天聖経: 第41 話

第二篇 真の父母

第二章 真の父母とメシヤ

第四節 真の父母と家庭の救い 5-13

第三章 真の父母と重生

第一節 重生と復帰の道 1-2

5 神様の再創造歴史は、失ってしまったアダム家庭を、サタン世界の版図圏内で探し立てるものです。サタンがどんなに反対しても滅びず、消えないで、勝利して残る一つの家庭をつくるためのものなのです。神様の真の生命と愛を中心とする王宮で、暮らせる家庭をつくろうというのです。それが、救援摂理の最高の目的です。今までの救援摂理歴史は、完成した家庭を探すためのものでしたが、イエス様が来ても、これができませんでした。本来イエス様は、完成した家庭をつくって、国を従えなければなりませんでした。そして、ローマに入って、ローマを消化しなければならなかったのです。そのようになっていれば、天下統一をして還故郷をすることができました。

6 今まで神様は、何を求めてこられたのでしょうか。主体を求めてこられたのではありません。理想的な対象を求めてこられたのです。神様を模範とし、御自身が造られた世界の内外の内容を備えているものを求めてこられたのです。このような、結果的な一つの基点が家庭です。家庭以上に宇宙を代表できるものはありません。

父母と一つになることは、歴史と現実が出会うことです。ここで「私」は、私一人を中心として父母を愛することによって過去を愛することができ、相対を愛することによって現実を愛することができ、子女を愛することによって未来を愛することができます。したがって、私は、三時代の愛を体験することができるのです。三つの愛が結集した実体の核心が、正に家庭です。

7 今まで、歴史では、ある個人なら個人を模範にしようとし、社会が変われば、発展した社会を模範にしようとしました。そのために努力した人が多くいたのであり、またそのような国家も多かったのです。しかし、模範にしようと思う家庭はありませんでした。今までの世界思潮では、そのような家庭が現れることができなかったのです。「誰々の家庭を模範にしなさい」という主義が出てこなかったのです。あの国を模範にしなさい、誰それを模範にしなさいという主張などはたくさんありましたが、あの家庭を模範にしなさいという主張は出てこなかったのです。

したがって、最後に残された問題とは何でしょうか。私たちが崇拝できる、個人や国が出てくることではなく、万民が仰ぎ、敬うことができる家庭が出てくることです。そのような家庭だけが新しい世界を創建し、この宇宙に永遠の幸福が宿るようにすることができます。そのような家庭で私たちが安息するようになれば、幸福の基盤がつくられるのです。

家庭救援の時代

8 神様が六千年間復帰摂理をされたのは、一国を取り戻す前に、あるいは民族と教会を取り戻す前に、家庭を取り戻すためでした。すなわち、御自分の相対を求めて家庭を取り戻すことだったのです。一国が形成されるためには、家庭がなければなりません。したがって、全体の根本が家庭です。イエス様も、四千年歴史の基盤の上で、家庭をつくらなければなりませんでしたが、家庭の根本となるエバ、すなわち新婦を探すことができませんでした。また、信仰の息子、娘である三弟子を立てましたが、彼らがカイン的な立場で、イエス様の直系の息子、娘に侍ることができず、蘇生、長成、完成、この三時代を代表して、カインが反対したことを家庭的な基準で蕩減復帰できる基準を立てることができなかったので、イエス様は死んでいかれたのです。

9 イエス様は、家庭を探すために来られました。救援の歴史は、復帰歴史です。病気にかかったので、病気が治るようにしなければなりません。イエス様は、堕落した人間を救援するためにこられました。救援は、家庭を失ってしまったので、それを再び取り戻すことです。再び取り戻そうとすれば、失ってしまった本来の位置に戻っていかなければなりません。そのようにしなければ、取り戻すことができません。

それでは、どうして人間は家庭を取り戻さなければならないのでしょうか。これは、本来の家庭を失ってしまったからです。病気にかかったので、病気を治さなければなりません。すなわち堕落したので、復帰しなければならないのです。

10 今までの宗教は、個人救援を標準にしましたが、今後、新しい時代に、世界が好み、神様が立てることができる宗教は、家庭を救援することができる宗教でなければなりません。男性一人だけが救われていけば、女性はすべて従っていきます。また、女性がすべて蕩減するようになれば、男性はすべて従っていくようになります。言い換えれば、女性の言葉に生命を投げ出し、死ぬほど信じる男性は、天国に行くのです。また、男性の言葉を絶対的に信じる女性も、天国に行きます。

11 神様を中心とする家庭を探し出すことができなければ、国も探し出すことができず、世界も探し出すことができません。イエス様は、この地に来て、神様が愛する家庭を築かなければなりません。すなわち、一人の新郎として来て、新婦を探し出してこそ、一人の男性を中心として真の父母も生まれ、真の夫婦も生まれ、真の兄弟も生まれます。これができなかったので、再び来て成し遂げると預言したのが小羊の婚宴であり、新郎が新婦を迎えることです。家庭をもってこそ、氏族を探し出し、民族を探し出し、世界を探し出すことができるため、家庭が問題です。新郎新婦が出会わなければならないのです。

12 今後の歴史は、どのようになるのでしょうか。新郎となる主が来て、新婦に出会う新郎新婦の宗教圏時代が来るようになります。それが真の父母宗教です。それはもはや従来の宗教ではありません。宗教というものは、その時になくなるのです。真の父母に侍ることによって救援を受けるのです。統一教会で言う侍義の救援時代が来るのです。したがって、真の父母の語る言葉は、自分が語るすべての言葉の根本にならなければならず、真の父母の生理的なすべての感情は、自分のすべての生理的な感情にならなければならず、真の父母の生活は、自分の家庭の伝統的な文化基盤にならなければなりません。

13 今は、真の父母時代を迎えたので、ほかの人を伝道する必要はありません。自分を伝道しなければならず、自分を救援しなければならず、自分の家庭を救援しなければならず、その次に、自分の夫婦が救援されなければならず、自分の息子、娘が救援されなければなりません。これが、歴史的総摂理の結実です。実です。

今までそのような実を採ることができませんでした。木は生い茂っています。数多くの教派はあるのですが、そのような実を採ることができなかったのです。統一教会で、初めて実を採るようになりました。

第三章 真の父母と重生

第一節 重生と復帰の道

1 堕落の起源を見れば、堕落は愛によって始まりました。愛を中心として神様の体となるべき人間が、サタンの体になったことが堕落です。本来、アダムとエバが神様の聖殿となり、神様と一つになって夫婦になっていれば、霊的な基準が一つになると同時に、実体的に一つになっているので、そこで神様を中心とする息子、娘が出てくることができました。ヨハネによる福音書第八章四十四節を見ると、イエス様は、私たちの父であり、私たち人類の先祖が悪魔サタンであると指摘しています。結局、私たちが堕落したということは、人間がサタンの宮殿となり、サタンの体と一つになって、サタンの息子、娘を生んだということです。これが堕落です。結局、アダムとエバが神様の願わない中でサタンと一つになり、否定的な愛を、不義の愛を結ぶようになったことが堕落です。

重生、復帰が必要な人間

2 神様が人類を救おうとされる目的はどこにあるのでしょうか。堕落圏以下では、いくら救おうとしても、救えません。神様は堕落していないアダムとエバ以上の真の父母をこの地上に再び送り、その父母を通して人類が再び生まれる路程を経るようにされ、サタンとの関係を永遠に断ち切り、サタンが讒訴しようにも讒訴できないようにされ、神様だけが主管できるようにされるのです。そのような位置で人類が再び生まれなければ、原罪をもった人間が原罪のない位置に戻っていくことはできません。

Luke Higuchi