天聖経: 第40 話

第二篇 真の父母

第二章 真の父母とメシヤ

第三節メシヤは真の父母の起源 4-14

第四節 真の父母と家庭の救い 1-4

4 来られるメシヤとは、どのような方でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙すべてにおいて、信仰と希望と愛の実体として立つ方です。その方が、このような場に立ってこそ、人類の歴史上に残っている信仰が結実するのであり、希望が結実するのであり、愛が結実するのです。そうでなければ、信仰と希望と愛は結実することができません。その方が語る言葉は、個人的な言葉ではありません。皆さんも、そのような信念をもって叫ぶようになるとき、その言葉は、個人の口から出てくる言葉ですが、世界史的な内容とその縁を備えた言葉になるのです。

メシヤは真のオリーブの木に接ぎ木してくださる方

5 神様は、堕落した世界を救援するために宗教を立てました。世の中は、サタン世界の畑になっています。聖書を見ると、野生のオリーブの木についての内容があります。それはサタンが管理するオリーブの木です。神様が思いどおりにできるオリーブの木の畑をつくるのが宗教です。野生のオリーブの木の畑は、サタンが思いどおりに管理するので、神様が管理するものは一つもありません。したがって、宗教を通してサタンが管理できるオリーブの木の畑を、神様が管理できるオリーブの木の畑にして拡大し、世界のサタン圏、悪のオリーブの木の畑を凌駕する基盤をつくるのです。そのためにあるのが宗教文化圏です。

6 サタン世界は、既に国家になっているので、神様の摂理も、国家を転換させなければなりません。この国家的父母の立場に立てられた方が来られるというのが、イスラエル民族のメシヤ思想です。本来、堕落していなければ、真の父母を中心として、そのまま天国へ行くのです。そのまま天国に行き、天の宮殿を通して天国の国民になっていたはずです。しかし、堕落したので、そのような立場をすべて失ってしまい、地獄に行くようになったのです。神様が、これを収拾するために、野生のオリーブの木の畑に真のオリーブの木を送るのです。真の父母が来られる時に備えて、準備する主人の立場に立てられたのが、宗教圏です。宗教圏は、まだ真のオリーブの木ではありません。この地球星、野生のオリーブの木の畑には、ある程度、神様が管轄する野生のオリーブの木の畑があります。真のオリーブの木が現れれば、それらがすべて切られる一方で接ぎ木するということが起こるのです。

7 神様は、今までサタンに創造世界をすべて奪われた立場に立っているのですが、神様は放置することができないので、この世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送ろうというのが、メシヤ思想です。ところで、真のオリーブの木、メシヤ一人で来てはいけません。サタン世界が夫婦を中心として社会を形成し、国家を形成したので、メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になりません。メシヤ、真のオリーブの木とメシヤの相対は、真のオリーブの木を中心として一つになってこそ、真のオリーブの木として実を結ぶことができます。それで、イエス様は、この地に、新郎として来て、新婦を探して真のオリーブの木の畑をつくり、サタン世界の野生のオリーブの木をすべて切って、接ぎ木する運動ができるように準備しなければなりませんでした。

神様が管理する氏族圏として、一度にすべて切って接ぎ木できる環境をつくったのですが、それが選民のイスラエル圏であり、ユダヤ教でした。

8 六千年前、人間を横的な父母として、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心に喜びの出発をすべきだった起源が、サタンによって侵犯されたため、これを再び取り戻して、真の父母の息子、娘になるようにしなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったので、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木されなければなりません。宗教は接ぎ木するのです。これがキリスト教思想です。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければならないという話が出てきます。

9 サタンが人類を、すべて地獄に連れていきました。それで、神様が一つ、二つと分けて別々のものにするのです。すべてがサタン世界の野生のオリーブの木でしたが、天の側のオリーブの木をつくりました。民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブの木をつくり、世界を導くようにしておかれたのです。サタン側の世界が弱化し、キリスト教文化圏ができれば、再臨主が来て、一度に切って、完全に接ぎ木して、一つにして元に戻すのです。

10 真の父母とは、血統を正すための主人です。その秘密、秘訣を知っています。処置方法を知っています。堕落した父母が偽りの父母になったので、真の父母は、このすべてを料理できる内容を知って、注射を打って復活させ、偽りの愛ではなく、真の愛、真の生命、真の血統を連結させることができる基準をつくることによって、これをひっくり返すことができるのです。

ひっくり返すときに、家庭をすべて一遍に生み返すことはできないので、切って、家庭を接ぎ木するのです。野生のオリーブの木の家庭に接ぎ木しようとすれば、真のオリーブの木の家庭のモデルが一つなければなりません。モデルを接ぎ木して三年さえ過ぎれば、すべて真の家庭の実を結ぶようになっています。誤った野生のオリーブの木の家庭の父母たちに接ぎ木して、真の父母の息子、娘、子女の家庭にしてあげようというのです。

メシヤを迎えるための基台

11 人間が堕落することによって、この世界はサタン世界になったので、この世界には、サタン側の個人も、家庭も、氏族も、国家も、いくらでもあります。しかし、天の側はいません。個人はいますが、その基準に上がった家庭や、氏族や、民族や、国家がないのです。結局、メシヤ個人として、家庭に勝ち、氏族に勝ち、国家に勝つ基盤がなければ、一般の人が上がっていく道がありません。神様は、この地上にメシヤが来るようになれば、メシヤに従って共に上がる圏内を、個人から家庭を経て準備しておいたのですが、それがイスラエル民族です。そして、その思想が選民思想です。しかし、イスラエルの国は、まだここに上がることができていません。線に引っ掛かったのと同じです。ですから、選民の希望は、この線を越えることです。この線を越えなければならないのであって、越えられなければ大変なことになります。しかし、この線を越えようとしても、自分たち同士では越える道がありません。

12 イスラエル民族の前にメシヤが来て、そのメシヤを中心として、死ぬとしても共に死のうという立場になり、サタンが離そうとしても離すことができないほど完全に一つになれば、そこから個人的に接ぎ木して、家庭的に接ぎ木して、氏族的に接ぎ木して、民族的に接ぎ木して、国家的に接ぎ木して、彼らを一時に引き上げられるのです。ですから、この世界には選民思想がなければなりません。それで、神様が選んだ民族を中心として、神様が選ぶ国家を形成しなければなりません。選民がいるという言葉自体が、神様がいるという事実を証すものです。このような原則で見るとき、メシヤを送ろうという預言があることは、神様がいることを証しています。

13 私たちがメシヤを必要とするようになったのは、何の目的があったからでしょうか。堕落することによって、私たちは偽りの父母をもつようになりました。神様と一つになった父母がいなくなったということです。神様と一つになる父母の位置を、私たちにもってきてくれる方がメシヤです。これが第一です。第二は、私たちを再び生んでくれるのです。結局、私たちの体にサタンの血があるので、その血を抜いて、サタンの息子、娘でないという立場で、私たちを接ぎ木して再び生んでくれるのです。第三は、メシヤは、人間をして、悪魔サタンを僕として使うことができる人にするのです。すなわち、人間の前にメシヤが来て、私たちをしてサタンを屈服させて僕にすることができ、それを処断できる資格をもつ人にしてくれるというのです。

14 終わりの日には、どのようになるでしょうか。天宙主義です。天宙主義は、神様と「私」の主義です。不足であるがゆえに、天があるのかないのか分からず、終末時代において環境をどのように収拾し、その時がどのようになるのか分からないのが人間です。したがって、その時が来て、環境が形成される時に、天が、収拾できる方として送られた方がメシヤ、救世主です。その救世主は、歴史的な、世界的な、偉大な師ではありません。救世主は父です。神様は内的な父であり、来られる救世主は外的な父です。

第四節 真の父母と家庭の救い

1 人類始祖であるアダムとエバが、長成期完成級で堕落することにより、人類の父母がいなくなりました。言い換えれば、神様が願われる真の人類の父母が立てられるべきでしたが、そのようにできませんでした。神様が喜ぶ一つの家庭をもたなければならないのですが、そのような家庭をもつことができませんでした。ですから、神様を中心とする四位基台が成立しなかったのです。堕落した家庭から、堕落した子孫が生まれました。堕落した家庭は、神様と内外の関係を結ぶことができない悪の圏内に落ちているので、神様と内外の関係を結ぶことができる家庭を再び取り戻すために、今まで神様は苦労してこられたのです。それが復帰摂理歴史です。

家庭を求めてきた摂理

2 堕落した人間は、サタンの讒訴圏を抜け出た神様の息子に出会わなければなりません。人間には父母がいません。皆さんは、堕落した父母はもちましたが、天のみ旨の中で完成した父母は、もつことができませんでした。神様の息子、娘に出会ったのちには、神様が愛し得る父母の立場を取り戻すのです。その次には、父母の家庭を取り戻すのです。父母の家庭を取り戻し、神様の愛を取り戻して、神様に出会うのです。

3 兄弟を探さなければならず、父を探さなければならず、母を探さなければならず、「私」の家を探し出して本郷の家をもたなければならないのが、今日、この地上にいる人類です。神様の愛を中心とする父母がいらっしゃるところ、その父母から愛された息子、娘を中心とする家庭が故郷となって「家和万事成」を実現できる環境で、愛の歌を歌いながら横的に伸びていくようになるとき、民族形成が可能なのです。アダムが家庭を失ってしまったので、宗教を通して探さなければならない基準は、まず家庭です。

4 堕落していないアダムとエバは、神様の結実体と同じです。ですから、内的には神様と一つになり、外的にはアダムとエバが一つになって家庭をつくれば、それは正に神様の家庭です。そして、家庭で生まれた息子、娘は、そのまま神様の息子、娘になります。

ところが、サタンがエバを強奪して、アダムまで堕落させました。十六歳の分別のない時に、愛に対して何も知らない時に、サタンが侵犯したのです。そして、非原理的な愛の因縁を結ぶようになり、神様が臨在すべき位置にサタンが入っていくようになったのです。

それでは、誰がアダムとエバの父になるのでしょうか。サタンがなっているのです。ですから、聖書でも、堕落した人間に対して、イエス様が「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた」(ヨハネ八・四四)と言ったのであり、また、「まむしの子ら」と言い、洗礼ヨハネも「まむしの子」と言ったのです。聖書で言う蛇が、正に人間の先祖なのです。

Luke Higuchi