天聖経: 第48 話

第二篇 真の父母

第四章 真の父母と真の子女

第一節 真の父母の道 3-15

3 先生は数えの十六歳の時に、普通では考えられない経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈りの中で、イエス・キリストが先生に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、深奥かつ驚くべき多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類ゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして先生に、「地上での神様の役事に対する、特別な役割をしなければならない」と要求されました。その後、多くのことが起きました。先生は、学業を続けながら、聖書を勉強しました。先生は、万民が聞いて知ることができる深奥なみ言をイエス様から受けました。このみ言を人々に教えたとして、先生は何度も逮捕、投獄され、ひどい拷問を受けました。三年間、北朝鮮の「死の監獄」にいました。この監獄では、人々が数ヶ月もたたずに死んでいきましたが、神様は、三年間先生を保護され、また先生を、激しい苦痛の中で生き残るようにされました。

4 先生は、先生自身の家族を伝道したり、彼らに影響を与えたりすることができませんでした。先生自身の兄弟や父母、どの親戚にも、原理について話しませんでした。自分の民族に捨てられたイエス様の立場にいたからです。それで、先生は、一人孤独に、外の世界からそのような人物たちを復帰しなければなりませんでした。先生が外部の人々を復帰して祝福することによって一族を形成し、氏族的な段階を形成した今からは、先生が親戚を伝道して連れてくることができます。

5 先生は、父母も、友も、師もなく、いかなる環境的な生活もなく、孤独な心情だけでした。一人孤独に、悲しい荒れ地のような天地の前で一人心情を整えて、「父よ」と呼び求めるその心とともに涙を浮かべるその立場で、流れてくる風の便りが友でした。朝の東から昇る日の光が心情の友であり、寂しく横たわっているその上が友であり、目に入る自然が友でした。そのようなことを皆さんが感じてみたならば、ここから新しい自我を発見することができ、新しい価値と新しい動機が躍動する決心をもつことができるでしょう。この決心をもって神様の恨みを晴らしてさしあげるために、私だけが伏して祈るのではなく、民族と一族を捧げてでも必ず天にすがって涙を流し、汗と血を流さなければならないのです。

6 祝福を受けることができる民族、祝福を受けることができる地を探し求めてきたのが、今までの先生の立場でした。この道を行くためには、監獄にも行き、凄惨な道も行き、死の道も越えていくのです。怨讐の地は、茫々たる大海です。見渡せば空しかありません。友もなく、同志もなく、兄弟もいません。父母まで排斥するのです。しかし、滅びません。イスラエル民族が荒野で倒れた歴史的な道、ノアが嘆息しながら苦労した道、イエス様の弟子たちが十字架に逆さにかけられてまで天のために生きていった歴史的な悲惨な道を、どうして知らないはずがあるでしょうか。しかし、行くのです。今までは、先生でなければこの世界に責任を負う人がいなかったので、仕方なく冒険の道を尋ね求めてきたのです。

苦難と勝利の路程

7 先生の一生は悲惨でした。長子の特権を探すために出ていき、闘って勝たなければ、帰ってくることができないのです。拳で闘うのではなく、血を吐いて犠牲にならなければなりません。怨讐を愛し、血の涙を流す紆余曲折の道を行き、自分の国と、自分のすべての財産と、自分にあるすべてのものと、自分の国のすべてのものを先生にもってこようとするカイン圏を立てて天の側の長子権をつくり、次子が長子の位置に上がらなければなりません。自分の体はもちろん、自分のすべての財産と自分の国まで、カイン圏がすべて先生にもってくることができる立場になるまでは、長子の立場に戻ってくることができないのです。そこでは、八段階を越えていかなければなりません。

8 歴史路程で真の父母まで行くには、どのレベルまで経なければならないのでしょうか。真の僕がいなければならず、僕の僕から始めなければなりません。十字架を背負った人もいなければなりません。そのようなことを嫌だと思えば、絶対に真の父母が出てくることはできません。罪人の中でも真の罪人がいなければなりません。その道を行かなければならず、橋を架けなければなりません。世の中で一番悲惨な位置から始めて、これを越えられる愛の代表者がいなければなりません。そのためには、愛の十字架の道を行かなければなりません。それが橋になるのです。真の僕から上がっていき、真の養子に上がっていき、真の息子に上がっていき、真のカインに上がっていき、真のアベルに上がっていかなければなりません。その道が、先生の行く道です。先生はその道を行き、闘って生き残り、迫害に対して勝利したので、その橋を架けてあげるのです。ですから、通りでかわいそうな人を見れば、先生がそのような道を行ったことを知らなければなりません。先生が、共産党の怨讐たちに踏まれ、拷問され、蹴られたりするとき、悔しい思いをしましたが、「神様、あの怨讐たちに雷を落として、すべて命を奪ってください!」とは言いませんでした。体から血が流れる立場でも、福を祈ってあげたのです。

9 解放直後、先生が、七年路程を出発した時、その七年路程を中心として国の運命を見つめると、深刻でした。勝利すれば、この国に神様が共にいらっしゃり、誤れば、共にいてくださらないことを知ったからです。七年路程の中で、キリスト教が先生と一つになって手を握るようになっていました。そのようになっていれば、七年路程だけでも、統一教会は世界的に伸びていくことができたはずです。北朝鮮にある共産党もなくなり、この世界にある共産党も、既にすべてなくなっていたはずです。先生は、この七年路程の中で、家庭的な出発をしなければなりませんでした。これは、歴史の希望であり、人類の希望であり、すべての宗教人たちの希望でした。

10 キリスト教が一九四五年に先生を受け入れていれば、七年で世界を一つにしていたはずです。祝福して、地上と天上の門を開き、天国を成し遂げていたはずです。キリスト教は、国を取り戻そうとしたときに、世界と一つになって反対し、世界を取り戻そうとしたときに、天と地、地上と天上が一つになって反対してきたのです。しかし、先生は神様の代わりに守ることができる秘法を通してここまで越えてきて、全人類を祝福しなければなりません。祝福を受けざるを得ません。絶対「性」、絶対夫婦でなければならないのです。

11 解放後に、キリスト教の指導者たちが先生の話さえ聞いていれば、完全に私の手で、七年後に世界を平定できる版図をつくってきたはずです。世界がどうなるということをはっきり知っており、このようにしては滅びるということをはっきり知っていました。それを知らなければ、今日、四十年のこの回り道をしてきたでしょうか。うんざりするほどの回り道でした。それは、父と母も理解できず、兄弟たちも理解できず、すべての人が理解できませんでした。サタン圏内に既に入っていたので、理解させようともしませんでした。そのときからは、荒野へ追い出されたのです。家の隅に捨てた石が、重要な石になったのと全く同じです。使い道がなく捨てられた石になったのですが、そのように捨てた石が、主人にとって重要な石になることを誰が知っていたでしょうか。

12 神様は、天地を造られた王の位置にいたのですが、その権限を、堕落した父母によって失ってしまいました。サタンによって失ってしまったので、今まで王権の行使を一度もしてみることができませんでした。神様を推戴するのは真の父母がすることであって、神様がするのではありません。真の父母でなければ、それを復帰する人がいません。神様が天地を創造した本然の基準である王権を占領したあとに、家庭を収拾し、氏族、民族、国家、世界、地上の王権時代が来るのです。したがって、一度に天地をうんぬんしてはいけません。人間とサタン、天使長が一つになって神様の王権をひっくり返してしまいました。しかし、真の父母が来てサタンを取り除いてしまい、神様の摂理の完成基準、すなわち天上世界と地上世界の地獄を撤廃し、堕落がなかった位置に立って、神様を王権の位置に立ててさしあげたのです。

血の涙の復帰路程

13 先生には、先生がいません。神様も、先生になれませんでした。神様が先生になっていれば、祈る人は、すべて先生になっていたはずです。先生が先生になれたのは、先生自身が先生にしたからです。先生が真の父母になったのは、先生自身が真の父母にしたからです。先生が主人になったのは、先生自身が主人にしました。それは再創造です。神様にできるのであれば、あっという間にしていたでしょう。

14 先生は、十七時間も祈ったことがあります。普通、十二時間以上、夜を明かしながらします。痛哭の涙で綿のズボンがぬれ、それを絞れば水が出てくるほど祈りました。遊び半分や行楽気分で進めてきた統一運動ではありません。それは、血と汗と涙で、血肉を絞って築かれた真理の道です。先生は、悟ったその基準を自ら成し遂げ、勝利した基台は間違いなく成就するのであり、実験して間違いがないと確認したので、教えるのです。先生は、真の父母になるだろうではなく、真の父母になっています。それで、世界に「真の父母と成約時代」を宣布しました。今は、「成約時代の安着」です。天下の何ものも先生の定着基準を侵害できない時代になりました。

15 統一教会の教会員たちが世界で迫害を受けているのに、先生が楽に眠ることができますか。御飯も食べられず、眠れない歳月をどれほど過ごしたでしょうか。共産治下で宣教師が死刑宣告を受けた日を知ってからは、先生が寝ることができるでしょうか、裕福に食べることができるでしょうか。会ってみたことはありませんでしたが、数多くの国境を越えて、み言を聞き、生命を捧げながら、「先生、どうぞ成功してください。私は先に逝きます」と、そのような遺言を残して逝ったということを伝え聞いたとき、肉と骨がどうなるでしょうか。国のないことが恨です。神様の苦難がこのようになることを、誰が知っていたでしょうか。

Luke Higuchi