天聖経: 第33 話

第二篇 真の父母

第一章 真の父母とは

第二節 真の父母の顕現 17-31

17 イエス様は、本来は三十三歳から七年路程を歩みながら、神様が願う父母の基準を立て、そこから万物主管の基準を立てて四十歳ですべてを終結し、天のみ旨を成し遂げなければなりませんでした。これが、イエス様の使命でしたが、イエス様がこのみ旨を成し遂げることができず、十字架で亡くなることによって、このみ旨はそのまま残るようになりました。それで、再び来られる真の父母が、内外の闘いに責任をもたざるを得ないので、四十年準備期間、あるいは闘争期間を経ていくのです。外的には四十年準備期間でしたが、内的には闘争期間だったのです。こうして、霊的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に霊肉を合わせた実体的な基盤を築く土台を備えたのです。

18 皆さん自身は、個人として正しい勝利の基盤を築くことができていないのですが、真の父母を通して、真の父母と一致した条件さえ立てれば、個人的勝利、家庭的勝利、氏族的勝利、民族的勝利、国家的勝利の基盤を築くことができます。そのような期間が七年路程です。それで、真の父母を中心として国家的な勝利の基準を立てれば、その時から、初めて神様は万物を主管する最初の出発ができます。再び万物を主管して、天の家庭を立て、天地に揺るぎない一つの主権を立て、一つの民を立て、一つの領土を立てることができます。そのときから、神様が永遠無窮に安息なさることができ、そこから審判が起こるのです。

19 天に代わり、真の父母に代わって、み旨に責任をもって従ってきた統一教会は、試練を自ら招き、受けているのです。その過程で、サタン世界から分別された自らを立て、真の父母が勝利の一つの手本となり、サタン世界を審判できる真の子女の基準を立てておかなければなりません。そのように、氏族、民族、国家の基準を立てておかなければ、真の父母に対する本然のみ旨を地上に成就することができません。この期間に先生と共に闘っている皆さんは、真の父母の個人的な代身であり、家庭的な代身であり、民族的な代身であり、国家的な代身です。このような父母の代身として、今まで、韓国はもちろん、世界舞台で責任をもって闘わなければならなかったのが皆さんです。

20 先生は、世界のために、どれほどたくさん投入したか分かりません。どれほど血の涙を流し、どれほど汗を流し、どれほど嘆息したでしょうか。出世のためにそのようにしたのではありません。地上世界と天上世界、そして神様を解放するためです。そのような背後の歴史をもっています。それは観念だけではありません。実践の舞台において具体的な領域を形成するために、その理想基盤を築いてきたので、世界万国が粛然と頭を下げることができる段階にまで来たというのです。

真の父母になるための基準

21 本然の愛を中心として理想を実現しようとした真の父母を中心とする真の息子と真の娘が、神様の愛を中心として初めて結合するとき、横的な男女の愛と縦的な神様の愛を接ぎ木できる一つの歴史的な爆発点、愛が爆発する泉が生じます。しかし、堕落によってこの泉を失ってしまいました。神様の縦的愛が夫婦の真の愛と垂直線で、中央線でぶつかるその位置が、アダムとエバを造って見つめられながら神様が願っていた、真の父母の位置です。真の父母の位置にいるのは、真の息子と真の娘、善男善女です。罪の意識を感じることがない、神様のすべての意識と同化できる位置に立った男性と女性が、お互いに東西の立場で一つになるこの位置を立てるのです。

22 真の父母の立場は、アダムとエバが神様を中心として完全に一つになり、サタンの讒訴圏を抜け出た立場です。サタンが讒訴できる内容を残さず、完成基準を越えた立場に上がってこそ、真の父母の起源が生じるのです。これが原理的見解から見た、真の父母の起源です。

23 神様が六千年間摂理されたのは、来られる「真の父母」の基盤を備えて、当代に勝利の基盤を築かせるためだったのですが、この地上にいる聖徒たちが霊的父母の命令に一致団結して従うことができず、その命令に歩調を合わせられず、今までイエス様の築いておかれた霊的な基盤を、再び来られる主に相続する基準を立てられなかったのです。それで、再び来られる主、真の父母となられる方は、再び霊的な世界で、個人的試練から、家庭、氏族、民族、国家、世界的な試練を受けなければなりません。その試練に勝って、内的勝利の基準を立てなければ、地上に実体的な勝利の基準が立てられないので、内的な闘いをしてこざるを得ないのです。

24 新しい世界は、真の父母がこの地上に新しい基盤を築くことで始まります。その父母によって新しい子女、新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界、新しい天宙が編成されなければなりません。これが、イエス様が再び来て摂理する願いであり目的です。そのようにしようとすれば、その日が一度に来てはいけません。僕の僕の道を収拾しなければならず、僕の道を収拾しなければならず、養子の道を収拾しなければならず、その次には、息子の道を収拾しなければなりません。しかし、六千年の歴史過程ですべてずれてしまったので、来られる主は、これに生涯をかけて、歴史的な六千年史を収拾したという勝利の基準を立てなければなりません。歴史を審判できる真の基準を立てなければ、この地上に真の父母として現れることはできません。

25 先生は今まで、誰にも負けないほど祈りを捧げました。涙を流すにおいても誰にも負けず、悔い改めも誰にも負けないほどしました。また熱意を込めることにおいても、誰にも負けないほどの熱意を込めました。それでは、なぜ今日のキリスト教徒たちが反対する道を先生は行くのでしょうか。この道が間違いないからです。いくら調べてみても、合わせてみても、間違いありません。歴史は、このような原則によって整備されるはずだということを、確信するからです。

26 歴史は、新しい父母から始まらなければなりません。この天地父母が出てこなければ、新しい歴史は始まることができません。サタンと闘って勝利し、「あなたは天地父母です」と公認を受けた真の父母が出てこなければなりません。その父母が出てこなければ、天地開闢は起きません。天地開闢が起きてこそ、そこから歴史が出発し始めるのです。神様と共に新しい心情を中心として育った息子、娘たちが、神様が創造当時にアダムとエバに対して願ったその心情をもって、神様のみ旨にかなう一体の生活をすることで、神様がアダムとエバに対して願ったことを、代わりに成し遂げてさしあげなければなりません。

27 真の父母は、すべての歴史を克服しなければなりません。そのような資格を備えなければならず、この堕落した世界を克服しなければなりません。真の父母は、未来のために道を築かなければなりません。今まで、そのようなことをしてきました。ですから、尊敬される十分な資格をもっています。皆さんは、その資格を認めなければなりません。皆さんの中で、何人かでもそれを認めなければならず、認めたからこそ、先生から祝福を受けたのです。そのような夫と妻は、互いに争うことができません。これが事実なら、争いが起こることがあるでしょうか。

28 真の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。カイン世界は、長男の世界です。カイン世界は、堕落した長男の世界と同じなので、それが反対しても、天の愛を尽くしてあげたという条件を立てなければ、サタン世界が復帰できないのです。長子を先に愛さなければなりません。原則的に、サタンが長子の立場にあるので、サタンが、「神様、あなたがアベルを愛するためには、長子を先に愛したという条件を立てなければなりません。そのような愛を私に見せなければ、次子を愛することはできません」と言うのです。これが原理です。ですから、母であるエバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムに帰ることです。母がいくら宇宙的な愛を願ったとしても、そのような愛で愛してあげることができない位置にいるのです。

29 メシヤという存在は、血統的に蕩減復帰した基盤の上に来なければなりません。言い換えれば、サタンの血統を受けて生まれた人類の前に、メシヤは血統的な面でサタン側から生まれたとしても、サタンが讒訴できない環境から生まれなければなりません。サタンが讒訴できる環境から生まれたならば、創造原則的な立場に合わないのです。本来、神様がアダムとエバを創造するとき、サタンが讒訴できる立場で創造したのではなく、天使長の助けを受ける立場で、天使長が頭を下げる立場で創造したように、メシヤであるイエス様も、この地上に生まれ、メシヤとして登場するためには、腹中時代から、サタンに讒訴されるような内容をもっていてはいけないのです。それが原理です。

30 真の父母が現れようとすれば、サタンの讒訴圏を超越しなければなりません。サタンが讒訴できる立場では、真の父母が出てくることができません。それでは、サタンはどのような存在でしょうか。霊的な存在です。霊的存在であるサタンを屈服させ得る立場に立った中心的な方でなければ、真の父母になれません。そのようにしようとすれば、今まで霊界に行っている、地上で生まれて死んでいった数千万の聖徒たちと数多くの先祖たちを中心として、数千億になる霊界の霊人たちは、真の父母を中心として一つにならなければなりません。一つになって、サタン圏に対して勝利したという歓喜と栄光の決定的な基盤をもたなければ、真の父母はこの地上に顕現することができないのです。

真の父母の顕現とその意義

31 歴史が望む中心、時代が望む中心、あるいは未来が願っている中心とは何でしょうか。それは、真の愛を中心とする真の家庭です。真の家庭は、歴史的な願いの結実体であり、時代的な願いの中心であり、未来的な願いの出発です。言い換えれば、歴史的な結実、すなわち歴史的な復活体であり、全世界においては世界的な中心であり、未来に対しては原則的な出発の基点です。真の人と、この真の人を中心とする家庭は、歴史的な願いが成就されて、初めて現れます。真の人として、真の家庭の目的をもって来る人が新郎です。その次には、新婦がこの新郎と一つになって、真の家庭が成就されるのです。

Luke Higuchi