天聖経: 第66話

第三篇 真の愛

第一章 真の愛の根源

第三節 真の愛の属性 11-25

第四節 真の愛の力 1-2

11 神様の創造の根本目的は、真の愛と、その対象である真の人です。絶対者の神様のみ前で、人間がどうしてその相対的な立場に立てますか。努力や外的な条件でできることではありません。ただ真の愛の関係においてのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の関係を結べば、すぐにお互いに同位権、同参権、相続権をもつようになるのです。

 

12 愛のある人は、永遠の神様を所有した人になります。愛の属性には、相続権があり、同居権があり、同参権があります。愛する夫が大統領なら、妻が小学校を卒業できなかったとしても、愛する夫婦間では夫のものが妻のものとなり、昼夜、いつでも一緒に同居できるのはもちろん、すべてのことに同参できる権限があるのです。愛にはこのように偉大な三大属牲があるので、神様の絶対的な愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様がいらっしゃる所に「私」が手助けすることができ、いつでも同居できる権限をもつようになります。

そのようになれば、私が目をつぶらなくても神様に出会い、神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭する、体恤の世界があるのです。堕落した世の中でも、母の愛は、もし息子が外地で不慮の事故に遭ったとすれば、第六感で分かる場合が多いのです。寝ていたとしても、「あっ!誰々よ」と叫んで、飛び起きるのです。

 

13 堕落した人間だとしても、最も高い立場、最高の栄光の立場を願っています。学のある人ない人、黒人や白人も関係なく、最高の立場を願う人間の欲望は同じです。そのような欲望を充足させるのは、愛しかありません。°

愛は永遠なものです。ですから、神様の愛を所有するようになれば、永生できるのです。神様と対等な立場、同位権の立場に立とうとすれば、神様の愛を所有しなければなりません。

 

14 人間は、神様と愛の関係を結べば、神様と同位権に参席することができます。

愛で一つになれば、同参的権威をもつようになるのです。このように、愛は同参権をもっています。

また、愛は相続権をもっています。ですから、神様と愛の関係をもてば、神様のみ前に立てるだけでなく、神様がもつすべての所有権をもつことができます。人間には本来、神様がもつ、すべての所有権をもてる特権があるので、すべての人間が最高の存在になりたいという欲望をもっているのは当然なのです。

 

15 真の愛を体験した人は、神様の本来の理想的な世界で、神様が願うことを、すべて即刻所有できる能力と権限をもちます。そして、そのような資格は、地上で成し遂げなければなりません。霊人体を中心として肉身が一つになる過程で、神様の愛の接続点が真の愛で成し遂げられてこそ、そのような立場に進むことができるからです。神様の真の愛は、同胞を愛し、世界の人を愛し、万物を愛することによって感じられます。

 

直短距離を通じる真の愛

16 神様は、縦的な真の父母であり、堕落していないアダムとエバは、横的な父母です。真の愛は最直短距離を通じます。人間の愛と神様の愛は、どこに行って合徳(和合)しなければなりませんか。縦横はどこで出会いますか。真の愛は、直短距離で通じるというのです。天から地を結ぶ直短距離は垂直しかありません。垂直は一つです。天地大道の真の垂直の立場に立てるのは、真の愛しかないのです。天地大道のすべてのものを測定できる標準的起源が真の愛であり、その真の愛が通じる直短距離は垂直の一つしかないのです。

 

17 神様の愛と人間の愛は、どこで一つになるのでしょうか。真の愛は、直短距離を通じます。上から来る愛の直短距離は、一つしかないのですが、それが垂直です。真の愛とは、上にいる父と下にいる息子の愛が直短距離を通して接触する道なので、一点の垂直点しかありません。その直短距離の前に、東と西の立場に立った男性と女性の愛、夫婦の愛も、直短距離を通るようになるので、九〇度で交わる水平線しかないというのです。その次に、兄弟の愛も、前後を中心として直短距離を通るので、垂直の九〇度以外にはありません。それでは、この宇宙の中で、神様の真の愛を中心として垂直点を準備できる男性と女性は、どこで会えるのでしょうか。最短距離の垂直点で会わなければなりません。

 

 

18 神様の真の愛は、直短距離を通じます。真の愛は、最高に速く、最高に近い直短距離を行くのです。真の愛が定着できる場がこの地上にあるならば、直短距離の一つの場しかありません。それは絶対的です。永遠なものです。これを、堕落によって失ってしまいました。愛が定着できないで、軸が行ったり来たりするのです。真の父母が真の愛の論理を中心として、天地の愛の哲学を悟って定着させる起点をつくらなければ、この世の中は、愛を中心とする理想の経路を探すことができません。神様の愛と一致して垂直的な愛の前に水平的な愛が来るのです。堕落しなかったなら、男性と女性の真の愛は直短距離を通るので、この垂直の前に九〇度で出会うのです。これが、神様の創造本然的な愛と出会うことができる公式です。

 

19 真の愛は直短距離を通じます。真の愛は直短距離を通じるので、真の愛の速度は最高の速度です。皆さんも、自分が愛する子女が外国に出ている時、子女のことを考えれば、その思いはすぐに子女のところに行くのです。距離を超越します。真の愛の速度は最高速度なので、この膨大な大宇宙を自分の生活の活動舞台とするのです。時間と空間を超越するので、距離感がありません。すべて目の前にあるのと同じです。

 

20 愛の速度というものは、最高に速いのです。愛の行く道は、直短距離を通じるからです。それは世の中の愛ではありません。神様の愛です。神様の愛とは何でしょうか。真の愛です。真の愛の圏内に入るようになれば、直短距離を通じる最高の速度で行き来できるので、宇宙を自分の思考圏内の舞台として活動できるのです。まるで、うそのような事実です。

 

21 愛は最も近い距離を通ります。愛を中心として垂直になるには、愛が直短距離を通らなければなりません。愛する人を求めていく時、近所を訪ねるようにゆっくりとは行きません。矢のように直行します。夜も昼も関係なく、春夏秋冬、いくら歴史が長くても、愛は直短距離を通ろうとします。縦的に最も近い距離が垂直です。最も上にあるものと最も下にあるものが連結して、最も近いところになければならないので、そのようになったのです。

 

22 神様の愛は、どのような愛なのでしょうか。与えてから満足するのではなく、与えてももっと与えたくて、恥ずかしさを感じる心をもっている愛です。与えてから恥ずかしい心を感じる人であるほど、真の愛の主人なのです。父母は、子女に服を着せても、もっと良い服を着せてあげることができないことを、すまないと思います。与えながらも、満足を感じるのではなく、不足さを感じるので、愛を通して、それを補充してあげるのです。

 

23 よりために生きる人が中心になります。よりために生きる人が治め、よりために生きる人が主管し、よりために生きる人に相続が起こります。それが天理です。愛には同参権があります。夜でも昼でも、どこでも同参することができます。自分の息子、娘の部屋に許可を得て入っていきますか。自分の夫人の部屋に許可を得て入りますか。ですから、神様を愛する愛の作用をもったなら、神様がどこであっても同参できるのです。

 

24 真の愛は、愛して忘れてしまいます。記憶しません。善と悪の基準は何でしょうか。悪は与えて利益を受けようとするもので、善は自分のものを与えても忘れてしまうものです。家においても、よりために生きる人が善の側です。ために生きる人は、結局、その家の主人になります。十人の友人がいるとして、その中で一番いい友人は、他のすべての友人のために尽くす友人です。そうすればその友人たちが、ために生きるその友人を中央に置いて侍るようになるのです。宇宙は、そのように相続されていきます。

 

25 主管の本質は愛です。その愛の本質に接する「私」一人の生命要素が、完全に主体の前で対象的な価値をもつようになるとき、その対象の価値は、主体の価値に相当します。その対象の価値は、原因と対等な立場に立つのです。それは、心の前で私たちの体は、いつも対象の価値をもっているということです。私たちの心は、体の前に主体の価値をもっていて、体は心の前に対象の価値をもっています。この二つが合わさって「私」という存在が構成されます。宇宙は、このような関連した関係が結ばれていると同時に、前後の関係、内外の関係、左右の関係、上下の関係で関連しているのです。

第四節 真の愛の力

1 世の中で最も速い作用は、愛の作用です。世の中で最も速度が速いのは電波ではありません。最も速くて、最も驚くほど飛ぶことができる力をもっているのが愛です。この地の果てと、あの地の果てにいる人同士が、お互いに愛するようになると、その地の果てを越えて引き寄せます。愛は、そのような力をもっています。ですから、今日、宗教を中心として、「愛を求めなさい。愛の神様の近くにいなさい。心情をもちなさい。祈りなさい」と言うのは、どういうことでしょうか。愛の世界に接することによって、神様のすべての愛の作用に同伴できるというのです。同伴という言葉は、一緒に参与できるということです。

 

2 東西南北、四方に拡大できる関係をもっているのが愛です。そのように見るとき、前後、左右、上下の関係が、愛を中心として理想的に組み合わさって循環運動をするのです。それは、宇宙が循環運動をするからです。宇宙が回れば、その中にあるものは、どれほど嫌っても、歩調を合わせて回らなければなりません。

それでは、それは何を中心として回るのでしょうか。その中心が軸なのですが、その軸は永遠に変わらないのです。お金も変わり、知識も変わり、権力も変わります。人情までも変わる時代に、永遠不変の軸になるものとはいったい何でしょうか。ただ一つ変わらないものが、正に父母と子女の関係です。動物世界を見ても同じです。父母が子女を愛すること、それだけは永遠だというのです。

Luke Higuchi