天聖経: 第276話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ

第二章 氏族的メシヤ

第三節 氏族的メシヤの役割 29-32

第四節 還故郷と氏族的メシヤ 1-5

 

29 統一教会の教会員は、今まで何をしたのでしょうか。社会のすべての圧政と迫害を受けながらも、それを越えてきました。越えていくとき、「私だけが越えるのではなく、家族を率いて越えていこう、私たちの氏族と三千万民族を率いて越えていこう」というのです。これが統一教会主義です。

それで、私たちは「嫌だ」と言う三千万を動かして「良い!」と言わせ、三千万が逃げていく所に行って、主人の役割を担おうというのです。すべて反対です。「あなたたちは食べて楽しむが、私たちは飢えても楽しむ。あなたたちは飛行機に乗って喜んでいるが、私たちは歩き回りながらも喜ぶ」というのです。私たちはそのようにしてきました。そのように進んで倒れることなく、この国が終わりを迎えて必ず解決する日が来るので、その時まで行ってみようというのです。真のものと、強いものは残ります。これは天則です。また、神様は、御自分の側のものを残すので、私たちは神側に入籍しなければなりません。

私たちは、この道を行こうとするとき、家庭が反対すれば、家庭を乗り越えていき、社会が反対すれば、社会を乗り越えていかなければなりません。必ず行かなければならない目的地は本郷の地です。

 

30 真の父母がいなければなりません。み旨を訪ねていく運動を教えてあげ、本郷の地でこの億兆蒼生の本然の真の父母を紹介してくれる宗教が出てこなければならないのです。全人類は、真の父母の子孫になれず、悪の父母の子孫になったので、再び神様が保障する真の父母の関係を結ばなければなりません。これを儒教、仏教、道教では天地父母と言います。真の父母と関係を結び、真の父母が立てた道の門を通りなさいというのです。

その次には、万民が真の兄弟になりなさいというのです。その父母の血肉を通し、その父母の心情と事情と願いが一致した場を通して、兄弟になるのです。その兄第の理念をもって出てくる人は、今までの世の中の血縁同士が、いくら仲が良く、幸福だとしても、真の父母の血肉の関係をつないでおけば、一気に解放されていくのです。その真の父母に会うときは、世の中の父母が問題ではありません。世の中の父母も、その父母を訪ねていかなければならないのです。訪ねなければ滅びるのです。

 

31 「私」の良心は、生きる道を知っています。かぐわしい香りを嗅げば、心がうれしくなります。それはなぜでしょうか。そのようにできているからです。「私」の心も同じです。私の心がうれしいというのは、既にその香りを嗅いでいるのと同じなのです。心が無性にうれしいのです。宣伝が必要ありません。行くだけでもうれしく、会わなければ会いたくなるのです。

そのため、今日、この世の中の嘆息圏内で「ああ、行きたい!」と切実に訴えるのです。知らず知らずのうちに心が行きたいと思うのです。その行きたいと思う所が本郷の地です。

なぜ行きたいと思うのでしょうか。「父母がいて、兄弟、親戚がいて、私の国があるので行きたい」と思うのです。「そこに私の福地、私の安息所がある」ので、行きたいのです。

 

32 神様は、万民が会いたいと思う方です。その方がいらっしゃる所は、万民が行きたいと思い、万民が一緒に住みたいと思う所です。幸福な所、理想の本郷は、どのような所でしょうか。行きたいと思う所です。そこには会いたい父母がいて、兄弟がいます。ですから、行って会い、永遠無窮に離れずに一緒に幸福を謳歌しながら暮らしたいというのです。そのような本郷の地を失った人間は、いずれにせよ、そこを訪ねていかなければなりません。

第四節 還故郷と氏族的メシヤ

 

1 私たちは、還故郷して真の故郷に帰っていかなければなりませんが、故郷とはどこでしょうか。真の故郷は、愛のある所です。故郷は、「私」の動脈の血が歴史と共に動く所です。私が成長するとき、その地方のすべての要素を吸収して大きくなったからです。私の細胞と共に、血と共に、心臓の鼓動と共に躍動する所です。愛の感情を抜き去ることのできない、深い内容が隠れている所が故郷です。故郷に行けば、誰を訪ねていくのでしょうか。故郷を訪ねるときは、父母の懐が慕わしくて訪ねていくのです。

 

真の故郷と先祖の役割

2 宗教は、人間が故郷を追求することに対して、多大な貢献をしました。天国に行こう、あるいは理想世界に行こう、極楽世界に行こうと言いますが、そこは私たちが暮らしているこのような所ではありません。私たちが永遠に暮らせる本郷の地です。正にこのような面において、宗教は本郷を追求することに貢献したのです。

それでは、そこは、どのような所でしょうか。すべての条件が備わっている所です。心と体が少しも不足を感じない完全無欠な所です。そこを人類は今、追求して進んでいるのです。しかし、いくら故郷に行くといっても、喜んでくれる人がいなければむなしいのです。

 

3 この地球星には、いまだ真の故郷が生まれていません。宗教的に見れば、そうなのです。真の故郷が生まれていないのです。ですから、真の故郷には真の父母がいなければなりません。真の故郷の家において主人になるべき方は真の父母であり、その真の父母は、真の男性と真の女性が、真の愛を柱として結ばれた夫婦を意味します。愛の柱に縛られて自分の思いどおりにできず、一生の間、それをつかんで暮らす父母がいなければなりません。そのような真の父母でなければなりません。真の父母がいて、真の愛で愛してこそ、真の息子、娘が出てくることができるのです。

 

4 堕落によって、天の側が次子の悲しみの立場に立ったので、人間たちのために長子権を回復させるのですが、神様の思いどおりにはできないのです。この氏族を世界個人的長子権復帰、世界家庭的長子権復帰、世界氏族的長子権復帰、世界民族的長子権復帰、世界国家的長子権復帰、世界的長子権復帰をしてこそ、堕落していないエデンの園においてサタンの讒訴圏を抜け出した本然の家庭出発が始まるのです。これを見れば、私たちは故郷を失った民です。故郷を失った民が、故郷を訪ねて帰るのですが、これほど難しいとは思いもしなかったというのです。

 

5 蕩減復帰路程において、メシヤが来てすべきこととは何でしょうか。世界史的な蕩減基準を越えたところから、アダムの堕落圏以上のところから神様の摂理が出発するようになっているのであって、アダムが堕落した以下のところから神様の摂理が出発することはできないのです。今まで故郷に帰れる道が、アダムの堕落によって塞がっていたので、故郷に帰ろうとすれば、アダムの代身者が来て、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減条件を設定しなければなりません。そのようにしなければ、帰ることができないのです。

 

Luke Higuchi