天聖経: 第303話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十篇 平和思想

第二章 平和はどのように成されるのか

第二節 心と体の平和 17-28

心と体の統一

17 今まで数多くの聖人が生まれては逝きましたが、怨讐がどこにいて、世界平和の基準がどこにあるのか分かりませんでした。悪魔とサタンの戦場が「私」の中にあります。それで、先生は心と体の統一を主張するのです。歴史始まって以来、どの聖人も説明できない理論的な基準において、絶対に心と体が一つにならなければならない、という論理をもって教育しています。

皆さんの心の中に、皆さん自身が定着しましたか。自分が自分自身を信じることができますか。深刻な問題です。自分自身が自分を信じることができないのに、どうして神様に「分かってください」と言うことができますか。先生に「分かってください」と言えるのかというのです。私の心が私の体を認め、私の体が私の心を認める絶対的な立場に立たなければなりません。神様が私を認めざるを得ない立場に立たなければならないのです。

 

18 世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、「私」の心と体が闘うのを統一させるところにあります。私たちがその位置を所有できないとすれば、理想世界が来ることはありません。

その世界は、不変の世界なのに、皆さん自身のその変わる姿をもって、不変の自分を所有できますか。それは論理的な矛盾です。絶対不可能なのです。ですから、理想世界を追求するのに先立ち、「私」自身の統一圏、幸福な自我を発見しなければならないのです。

 

19 皆さんは、心を中心として団結し、まず内的な基盤を積み、次に外的な基盤を探していかなければなりません。そうして、神様を中心とした自分の個体を超えて家庭、社会、国家、世界を探していき、天地までも探していかなければなりません。それでは、一つの世界、一つの理念を求めてきた人間に、最も重要な問題とは何でしょうか。一時、存在してなくなる国家と世界の理念が問題ではありません。権勢が大きくて、地位がいくら高かったとしても、それが重要なことではありません。二つの世界を一つにできる理念と主人公が問題です。

人間には、心を中心とした内的な世界と、体を中心とした外的な世界があります。世界がこのように二つの世界から成り立っているように、霊界も天が支配する善の霊界があり、サタンが支配する悪の霊界があります。神様の六千年の摂理の終結点が「私」の一つの体にあるというのです。

 

20 今日、天下を統一したとしても、その統一された世界は、その内部に闘いを内包している統一圏の世界であって、その内部が統一されて外的な統一圏を形成した世界ではありません。ですから、たとえ外的な統一を成し遂げたとしても、その世界はいずれ分かれる結果をもたらします。自由を望み、平和を望んで天国生活を享受しようと思っても、現在の何らかの方法で収拾することでは、それを成し遂げることはできません。根本的な問題は、私たちの個体の統一です。心と体が統一を成し遂げ、その根本となる心が、「この世の中の何ものとも替えることができない幸福の条件をもった」と主張することができ、今、この世界に存在するいかなるものにぶつかっても譲歩せず、壊れることがない中心を備えた人間として出発しなければ、世界平和の起源をもたらすことはできません。

 

21 統一の基盤の上においてのみ、平和があり、幸福があり、自由があり、希望があります。皆さんの心と体が一つになっていないのに、そこに自由がありますか。会社に行ったとしても、心と体が世界大戦をしていて定着できていないのに、自由がありますか。自由という言葉自体も嫌うのです。心と体が闘っていて、そこに幸福がありますか。ですから、皆さんも人生問題について悩むのです。これが根本的に大きな問題です。心と体が一つになっていないところに、幸福があり、平和があるのかというのです。

 

22 今まで神様は、宗教を通して摂理してこられました。宗教を通して心を中心とした生活を強調してきたのです。心を中心とした生活を強調したのであって、「この世の中と共に生活しなさい」とは教えませんでした。終わりの日以後の世界、この世の中を超えた終わりの世界の生活を強調してこられたのです。

キリスト教を見ても、この現実世界を中心として生きなさいと教えたのではありませんでした。この世の中で、良く食べて、良く暮らしなさいと教えた、そのようなものはありません。必ず心の世界の平和を唱えてきたのです。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七・二一)と教えてきたのです。

 

23 真の愛なしには、心と体の世界を一つにすることはできません。心と体が分立して争っている世界が、まさしく堕落した世界です。心が絶対的に中心でなければなりません。体は、絶対に不平を言うことはできないのです。体は常にマイナスの立場を取らなければならず、心は常にプラスの立場を取らなければなりません。

プラスが前に立てば、それは永遠なのです。心の力を中心として、体はその位置に立たなければなりません。そのようにしなければ、この世界が平和な世界になったとしても、皆さんはその理想世界に連結されません。

 

24 統一がないところに平和はありません。統一がないところに希望はありません。皆さんの心と体が一つになっていないのに、幸福ですか。心と体が闘っているのに、幸福ですか。そこに自由がありますか。お互いがよく回らなければならないのです。平和は、お互いにバランスが取れていなければならないのに、バランスが取れていますか。皆さんは、夫婦同士お互いによく調和していますか。皆さん夫婦が、朝二人でけんかをしても、一日中、幸福ですか。そうではありません。統一された基盤の上に自由があるというのです。統一がなければ幸福もなく、統一がなければ平和もなく、統一がなければ希望もないのです。

 

25 未来の新しい理念は、神様の人間に対するみ旨と理想をはっきりと究明しなければならないだけでなく、神様と人間の関係を明確に明かさなければなりません。本来、人間の心と体は、神様の真の愛を中心として、完全な一つの統一体を成し遂げるようになっています。そして、このように神様の真の愛で心と体が一つになった男性と女性が、神様の真の愛を中心として出会い、夫と妻として一つの家庭をつくるようになれば、この家庭は神様の真の愛を中心として一体を成し遂げることによって、真の自由と平和と幸福の根源地になるのです。

 

26 心と体において平和の基準をどこに立てるかは、人生において最も貴い問題です。心と体が闘っています。平和の基準は、どこにあるのでしょうか。世界でもなく、国でもなく、宗教でもありません。「私」自身において、心と体の絶対統一を成し遂げた平和の基準を確立するのが宗教指導者であり、そうなるようにするのが教育と修練の目的です。

ですから、皆さんがいくら宗教を信じて偉大な宗教指導者になったとしても、心と体の統一を成し遂げられなければ駄目です。個人の基準に平和の起源を確立して、定着させなければなりません。平和の起源を「私」から設定しなければ、理想的な宗教や天国というものは、夢にすぎません。それは、私と関係がないのです。

 

27 自分の心と体を、どのようにして一つにするのでしょうか。世界に対する不平を言う前に、世界に対する真の平和を叫ぶ前に、世界に対する真の幸福を叫ぶ前に、皆さん自身を中心として、心と体が一つになって平和の基点を形成しているのか、平和の中心の基点が神様となっているのかが問題です。その基点は、心だけではいけません。神様を中心とした心に一致する体にならなければなりません。このようになったとすれば、神様に従う道が二つにはなり得ません。しかし、堕落することによって、今日、人は二つの道に行くようになりました。分かれるようになりました。そのような結果を見るとき、誤った原因が存在するという事実を否定できないのです。

 

28 世界的な理念の障壁を崩してしまい、世界のために自らを犠牲にしようという主義が、正に「神主義」です。神様は、世界のために、最も近い息子、娘を犠牲にさせるのです。神様は最も近い人を犠牲にして、世界を愛する起源を備えてこられたので、結局は「神主義」だけが残るのです。それで、歴史に終末が来ても、世界の障壁を乗り越えられる心情を備え、世界を中心とした民族や国家の立場で生きていける意志をもたなければなりません。そのようにしなければ、世界に残される群れになれません。私たちは、体を中心として一つになるのではありません。体は心を中心として、心は天を中心として一つにならなければなりません。天と心と体が一致したその人には、平和と幸福と理想が定着するのです。

Luke Higuchi