天聖経: 第36 話
第二篇 真の父母
第一章 真の父母とは
第三節 真の父母宣言と「三大主体思想」 23-27
第二章 真の父母とメシヤ
第一節 人類の希望 1-7
23 時を知らなければなりません。真の父母を宣布することによって、サタンの血統的父母は、みな終わるのです。真の父母がサタン世界と闘って、民主世界、共産世界が倒れる段階に来たので、勝利的条件をもって宣布することによって、サタン世界は終わるのです。サタン世界が終わるということは、サタンから解放されるということです。今まで、サタン世界の文化圏、サタン世界の生活圏で生きたのですが、サタン世界と、サタンの生活圏と、サタンの血統から解放されるのです。サタンから解放され、神様に帰らなければなりません。
「三大主体思想」の中心は真の父母
24 「宗教」とは「根本の教え」を意味します。最後の教えです。家でいえば棟木(むなぎ)のようなものです。家をつくるためには棟がなければなりませんが、宗教は基礎になる教えのことです。その基礎になる教えの総結論が、真の父母、真の師、真の主人です。この地上には偽りの父母がいて、偽りの師がいて、偽りの主人がいます。真の父母がいなくなったので、偽りの愛を中心とする偽りの父母、偽りの愛を中心とする偽りの師、偽りの愛を中心とする偽りの主人がいるようになったのです。すべて除去し、真の父母と真の師と真の主人を迎えなければなりません。
真の父母と真の師と真の主人は一人です。その方が神様です。その方を知ることによって、すべての教えの根となることができ、芽となることができ、幹となることができる基礎の教えを知るようになるのです。
25 皆さんは、真の父母にならなければならず、真の師にならなければならず、真の主人にならなければなりません。これが「三大主体思想」です。
三大主体思想の根は、真の愛です。真の愛は、自分の一〇〇パーセント以上を投入し、また投入しようということです。そのような思想をもった父母であり、師であり、主人にならなければなりません。
根は一つです。ですから、「真の父母」と言うときは、必ずその右に師が来て、左には主人が来なければなりません。それがいつも、ついて回るのです。息子、娘を生むからといって、誰でも真の父母になるのではありません。息子、娘を生んで、育てなければなりません。
26 大学の総長も、夜になれば、父母として家に帰り、大統領も、文武百官(国のすべての役人)を従えたとしても、寝るときは、家に帰って寝なければなりません。父母になるのです。そのようなことを見るとき、父母が中心です。父母的学校であり、父母的主人の位置です。出ていったとしても、みな父母のところに帰ってくるようになるのです。帰らずに暮らすことができるところは、父母を迎えたところです。すべて、真の愛を中心としてそのようになっています。君師父一体という言葉も、そこで成立するのです。先生が、真の教えを与えています。ですから、師の中の師でもあるのです。
27 「三大主体思想」の中心思想は、真の父母思想です。なぜ真の父母が中心になるのでしょうか。垂直を通じた縦的基準は、一つしかありません。真の愛の垂直は一つなので、真の父母と縦的な神様の決着点をもった家庭を中心とする代理基盤だというのです。ですから、父母の思想を模範とする師、父母の愛を模範とする主権者は、天国の環境的に与えられた条件を指向するようになるのですが、ここにはサタンが侵犯できません。悪魔の愛の内容をもって侵犯できないので、解放圏が形成されることによって、地上に天国が形成されます。
第二章 真の父母とメシヤ
第一節 人類の希望
1 歴史時代には真の父母がいませんでした。地上に堕落した父母だけがいたので、天上にも真の父母がいませんでした。神様を人類の父母と言うのですが、神様はどのような立場にいるのでしょうか。神様御自身が真の父母になろうとすれば、真の子女をもたなければなりませんが、そうでない立場では、真の父母になれません。ですから、神様御自身の立場を見ても、人類を創造することはしましたが、創造した立場で、父母としての位置、真の神様としての位置をもてなかったのです。すなわち、人類の始祖が堕落したので、神様は真の神様になることができませんでした。
言い換えれば、人類の完成とともに、人類の真の父母を中心とする人類の真の家庭が成されたはずであり、人類の真の家庭とともに真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界が形成されたはずです。このようになっていれば、真の神様の心情を受け継いだ真の神様の血族になったはずであり、真の神様の血族によって、真の神様の民族が形成されたはずです。その民族を中心として、神様が直接治める一つの国が形成されたはずだというのです。
真の父母は歴史的願い
2 私たちは堕落した人間なので、真の父母を失ってしまった群れです。真の父母を失ってしまったので、真の子女になることができなかった群れです。創造当時、最大の善の理念で立てようとした真の父母と真の子女がすべて壊れていきましたが、神様は、歴史的な苦労の路程、数多くの逆境と数多くの苦痛の路程を経てでも、再び真の父母を立ててくださろうとするのです。同時に、真の子女を立て、真の夫婦、真の兄弟、真の国家、真の世界、真の人類、真の天宙を立ててくださろうとするのです。神様は、最初から堕落した人間の心の中に入ってきて役事するのではなく、遠い相対的立場で、堕落した人間に万物を連結させ、真の息子と連結させたのち、あとから人間の心の中に入ってきて、心情の父になろうとするのです。これが救援摂理の終着点です。
3 堕落した世界の歴史について見てみるとき、この世界には堕落した父母が生まれました。堕落した父母が生まれて、堕落した世界をつくったというのです。この世界は、堕落した父母と因縁づけられた世界であって、真の父母と神様が理想とした本然の世界とは、関係のない世界です。ですから、長い人類歴史を経てきながら、この世に多くの人たちが生まれて死んでいきましたが、彼らの中で、幸福を謳歌しつつ、「私は人間として生まれて幸せであり、人間としてすべての面で成功した一人だった」と、宇宙の前に誇って生きて死んでいった人は一人もいないのです。
4 人間の歴史的な願いは、真の父母に侍ることです。真の父母を迎えることです。神様がイスラエルの国とユダヤ教を立てられたのは、メシヤを迎えるためです。メシヤとは真の父です。また、キリスト教とキリスト教文化圏をつくったのは、再臨主を迎えるためです。再臨主は、第三次アダムとして来られる真の父です。
5 私たちが抱くべき希望とは何でしょうか。天に代わってこの地に来られる真の父母様に侍ることを心から希望しなければなりません。
侍るには、勝利の基盤が形成されたのち、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった立場で侍ることを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることを願わなければなりません。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることができなかったことを、先祖たちは恨と思っています。真の父母に侍ることを、全人類は心から希望するのです。ですから、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。
6 真の父母が来られる時になると、世界のすべての国家が兄弟の関係をもつので、第二次世界大戦後に、戦勝国家が敗戦国家を解放させるということが起こりました。これは、兄の立場から弟を打ったので、弟に福を祈ってあげなければ、来られる父母から罰を受けるので、そのような通常とは異なる歴史的現象が起こってきたのです。歴史が願いつつ求めてきたことは、真の父母に出会うことです。宗教が出てくるのも、真の父母に出会うためです。世界が出てくるのも、国が出てくるのも、真の父母を求めるためです。真の父母の道を備えるために出てくるのです。
7 真の父母は全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴です。それは歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、世界の国家圏の中心です。真の父母は、理想世界に連結される未来線上における出発点です。それでは、歴史時代の先祖たちは何を願うのでしょうか。統一の世界は誰と出会うことを願うのでしょうか。真の父母と出会うことを願います。言い換えれば、真の父母と永遠に相まみえようとするのです。