天聖経: 第301話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第十篇 平和思想
第二章 平和はどのように成されるのか
第一節 平和世界実現の段階 8-15
第二節 心と体の平和 1-3
8 第二次世界大戦や、今のロシアとアメリカが問題ではありません。自分の中で永遠に続くこの戦争を、いかに平和へとひっくり返してしまうかが問題です。これは、この上なく重要だということを知らなければなりません。これができなければ、世の中が平和世界になっても、地獄になります。先生がこの道を出発する時、第一の標語が、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というものでした。自分自身を主管できない人は、世界を主管することはできないのです。
9 堕落した運命圏の子孫として生まれた私たちには、個人を犠牲にしなければ家庭を連結させる道はありません。個人を投入しなければ、家庭に平和の基地をつくる道はありません。家庭のために犠牲になろうという精神基盤がなければ、その家庭が民族と世界に前進できる基地になることはできません。安息の基盤になれないのです。ですから、家庭全体が民族を経ていく基地にならなければなりません。民族を経ていこうとするので、一族を導いていかなければなりません。
10 イエス様は「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七・二一)と言いました。天国は自分の心にあります。心自体を中心として見るとき、天国は統一された世界なので、心と体が統一された基盤になっていなければ、臨在することはできないのです。
ですから、統一教会は、世界統一を主張するのではありません。世界統一の前に国家統一がなければならず、国家統一の前に民族統一がなければならず、民族統一の前に氏族統一がなければならず、氏族統一の前に家庭統一がなければならず、家庭統一の前に個人統一がなければならないのです。最も根本になる心を中心として、個人統一をしなさいというのです。
11 統一の内容は簡単です。自分の心と体が一つになればできるのです。そのように一つになったものが家庭と一つになれば、平和な家庭になるのです。そのように一つになった家庭が社会と一つになるとき、その家庭は社会において、誰にも恥ずかしくない幸福な家庭になるでしょう。そのように一つになった社会が国と一つになるとき、それは国において、誰も否定できず、尊敬せざるを得ない統一圏が展開するでしょう。さらには、世界人類と間違いなく一つになったというとき、そのような人たちを通して地上に天国が成し遂げられるのです。
個人から出発する平和の八段階
12 今後、全体的な摂理を担当する宗教があるとすれば、その宗教は、霊界までも解怨成就し、蕩減してあげなければなりません。この地上にいる人類、世界の問題だけではありません。霊界の問題までも解決してあげてこそ、世界に平和の時代が来ます。霊界の問題を解決し、その次には神様までもお迎えして玉座に座らせてさしあげてこそ、永遠無窮な地上・天上世界になります。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで八段階なのです。
13 天を第一とする中心的な存在が歩む道において、その個人は、何のための歩みをするのでしょうか。個人のための歩みではないでしょう。その個人は、家庭を経ていかなければならず、世界に向かう道を行かなければなりません。その個人が、世界だけでなく、天地を統一し、神様と永遠の愛で一つになる勝利のひと時を迎えるようになる時、初めて人間の願う愛の世界、平和の世界が展開するのです。
14 人間は、紛争に連結されている歴史の結果体です。それで、全体をひっくり返して新しい結果をつくることが難しいというのです。自分を中心として、そのような紛争の世界が延長されるので、平和を求める人としては悩まざるを得ません。個人を基準として悪を考え、善を考えるのです。個人を中心として善悪の闘いが起こります。さらには家庭を中心とした紛争、氏族を中心とした紛争、民族を中心とした紛争が起こるようになります。それがもう少し大きくなれば、民族を越えて、国家同士で闘うのです。そのようにぶつかることによって、世界の平和はさらに難しくなります。個人から見れば、個人の平和圏が世界まで連結されるので、家庭の紛争圏、氏族の紛争圏、民族の紛争圏を越えなければなりません。統一教会で言う、八段階の境界線の壁を越えなければならないのです。
15 神様も独りでは絶対に愛の理想を成し遂げることはできません。神様は、腹中期、幼児期、少年期、青年期、夫婦、父母、祖父母、王という八段階の主人にならなければなりません。しかし、そのすべてのものを堕落のために失ってしまいました。神様がその八段階の愛のモデルを立てなければならなかったのですが、堕落のためにすべてのものを失ってしまったのです。それを私たちがつくってさしあげなければなりません。それで、私たちが神様の愛のモデルになって、息子、娘をもつようになっているのです。
第二節 心と体の平和
1 皆さんが暮らしている所は、すべて争いの群れです。心と体が争っているので、夫婦を合わせれば、四人の争いの群れになります。十人の家族が暮らせば、二十人の争いの群れになり、三十六億の人類が暮らせば七十二億の争いの群れです。この中では、平和を夢見ることはできません。神様は、知恵があり、このような道理と事情を御存じなので、平和の基点をどこにおいたのでしょうか。宗教を通して、個人を中心としてこのような運動をするのです。それを見れば、神様は偉大な方だというのです。平和の基点を世界においたのではなく、国においたのではなく、氏族においたのではなく、個人においたというのです。
個人の心と体の平和を永遠の基点にして、そのようにできる男性と、そのようにできる女性を誕生させ、この地上に一組の男性と女性が完全に統一され、完全なプラスの男性と完全なマイナスの女性が神様の愛の力を中心として完全に一つになった家庭が現れたならば、誰がそれを引き離すでしょうか。そのようにできる力の母体であり、神様の愛を中心として連結された家庭の基盤が、まだこの地球星には顕現していないのです。
2 宗教は、個人の生死の問題を決定するものです。私が死ぬか生きるかという問題、私の心と体の平和の基準、私の心と体の解放的自由権をもつことが問題です。それが解放された立場に立ち、自主的な自由権を探し出してこそ、社会解放、国家解放、世界解放があるのです。そこには理論的な矛盾がありません。ところが、心と体が互いに毎日のように闘うのに、自由を見いだすことができるかというのです。
3 人類は、平和の世界を願っていますが、数千万年たっても平和になっていません。堕落人間ではできないのです。平和の主人とは誰でしょうか。家庭が平和になるには、平和の主人である父と母が平和の原因と平和の内容、生活方法を教えなければなりません。その前には、永遠の平和を見いだすことはできません。
人類の先祖は平和を実現しましたか。アダムとエバは怨讐になりました。その怨讐の血統を受けた皆さんは、心と体の間に闘いが起こっています。心と体がなぜ闘うようになったのでしょうか。心と体が闘うようになったのは、平和の本源地を失ったか、破壊されたためです。心と体の平和の基準を見いだせない人々が、平和をどうして探し出すことができますか。闘う人は、家庭から追い出され、国家と世界から追い出されるようになります。今日、人類全体が、心と体が闘っているのに、天国に行くことができますか。いくら修養しても行けません。ですから、宗教の目的は、心と体を統一するところにあるのです。