天聖経: 第37 話

第二篇 真の父母

第二章 真の父母とメシヤ

第一節 人類の希望 8-20

8 「真の父母」という言葉は、歴史時代において、誰も呼び求めてみることができず、誰も考えることができませんでした。しかし、私たちは、呼び求めることができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように私たちは、歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っており、誰よりも高貴な位置に立っています。真の父母という名称とともに、歴史は今まで苦労してきたのであり、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったことを考えるとき、真の父母という言葉こそ、人類には、福の中の福の言葉なのです。

真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界に戻り得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な関係が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定するのです。ですから、真の父母と共に生き、真の父母の命令を受けて行動できる、この驚くべき恵みに感謝しなければなりません。

9 真の父母は、人類歴史の最高の希望の存在です。歴史の最高の勝利の基台です。いかなる民族も求めるべき歴史の希望の中心点です。歴史の望むところは、国でもなく、世界でもありません。外的には、国や世界のように見えますが、外的世界だけでは解決できません。神様の摂理は、世界を救うことが目的ですが、世界を救おうとすれば、善の父母がこの地上に来て、完全な基台をつくらなければなりません。こうならなければ、国家や世界を救う完全な道は生じません。

ですから、歴史全体の希望は、国でもなく、世界でもありません。真の父母です。ここでは、民族観や、世界観は認められません。民族観も、父母の血統を受け継いだのちに立てられなければなりません。それができたのちに、氏族を編成しなければならず、民族を編成しなければならず、世界を復帰しなければなりません。父母がいなければ何もありません。真の父母を迎えなければ、何も始まりません。

10 歴史は、何を求めてきたのでしょうか。時代は、何を求めてきたのでしょうか。未来は、何を求めなければならないのでしょうか。真の父母です。全体がここに帰結しなければ、歴史過程や宇宙の中から幸せの基準を探してみることができません。

愛の起源は、本来神様と人間を中心として、縦的・横的基盤がすべて同じでなければなりません。違ってしまったこの基盤を同じにすることが堕落した人類の願いです。このような点で、キリスト教では、イエス様を中心として新郎新婦の関係を結んできたのです。

11 私たちは、目的を千年後の未来に求めるのではありません。私たちの求める目的も、未来の子孫たちが求める目的も、過去に求めるのです。それが真の父母です。これは過去のものであり、現在のものであり、未来のものです。これは永遠のものです。皆さんは、この理念を中心として近づく世界を歓迎ばかりしていてはいけません。真の父母を慕いながら、侍っていかなければなりません。したがって、今日、この時代圏内にいる皆さんは、現在に暮らしていますが、過去の結実であり、未来の起源にならなければなりません。この三時代が一つにならなければならないのです。後ろには過去、前には未来を統合させることができる、現在の自分にならなければなりません。

それでは、何をもって統合するのでしょうか。真の父母の愛で統合させなければなりません。誰に統合させるのでしょうか。息子、娘に統合させなければなりません。その息子、娘は、真の父母の愛を中心とする息子、娘です。言い換えれば、堕落していないアダムとエバが生んだ息子、娘と同じです。ここから天国の息子、娘になることができます。したがって、三時代の愛の関係をもって生まれた位置が、真の父母の息子、娘になる位置です。たとえ人間が堕落したとしても、歴史過程を逆に上がっていき、その位置を取り戻さなければなりません。

12 亡くなったと思っていた、本性を中心とする本然の父母がよみがえる、その道を「私」が開拓するためには、言葉で表現できない精誠を込めなければなりません。また、誰よりも、天の悲しみに胸が引き裂かれるほど心を痛め、無念さと悔しさを感じる、その位置で忠誠を尽くさなければなりません。そのような心をもって、父母がよみがえる道を築かなければなりません。それが子女の道理であり、孝子の位置に立つことです。これが私たちの責任です。ですから、生死を意に介することなく、この道を開拓しなければなりません。世の中の良いことと、世の中の迫害と、死の道も意に介することなく、この道を開拓するために忠孝の心をもたなければなりません。

真の父母の息子、娘になるということ

13 今日、私たちが生きているこの世界に真の父母を迎えましたが、この地には、真の父母の息子、娘だけが生きているのではなく、堕落した父母の息子、娘も生きています。

本来は、真の父母の血肉を通して、神様の愛する息子、娘になるはずだったのですが、堕落により、堕落した息子、娘になってしまいました。それで、その人類始祖の過ちを解怨成就してあげるために、再び来られる父母が、再臨主であり、救世主です。

14 イエス様は、堕落していない真の父母でした。真の父母の使命をもって来ました。人間の先祖、アダムとエバは、堕落することによって堕落の血統をつくってしまいました。彼らは、神様が望む本然の理想世界、堕落していない世界で、神様と一体になって神様の直系の血統を受けた息子、娘を生むべき真の父母になることができず、サタンと因縁を結び、死んだ子を生んだサタンの頭になったのです。したがって、今日、人類はすべて、偽りの父母に出会いました。ですから、偽りの父母の血統を否定して、真の父母に出会わなければなりません。

15 堕落は、悪魔の偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統が蒔かれたことです。人には、愛があります。生命があります。先祖から受け継いだ血統があります。ですから、一人の人は、歴史の始めの先祖から受け継いだ愛の結実であり、生命の結実であり、血統の結実です。サタンの愛と、サタンの生命と、サタンの血を受けて、神様の怨讐になり得る立場にいるということです。これを払いのけて脱ぎ捨てなければ、地上に平和はやって来ません。それで、先生が真の父母の理想をもって来たのです。真の父母は、この偽りの愛をきれいに清算して、個人、家庭、氏族、民族、国家が分立できるよう、平和と反対となる悪魔の要素をきれいに清算するために闘争するのです。

16 キリスト教が世界的な版図を形成するまで、どれほどの犠牲の代価を払ったか分かりません。殉教の祭壇で絶えず犠牲になることによって、その悲惨な叫び声が地球上に響き、その泣き声の聞こえなかった所がないほどになりました。その血の祭壇が連続し、今日、目前にまで到達した歴史的な恨が絡まっているのです。これを受け継いで解怨すべき、厳粛なる歴史的な課題を抱いている私たちは、神様を解放し、キリスト教を解放しなければなりません。キリスト教を立てて以来、今までキリスト教がどれほど悲惨な歴史を経てきましたか。これを解放しなければなりません。天宙を代表した天地の主体の国として、主体の宗教として、人類を収拾するばかりでなく、後代の千秋万代に勝利した王子権である長子権を賦与されなければなりません。

17 人間の願いとは何でしょうか。人間の理想や希望というものは何でしょうか。どこに帰結するのでしょうか。その第一が何ですか。神様の息子、娘になることが、人間の最大の希望とならざるを得ません。その次は、神様から愛される息子、娘になることです。その次には、神様のすべての存在を「私」が相続することです。それ以上はないのです。人間の願いは、神様の息子、娘になること、神様から愛される息子、娘になること、神様のすべての存在を相続する息子、娘になることです。

18 幸せとは何でしょうか。父母を失ってしまった孤児のような民が、六千年目に父母と巡り合うことです。これ以上に喜ばしいことがどこにありますか。宗教をもつことは、このような父母と巡り合うことに加担することです。永遠に死んだと思っていたのに、その死んだ父母が生きることができるというのです。父母が生きることができるのなら、私たちは、手段と方法を選ぶことができません。父母と出会うのに、財産が問題ですか。親戚が問題ですか。国が、世界が問題ですか。何も問題になりません。すべてを後回しにして、父母と出会うために、あらゆる精誠を尽くさなければなりません。

19 神様は、愛する真の息子と娘を、愛を存分に与えたいと思っていた子女を失ってしまいました。男女関係から見れば、神様を中心とする夫婦を失ってしまいました。そして、子女として見れば、真の父母を失ってしまいました。一つの堕落行為で、この三つをすべて奪われました。どのようにしてこの三つの心情を、蕩減復帰原則によって一度に蕩減し、神様が認める基準を立てるか、ということが問題です。まず神様のみ前に真の息子、真の娘として、神様が愛し得る基準を復帰し、その過程を通過して結婚の適齢期になれば、神様の愛を中心とする夫婦として結合し、そこで再び、神様が喜ばれ、神様が願われる四位基台を造成するために、善の子女を生まなければならないのです。

20 人類の希望は、真の父母に出会うことです。歴史の結実は、真の父母に出会うことであり、時代の中心は、真の父母に出会うことであり、未来の出発の基地は、真の父母に出会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。

今まで、歴史時代の願いは、すべて来来にありました。しかし、皆さんの一生を中心とする真の父母との縁は、永遠に一時しかありません。一度しかない貴いものです。先祖たちももてなかったのであり、子孫たちももてないのです。皆さんの希望は、ほかにあるのではありません。真の父母の息子、娘になることです。真の父母の息子、娘になって、真の孝子、真の孝女になることです。その真の父母が、今後、天下を中心として、地上の万王の王になります。ですから、人類の希望や歴史の希望や時代の希望など、そのすべての希望の中心が結実できるところがここです。皆さんの希望は、ほかにあるのではありません。

Luke Higuchi