいときにも涙が出て、うれしいときにも涙が出るのです。ですから、地獄でも、どこでも幸福を感じる力があるとすれば、その一つの力は、ただ全体のために生きようとする力です。
15 不足なものを補充し、不完全なものを補充し、欠如したものを完結させようと、補充するのが愛の力です。その愛は真の愛です。その愛の内容は、全体的なものと個体的なものが異なりません。結果の世界から原因の世界に帰ってくるためには、補強される力の発露がなければなりません。その力の発露が、結果的な人間において衝撃的な力、再び戻すことができる刺激的な力です。
16 皆さんが創造の偉業を相続すれば、真の愛の権限をもつのです。創造の偉業を相続することによって、すべてのものよりも強い真の愛を相続できるのです。真の愛をもてば、できないことがなく、成就されないことがありません。怨讐も愛することができるのです。真の愛の力は、闘いや強制ではなく、自然屈伏させるのです。ですから、これ以上に強い力はないというのです。
17 聖書に、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ17・33)とあります。このような逆説的な論理をなぜつくったのでしょうか。悪の世界と善の世界は方向が違うので、不可避な結論による論理なのです。これは、逆説的な論理ですが、神様の側から見れば、定説的な論理です。このような逆説的な環境を打開し、定説的な論理である真の愛の道を求めていく飛躍の運勢に乗らなければ、私たちに解放はあり得ません。飛躍できる力は、武力でもなく、経済力でもなく、政治力でもなく、知識の力でもありません。ただ、愛の力しかありません。これだけが永遠不変な、正道の近道なのです。
18 愛は、生活と歴史から取り除くことができず、実際の内容を動かしている実体です。そして、社会制度や、すべてのものを動かす内的力の母体です。ですから、教育をする時にも国を愛することを教えます。兄弟愛、父母愛、夫婦愛、世界的な博愛、すべてに愛が入っています。これは、何を意味しているのでしょうか。人類の生活圏や歴史過程を経ながら、愛を求めていかなければ、歴史を連結できる伝統の内容をつくり得ないというのです。
19 真の愛の力は偉大です。どれほど堅くても溶かすのです。この拳よりも恐ろしいものです。どれほど遠く広くても、さっと瞬間的に占領します。壊れないものはないというのです。真の愛は、怨讐までも溶かします。それで、愛を中心とした世界の主人になろうとします。これが人間の最高の希望峰です。
20 真の愛の心をたたくと、体は自動的に響くようになっていて、真の愛で完成した男性と女性になれば、神様が自動的に現れるようになります。その作用は、愛のほかにはありません。そのような作用を現すのが真の愛です。真の愛とは、いったい何なのでしょうか。真の愛は、縦横を連結し、上下、左右、前後を結ぶことができます。ですから、愛は、上では天を結ぶことができ、下では地を結ぶことができ、横では右側を結び、左側を結ぶことができるのです。したがって、前後、左右、上下を結べる力は、愛なのです。
21 人間世界において、蜜蜂が食べる蜜のような味がするものとは何でしょうか。真の愛の味です。それは、堕落した世界に生きている男性と女性の愛ではありません。その愛に接すれば、すべてのものが統一されます。目も一ヵ所に統囲されます。すべての細胞が固くなって一カ所に集まり、一塊になって転がっていくというのです。愛は、そのような力をもっています。無数にある細胞が、一カ所に集まって丸くなるというのです。丸くなって愛の道に転がっていくのです。転がっていく時には、「私」というものがあるのかないのか分かりません。
22 漢方の五味子の味は、万病に効く根源になります。五味子は、薬剤としてたくさん使われています。五味子の五種類の味が合わさって薬になります。愛は、薬の中の薬なので、苦い昧もあり、塩辛い味もあり、甘い味もあり、辛い味もあり、渋い味もあります。愛の味が五味子の味のようだというのです。それで、食べ物の中で最もおいしい食べ物が、五味子を入れて作った食べ物なのです。そのような食べ物は、薬になる食べ物であり、人類が望む食べ物であることは間違いありません。