天聖経: 第302話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第十篇 平和思想
第二章 平和はどのように成されるのか
第二節 心と体の平和 4-16
心と体の闘争
4 神様の愛の理想の園と反対となるこの世界は、実体的に分立と紛争が絶えない世界です。愛を中心とした平和の理念が具現された真理の世界ではなく、サタンが寓居して天倫を破壊する世界であり、妬みと嫉妬によって闇争と分裂が絶え間なく起こっている世界です。天性、すなわち本然の理想の園を訪ねようとする皆さんの心の中に、猜疑と嫉妬心がありますか。また、紛争と分裂の心がありますか。これが残っているならば、皆さんは決して本然の理想の園を探せないでしょう。
5 堕落は、自分を自覚したところから始まりました。堕落は人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃して神様の根本問題を知らなければなりません。神様を中心とした愛のために生きる、すべてのもののために生きる根源を探し出さなければなりません。そのようにしなければ、平和の根源を発見することはできません。平和の根源を発見できなければ、平和の世界は探し出せないのです。
6 神様の血統を受け、永遠に神様の愛を受けるべき体が、神様の怨讐であり、本然の人間の前に怨讐である悪魔サタンの血を受けて、地獄に引かれていく恨めしい立場にあるという事実を、今まで知りませんでした。言い換えれば、神様を中心として、平和な天国で理想的に楽しく暮らせる家庭に、サタンが襲いかかり、不幸と地獄の世界をつくったというのです。
7 心と体の闘いは、核戦争よりもっと恐ろしい戦争です。その戦争には休戦もありますが、ここには休戦もなく終戦もありません。私たちの人生がこの地上に存続し始めたその日から終わる時まで、私たちの心の底では休戦もなく、戦争が続けられているのです。このような人々が家庭を形成し、氏族を形成したので、一層闘うようになり、このような民族と民族が合わさったので、もっと闘うようになり、国家と国家が闘うようになりました。今までの人類歴史は、戦争につながった歴史でした。一月として戦争のやむ日はありませんでした。その闘いの根拠地は、心と体です。心と体が闘いの根拠地となって、個人、家庭、氏族、民族、国家がそのようになったのです。
8 いくら恰幅の良い人だといっても、その人を分析してみれば、金某ならば金某として、内外で闘争をしているというのです。絶えず、内なる人と外なる人が対決をしているというのです。これは否定することができません。皆さんの中では、いつも善の心と悪の体が闘っています。この闘いが問題です。
この闘いの出処はどこでしょうか。起源はどこでしょうか。この闘いは、堕落人間が生まれたその日から発生したのです。今後もこの闘いは、数万年後まで続く可能性が多分にあるのです。
9 今、皆さんは闘っています。自分の一生を中心として大砲を撃っているのです。世の中と向き合う前に、皆さん自身の心と体が闘っているのです。これをいかにして平和にするのでしょうか。この闘いで体が勝つのでしょうか、心が勝つのでしょうか。「私は間違いなく心が勝ちます」と言える人にならなければなりません。心が勝つ人は善の側であり、体が勝つ人は悪の側なのです。
10 今まで人間は、自分自身の心と体を中心として闘争の過程を経てきました。一日として、平和を成し遂げ、統一を成して、天倫に従うはっきりした目的に向かって走っていったことのない人間だというのです。心と体が闘いながら今までの歴史を支えてきたので、結果的に、このような二つの世界に分かれざるを得なかったというのです。
11 本来、人は生まれながらにして心と体が闘う存在であるとすれば、人間における理想や平和や思想などというものは、すべて空論です。それは、すべて無駄なことです。本来、人がそのように生まれついたのでなければ、それは可能ですが、もともとそのような人として生まれているとすれば、無駄だというのです。これは、理論的に合わないことです。
人は、あくまでも原因的存在ではなく、結果的存在です。何ものかによって生まれたので、その結果的存在は、原因と一つにならなければなりません。原因と結果が異なることはあり得ません。結果は、原因を内容として現れるものなので、原因と結果は通じるのです。ですから、過程も一致しなければなりません。それが科学的なのです。
12 神様の根拠地である本心は、天国の見張り台であり、サタンの根拠地である体は、地獄の見張り台になっています。この本心と体が国境線になっています。その境界線で銃声が聞こえてくるのです。それが皆さんの本心の声であり、本心と体が闘う声なのです。この戦争を除去するまでは、神様の息子になることはできず、天の国にも行くことはできません。また、そのような基盤をもたなければ、天国や理想世界というものが訪れることはあり得ないのです。
13 私たちの心と体は、神様とサタンの善悪の対決の場となって、熾烈な争いを繰り広げています。先生も、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」という標語を立てて身もだえした人です。この習慣性を、どのようにするのでしょうか。韓国人は、コチュジャンとみそを食べなければなりません。これを克服できるのでしょうか。昼は仕事をしなければならず、夜は寝なければなりません。寝ないでいることができるのでしょうか。これが問題です。眠りを克服しなければならず、空腹を克服しなければならず、男性が女性に対して、女性は男性に対して克服しなければなりません。
14 私たちの体は、サタンの王宮です。それゆえに神様は、「自分に勝ちなさい、自分を征服しなさい」と教えられるのです。「私」から一つになる道を模索しない限り、世界の平和統一は絶対にあり得ません。今日、世界の人類は、外的な世界において、民主世界を中心として、あるいは共産世界を中心として、「一つにしよう、統一しよう、平和の世界をつくろう」と言っていますが、誤った考えです。私たちの心と体が闘ったままでは不可能です。外的に一つにしたとしても、内的には、自分の心と体が闘っていれば、不可能なのです。
15 私たちは、良心も生きていて、体も生きていると自負していますが、善の中で生活できないサタンの捕虜となっているので、死んだ者です。ですから、私たちを取り囲んでいる鉄格子を壊して出てこなければなりません。また、私たちの心の中や周囲には、二人の主人がいて、平和などあり得ず、苦痛が連続しているのですが、ここにおいて、人生の道を探し求めていくべき私たちがもつべき覚悟と決意とは何でしょうか。私たちを取り囲んでいる鉄格子とはほかならぬこの体なので、良心を動員してこの鉄格子を押しのけて出てこなければなりません。その時が終わりの日なのです。
16 平和と平等は、全人類が願う共同の目標です。その世界は、何から出発するのでしょうか。相応し相合する道と真理から出発しなければなりません。ですから、新しい真理とは何でしょうか。天と地が相応することができ、上下、高低、前後、左右を問わず、立体的な世界にとどまるいかなる存在とも相応できる原動力と内容が備わった世界観と人生観と生活観をもった主義だけが、人類世界の終末に残る、絶対的な真理なのです。歴史は、相応から出発したのではなく、相克から出発したので、この歴史は、破綻と悲哀で幕を下ろさざるを得ません。相応の理念をもって人類を呼び求めている一つの絶対者がいないとすれば、人類の歴史は絶望と言わざるを得ません。