天聖経: 第6話
第一篇: 神様
第一章: 神様の存在と属性
第三節: 神様のみ言 6-17
第四節: 神様の属性 1-6
6 私たちは神様を真の父と呼ぶことができる存在なので、神様がもっていらっしゃるみ言を私たちも語ろうとしなければなりません。神様のみ言は、そのみ言が与えられる所では、すべて善の実績を生み、復活の役事、再創造の役事を起こさせます。ですから、私たちは悪を清算し、復活の役事を起こして、再創造の権能を行使できるみ言をもった人にならなければなりません。このようなみ言をもった人々が集まり、暮らす所が天国です。
心情と愛と天法のみ言
7 人間が生きていく目的は、神様の愛に連結されることです。人間を神様と連結させ得るみ言を宣布する人は地上の人なのですが、その人が伝えるみ言は神様のみ言なので、そのみ言によって新しい人が造り出されるのです。ですから、皆さんは、与え合う基盤において完成の基準を備えることができます。原理的見解がそうです。そのみ言に神様が共にいらっしゃることによって相手が復活する立場に立つようになり、そのような相手と「私」が一つになれば、強固な実体を備えるようになり、そのような実体が備えられるに従って、神様の心情を体恤できるようになります。彼が備えた基準の深さと広さが大きくなるに従って、神様の心情を体恤する比重も大きくなります。み言によって神様の心情が躍動します。ですから、いくら堕落した人でも、そのみ言を聞き、み言に接するようになれば、我知らず神様の心情が芽生えて高まるのです。神様の心情が芽生えて高まることで、怨讐を愛することができる力が生じ、サタン世界を主管できる基礎的な力が発動します。このみ言は、私一人が知っているだけでは絶対にいけません。皆さん自ら、神様の心情を誘発させなければならないのです。
8 真理とは、世俗的な真理ではなく、神様の愛のみ言を言います。神様の真理は、ある特定の摂理的な人物を通して啓示として地上に伝えられます。神様の真理は、絶対真理です。絶対真理は万能キーのようなもので、この真理を適用すれば、どのような難問題も解けるようになります。
9 皆さんは、神様が皆さんに伝えるみ言に対して「永遠の法度のみ言として下さったみ言」と認識して、「これは私の生命のみ言です」と言いながらそのみ言を受け入れるだけでなく、創造の当時に人間を創造していたみ言だと、感じられる一時をもたなければなりません。もし皆さんがそのようなみ言をもつことができず、神様のそのみ言を皮膚で実感できる体験の一時をもつことができないとすれば、神様の息子、娘になることはできません。
10 皆さんが真理を見つけ出そうとするなら、他のどんな話も聞いてはいけません。ただ真の真理のみ言だけを聞かなければなりません。それでは、どのようなみ言が真の真理のみ言でしょうか。どこの誰が聞いても、我知らず悔い改めの心が起き、我知らずそのみ言に心が惹きつけられ、そのみ言を消そうとしても消えない、そのようなみ言があるとすれば、そのみ言が正に真理のみ言です。それが天倫の道理に通じた真理のみ言です。
11 神様が原理的に再創造をしなければなりません。無原理圏の土の塊のような人間を、どうしなければならないのでしょうか。神様が土の塊でアダムとエバを創造されたのと同じ立場で、神様のみ言と一つになるようにしなければなりません。み言は漠然としたものではありません。原理による原則を通じたものです。人の目はこのようになり、鼻はこのようになるという原理原則、設計図がみ言です。その設計図に一致する人にならなければなりません。
12 神様のみ言は、すべての真理の根本であり、したがって絶対真理です。また、統一された真理です。人間の堕落によって神様を失ってしまうことによって、絶対価値と絶対真理を喪失したのであり、統一された価値と統一された真理を失ってしまいました。絶対価値と絶対真理から絶対価値観が立てられます。「観」とは、観点であり、見解であり、理論です。したがって、今日の世界的混乱を収拾する方案は、絶対的価値観を確立することなのです。
13 なぜ神様を必要とするのでしょうか。それは、神様がもつ真理が不変だからです。神様のみ言は変わることがありません。千年前に話したことは、何億万年後でも、そのみ言どおりに守られなければなりません。人間がしたことは、いくら才能を発揮して付け加えても、時代が過ぎればすべて風化作用によってなくなりますが、神様のみ言は、風化作用を超越するのです。
創造と成長と完成の真理のみ言
14 神様は、み言ですべてのものを創造されました。み言、すなわち真理が完全でなければ、その実体も完全にはなれません。真理が不完全であれば、実体も不完全とならざるを得ません。信仰生活も、完全な位置に立脚しなければ、完全な信仰生活をすることはできないのです。ですから、神様と天地が願う完全な真理が出てこなければなりません。
15 神様は、永遠で唯一のみ言を通して被造万物を造り始めました。そうして神様は、アダムとエバがそのみ言の目的を完成して、神様が実体的に、永遠に臨在できる体となることを願われました。これがアダムとエバを創造された目的でした。さらに神様は、アダムとエバに命の息を吹き入れ、彼らの心の中に永遠の生命の主体として臨在され、安息の住みかを造ろうとされたのです。正に、このような天倫の大いなる目的を立てて、アダムとエバを創造されたのです。
16 神様が原理を通して語られるとき、自分勝手にするのではありません。原理を中心として完全に一体となった中でお話をされるのです。そこから対象と一体となる観点が生じます。ですから、皆さんにも信仰観が必要です。神様が私たちを信じたのと同様に、信じなければなりません。漠然としていてはいけません。原理を中心として、原理と一つにならなければならないのです。その次には、原理を原理のままで置くのではなく、原理と一つになる信仰をもって、その原理の実体にならなければなりません。それだけでなく、実体を完成するのと同時に、神様の愛を受けられる息子、娘にならなければなりません。
17 イエス・キリストがこの地に来られ、三十年余りの生涯で涙を流され、悲しい苦難の道を歩まれながらみ言を宣布された目的とは、何だったのでしょうか。それは第一に、人間をして神様との関係を回復させるためだったのであり、その次には、人間に天国を紹介するためでした。このようにイエス様は、天国を紹介されるとき、み言で紹介されました。すなわち、真理で天国を紹介しようとされました。神様は、そのように人間と永遠不変の関係を結ぶためのみ言、この地に天国理念を実現するためのみ言を、イエス・キリストを通して人間たちに与えてくださいました。真の真理を、イエス様を通して示そうとされたのです。ですから、神様と人間の関係を結ぶために来られ、真の真理を人間たちに証するために真理をもってこられたイエス様は、神様と人間と全被造万物が希望する天国を建設するために、真理のみ言を宣布し始められたのです。イエス様は、このように神様と人間の関係を回復するために真理を宣布してくださいましたが、その真理と関係を結ばなければならないイスラエル民族がイエス様を不信することによって、イエス様のみ言宣布の目的は成し遂げられなくなったのです。
第四節 神様の属性
1 神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。これが神様の四大属性です。すべての創造は、絶対的であり唯一なものです。すべてのものが絶対的な立場にあるので、絶対的に自分自身をその位置に立てるのです。ですから、すべてのものが唯一です。どこにおいても勝手に混ざったりしません。愛の道というものは唯一です。その次には、不変であり、永遠です。
神様の主流属性
2 神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、私たちはそのような内容を中心として絶対的な愛の主体にならなければならず、唯一の愛の主体にならなければならず、不変の愛と永遠の愛の主体にならなければなりません。そのような人が神様の代身者です。神様の属性に一致できる存在は、神様の代身者になることができます。神様が相対を創造するとき、何を加えたのでしょうか。創造性です。絶対創造性、唯一創造性、不変創造性、永遠創造性です。愛を中心とした絶対的な創造性を投入したというのです。神様の愛が絶対、唯一、不変、永遠のものなので、その愛に通じれば、神様と永遠に苦楽を共にすることができ、神様のすべてのものを相続することができます。絶対的な神様の愛が「私」の愛であるならば、絶対的な神様の対象になることができるのです。
3 神様の属性が絶対、唯一、不変、永遠なのと同様に、私たちも絶対的に一つにならなければならず、天下に唯一的なもの、永遠なもの、不変なものとして一つにならなければなりません。そうしてこそ、永遠の愛がそこから始まります。永遠の生命の縁をもって、永遠の真の男性と永遠の真の女性がその過程で絶対、唯一、不変、永遠であり、定着した不動の愛の主人になってこそ、男性として完成し、女性として完成するのです。その場は、愛の完成の場であると同時に、男性と女性の生命が一つになる場であり、男性と女性の生命が一つになると同時に、新しい生命を創造する血統的関係が連結されるのです。
4 神様は、愛を中心として存在します。ですから、神様には愛を中心とする絶対性、愛を中心とする唯一性、愛を中心とする不変性があります。すべてが愛を中心にしています。愛の属性も絶対であり、不変であり、唯一なのです。そのような愛を人間も望みます。絶対的な愛を好むというのです。絶対に一つしかないというものが絶対性です。ですから、神様の属性は絶対であり、唯一であり、永遠、不変です。
5 愛は相対的関係から生じます。ですから、絶対的な神様であっても、愛の前には絶対服従しなければなりません。そうでなければ、人間の道理についての教育ができません。神様は、アダムとエバに対して、「お前たち夫婦の愛は絶対的である。永遠に変わらない」とおっしゃるのです。なぜ絶対的かといえば、アダムとエバは神様の属性が顕現した実体だからです。神様は唯一、絶対、無二のお方です。ですから、アダムも、その属性が顕現したがゆえに絶対的な存在です。アダムは神様の男性的な属性が顕現した存在であり、エバは神様の女性的な属性が顕現した存在なのですが、その属性自体が絶対的です。その内的な属性と外的な属性を備えたものを一つに束ねるものが愛です。その愛は、神様までも絶対服従する絶対的な愛です。ですから、その絶対的な愛を中心とする夫婦は、唯一無二なのです。絶対的であると同時に永遠不変です。
6 創造主である神様が立てた目標は、変わりません。いくら時代が変わり、歴史が紆余曲折の過程を経ていくとしても、すべての人の良心の中心となり、すべての人の希望の目標となる神様は、決して変わりません。永遠の前から永遠ののちまで変わりません。ですから、「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(黙示録二二・一三)とあるのです。