天聖経: 第304話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十篇 平和思想

第二章 平和はどのように成されるのか

第二節 心と体の平和 29-33

第三節 家庭の平和 1-6

 

29 本来、人は、心の分野を中心として体が一つになり、分けようとしても分けることができなくなれば、堕落していない完成した人間になっていたはずです。エデンで堕落していなければ、心と体が分かれることはないというのです。

しかし、人間の心と体は、今まで闘っています。堕落した世界のその誰もが、心と体が闘っています。ですから、心と体を一つにできないことが恨です。

心と体が一つになれなければ、平和が来ることはあり得ません。幸福が宿りません。人間の生涯が悲運の生涯であり、「人生は苦海のようだ」と言ったのも、すべて一理あります。一つにならなければならないのが本来の摂理観であるにもかかわらず、心と体が分かれることによって、すべて四方に分かれたのです。言い換えれば、主体と対象が分かれたというのです。

 

30 平和の世界は、いかにして訪れるのでしょうか。心と体が一つになった立場を見いだすことができなければ、平和世界の根はありません。今日、人々は、平和世界が来れば統一の世界が来て、あるいはこの地上に地上天国が来るといいますが、その地上天国の基盤は、あくまでも心と体が一つになるところから始まります。心と体が一つにならなければならず、その次には夫婦が一つにならなければならず、その次には子女が一つにならなければなりません。人間が堕落したので、世界的にすべて破綻するのです。

 

31 人間の心と体の間隔が広がれば広がるほど、苦衷は大きくなるのです。そこには苦痛が介在し、悲劇が宿るのです。ですから、私たちの心と体の間隔を狭め、それが一つに統一される時を迎えなければなりません。そうでなければ、人間世界に平和や幸福はあり得ません。ですから、自分自身の闘い、自分一個体の闘いを終息させられない人は、世界的な闘いが終息し、そのような世界に入って暮らしたとしても、希望や幸福、あるいは平和の条件をもつことができないのです。

問題は、「私」自身にあります。私自身の根本問題を解決しなければなりません。そうして、私自身の外的な世界の理想的環境を迎えるようになる時に、初めて心にしみる平和、心にしみる幸福を感じられるのです。そのような基盤の上で世界と連結されて、初めて自由で幸福な天国が形成されるのであって、環境がいくら整えられたとしても、自らの問題が解決されていない立場にいれば、いかなる幸福な環境にも和合できないのです。

 

32 平和世界に向かう道は、二つの方向から一つの方向に向かうのです。今まで心と体の二つが闘ったので、全世界が分裂するようになりました。この心と体が分裂して世界的に展開したのが、宗教世界と政治世界です。この二つを平面的な世界圏にして統一することにより、一つの方向に一体化した世界的な平和圏が生じるのです。堕落していなかったなら、アダムを中心として世界平和の基準が可能です。堕落とは方向が反対です。地獄に行くのではなく、天国に行きます。神様と父母様を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に展開していきます。そのようになれば、すべて天国の所属になるのです。

 

33 天国を成し遂げるための一つの重要な標準とは何でしょうか。天国を成し遂げることができる一つの要因とは何でしょうか。それは統一です。統一という原則過程を経なければ、天国は実現されません。一つになるところでのみ、天国はできるのです。人間が願う平和や幸福というあらゆる要件も、一つになるところで成し遂げられるのです。心と体が一つになっていないところでは、いくら「私」が幸福になろうとしても、幸福になれません。いくら平和の基準を維持しようとしても、維持できないのです。ですから、ここで一つになることが何よりも重要だというのです。

第三節 家庭の平和

 

1 男性と女性が愛し合うようになれば、その家庭は、平和の家庭になります。父母と子女の間も同様です。国も同じであり、すべてそうなります。このような原則をもった幸福の日を、人類先祖がもち、人類がもたなければならなかったのですが、今までもつことができませんでした。男性と女性が一つになるところ以外に、完成基準はありません。

 

家庭は平和の基点

2 宗教の目的とは、万民が善の人になって、平和に生きていける一つの世界を成し遂げることです。平和の条件は、どこかの国際的な政治家たちの手によってできるものではありません。ですから、何かの政策や主義によって世界に平和が来る、というのは不可能です。さらに、軍事力によって世界の統一と平和が来る、というのは不可能なのです。平和の基点を発見できる根拠地、幸福の基点を発見できるその根拠地とは、皆さんが暮らしている家庭なのです。

 

3 人間は誰でも、家庭で泣いている父母よりは、笑っている父母に侍って暮らしたいと思います。笑って生きる兄弟と共に暮らしたいと思います。それでは、どのようにすれば、笑う父母に侍って暮らし、笑う兄弟と暮らせるのでしょうか。世の中でいう夫婦とその父母を中心とした家庭ではなく、全人類と全世界の父母を中心とした家庭にならなければなりません。世界を代表し、万国を代表できる家庭の軸は、どこにとどまるのでしょうか。誰でも平和な家庭を求めているのと同様に、絶対的な神様がいるならば、その方もやはり絶対的な平和の家庭的基準を求めてこられるのです。

 

4 男性と女性が一つになれば、どうなるのでしょうか。神様と縦的に一つになった男性と女性が結婚して、心と体が一つになるときは、天理大道の創造原則に適合するので、神様の愛を占領するようになります。神様の愛をもつことができるというのです。軸ができます。

結婚は、なぜするのでしょうか。神様の愛を中心として神様を占領し、愛を中心として男性と女性を統一するためです。天下の起源、平和の起源がここから始まります。真の愛の本質は、父が母のために生き、母が父のために生き、兄が弟のために生き、弟が兄のために生きることです。ために生きる愛で一つになったところに、永遠の神様の愛が臨在するので、その家庭は、永遠無窮の永生的家庭になるのです。

 

5 一つの家庭において、夫婦が互いに相反する立場を固守するときは、その家庭に平和はあり得ません。必ず主体的な立場である一つの中心を基準にして、その中心と相対が一つにならなければならないのです。主体と対象の関係において、誰が中心にならなければならないのでしょうか。主体が中心にならなければなりません。対象は主体を中心にしなければならず、主体に自分を連結させなければなりません。そうしてこそ、自分が対象としての目的を成し遂げることができるのです。ところが、主体が対象の立場に立って行ったり来たりすれば、一つの目的を成就できないのです。結局、一つの家庭で目的を成し遂げようとするなら、その家庭の内外が一つにならなければならないのです。

 

6 平和の世界は、どのようにすれば訪れるのでしょうか。第一の条件とは何でしょうか。一つになる起源を探さなければなりません。それを探し出すことができなければ、統一の世界とは永久に離別です。家庭が一つになる前に「私」自身が一つになったのかと尋ねれば、一つになった「私」を発見することができないというのです。心と体が闘っているとき、個人が幸福になることはできず、夫婦が幸福になることはできません。平和ではありません。希望ではありません。

終わりの日になればなるほど、心の分野と体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれるのです。心と体が二つずつなので、四つに分かれて互いに争うのです。心を中心として一つになろうとしても、体と闘うので、心は逃げださなければならないのであり、体を中心として一つになろうとしても、心と体が闘っているので、心はまた出てこなければなりません。どこにも根拠地を置くことができません。この地において、平和の基点を探せないのです。

 

Luke Higuchi