天聖教: 第16話
第一篇: 神様
第三章: 創造主であられる神様
第二節 神様が創造された被造世界 1-16
1 創世記第一章二十七節を見ると、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」となっています。帰納的に見ると、神様の中には一人の男性と一人の女性がいるということです。それが一つになって、一つの主体として現れたお方が神様です。そして、このような性稟に似て現れたのがアダムとエバです。
二性性相の中和体としていらっしゃる神様
2 神様は二性性相の主体としていらっしゃいます。無形の二性性相の主体としていらっしゃる神様の男性格の内的性稟を実体として展開して、相対的に造ったものがアダムであり、女性格の内的性稟を実体として展開したものがエバです。言い換えれば、神様の内性的なすべてのものを投入して実体化させたものが人間だということです。
3 「統一原理」では、神様は無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃるお方だといいます。二性性相としていらっしゃる神様御自身の分性的実体としてアダムとエバを造っておき、彼らが成長して愛を中心として横的に連結されるとき、縦的な立場で中心になろうとしたのです。それはアダムとエバが成熟すれば、神様の男性性稟はアダムの心の中に、神様の女性性稟はエバの心の中に入っていくということです。だからといって、神様が分かれるのではありません。二性性相の主体としていらっしゃる神様なので、アダムとエバの心の中に臨在することができるのです。
4 主体と対象は、どこから出てくるのですか。これらが出てくる土台がなければなりません。「統一原理」では、これを二性性相と言います。この主体と対象は、人間自体から造られた主体と対象ではありません。力自体は作用をするのです。作用しようとすれば、その力を作用させる回路がなければなりません。そのように授け受けできる道がなければ、力は作用できません。皆さんの心臓も、動脈、静脈のような循環器官があるので作動します。このようにあらゆる作用は、必ず主体と対象の相応関係を備えなければなりません。力が存在する以前に、主体と対象がなければならないということです。主体と対象が存在するためには、その土台がなければなりません。
5 宇宙全体を見れば、愛と関係を結ぶようになっているので、鉱物世界を見てもそこにプラスとマイナスがあり、植物世界を見ても雄しべと雌しべがあり、動物世界を見ても雄と雌がいて、人間世界を見ても男性と女性がいて、天と地があります。ですから、神様も、それ自体において二性性相の存在としていらっしゃり、その二性性相というプラスとマイナスが和合しているとともに、二性性相の中和的存在であり、格としては男性格なのです。
6 神様の性相的な結実者、見える実体として生まれたのがアダムでありエバです。二人が一つになるということは、神様の性相と形状が初めて愛を中心として一体になれる基準ができるので、それを中心として心情圏が始まるのです。それが家庭的心情圏を中心として氏族的な心情圏に拡大します。そうすると、アダムとエバ自体が心情圏において個人的な心情圏、家庭的な心情圏、国家的な心情圏の代表者になります。アダム一代で、すべてのモデルが形成されるのです。個人的なモデル、家庭的なモデル、国家的なモデル、心情的なモデルがすべて成立できたということです。
7 神様は、なぜ人間を創造しましたか。「私」がなぜ生まれたのかという根本問題を知らなければなりません。神様は愛の主体です。「統一原理」を見れば、神様は二性性相の中和的存在とありますが、愛を中心とした統一的存在だということは、まだ話していませんでした。そこに、愛を中心として統一的存在だということを添付しなければなりません。
8 「統一原理」で神様を二性性相の主体としていらっしゃるお方だと言うのは、科学的な分析結果により、間違いなくそのようでいらっしゃるという事実を知って言うのです。ですから、主体と対象が完全に一つになれば、神様の力がそこに永遠に存在します。主体がなく、対象がない所には力が存在しません。神様は、どのように存在するのですか。神様自体内にある主体と対象の力が授け受けすることによって永存します。これは理論的に神様を説明するものです。
9 神様の二性性相の第一性のあらゆる理想的要素と、神様が想像し、構想していたあらゆる実体を形状化させたものが男性です。この男性が愛の理想として結実するときは、この宇宙の存在世界の男性圏が結実するのです。この男性圏は、誰によって結実しなければならないのでしょうか。人類の先祖である真の父になるべきアダムによってです。アダムによって結実されるものでした。そして、女性圏は、エバによって結実されるものでした。この二つが一つにならなければならなかったのです。ですから、女性は男性に出会わなければならず、男性は女性に出会わなければなりません。出会って一つになり、そこから子女が生まれてこそ、平面に神様が着陸されるのです。
神様の体になるアダムとエバ
10 神様が万物を創造された目的とは何でしょうか。第一に、神様に体がないからです。体をまとわなければなりません。堕落しないで完成したアダムとエバが愛で完成し、神様の内的な形状を表面化させて実体として現すためのものが、アダムとエバの完成の理想です。神様の体がなければなりません。体がある世界を支配しようとするので、そのようにしたのです。それから第二に、繁殖基盤が必要だからです。縦的な霊界に行っては繁殖がありません。縦的な愛を中心として、垂直点に連結されるからです。縦的なこの軸では繁殖できません。繁殖しようとすれば、平面的な面において空間が必要です。平面と三六〇度を中心として球形になっているので、膨大な空間が必要です。ここにはいくらでも生産できる面積があるので、地上で子女を生み、天の国に行かなければなりません。繁殖が必要だったので、天の民を扶養するためにアダムとエバの体が必要だったというのです。第三に、愛の相対を永続させるためです。神様は、アダムとエバだけを造っておいて愛すればよいでしょうか。一代で切れてはいけません。これを永続させるために、血統を通して神様の愛の相対を永続的に残すために、体が必要なのです。
11 アダムとエバを中心として霊肉両面の世界を、すなわち無形実体世界と有形実体世界を主管することが神様の人間創造の目的です。したがって、一つの人格的な神様として現れることを示すために、神様はアダムとエバという実体と関係を結ばなければなりません。アダムとエバの完成とともに神様の形状完成、すなわち形が完成するのです。神様はアダムとエバを造られる時、その形態、人相、人格などが、無形世界の中心にいる神様のような姿にならなければならないという考えをもっていらっしゃいました。形がなければ形の世界を主管することはできないのです。
12 無形の神様は、体がありません。体をもたなければ、霊界や地上世界を治めることはできません。神様が現れるためには、体をまとわなければならないのですが、その体をまとう代表がアダムとエバです。堕落していないアダムとエバの体をまとって現れるのです。ですから、アダムとエバは、人類の始祖であると同時に、天地を主宰する神様になるのです。実体をもった神様、すなわち永遠の無形世界の神様の形状を代わりにまとって現れた立場、父母の立場で世界を統治すべき責任がアダムとエバにあったというのです。アダムとエバを造ったのは、アダムとエバの形状を手に入れて、霊界と肉界を連合させるためです。
13 神様には体がないので、皆さんが霊界に行っても、神様を見ることはできません。神様は体をまとっていませんでした。ですから、体が必要です。体をもった万物を創造された神様は、御自身も体をまとってこそ万宇宙の主人になるのです。真の父母の体をまとうことによって、見える世界と永遠の世界の中心になり、父母になり、王になり、平和の主人公になることができます。
14 神様は無形で形体が見えないので、形体をまとって現れなければならず、また、形体をもっている人間と万物を主管するためには、アダムとエバの形体をまとって現れなければなりません。そのようになれば、アダムとエバと神様が一体になるので、アダムとエバの心のようなお方になるというのです。アダムとエバの心の位置に神様が臨在して一つになったので、結局は、アダムとエバの内的な主人、内的なアダムとエバのようなお方が神様だったというのです。神様とアダムが一つになり、エバと神様が一つになってアダムとエバが夫婦になれば、結局、内外の夫婦のような立場に立つようになり、そこで愛し合って子女を生むようになれば、神様の直接的な血統に連結されるのです。それを結ぶのが愛です。神様が天地万物を、この世界を創造したのは、神様御自身が愛を感じるためです。神様御自身が愛そうとして創造したのです。
15 アダムとエバは、神様の体です。また、神様の愛の対象者です。一人では愛することができないのです。いくら絶対者でも一人ではできません。ですから、この被造世界を造ったのは、愛する対象圏を準備するためです。被造世界は愛の博物館であり庭園です。
16 無形の神様が一人でいて何をするのですか。見えない神様だけでは何も始まりません。私たち人間の父母になろうとすれば、体をもって感じることができなければなりません。このような人間と同じ体をまとうために、やむなくアダムとエバを二重的存在として造らざるを得ませんでした。
なぜ二重構造に造らざるを得なかったのでしょうか。無形の神様と同じようにするために、心と体が一生を経て、あの世に行く時までに一つになったという基準を立てなければならないからです。それができずにあの世に現れれば、その形状が神様と一つにならないのです。実体的王権をもった父母が、無形の父母である神様と一体になり、永遠の天上世界に体をまとった王権を顕現させるために、アダムとエバを二重構造で造ったというのです。また、神様が体をまとうためにアダムとエバを造ったというのです。