天聖経: 第296話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十篇 平和思想

第一章 平和とは何か

第一節 平和の概念 1-12

1 今、この世界における最も緊迫した課題とは何でしょうか。世界戦争は始まっても終わります。国家間の争いも終わりの日になれば終わるのですが、永遠に続く戦争は、心と体の闘いです。心を中心として体を完全に征服する、そこに平和の基準があるのです。父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、父子が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる平和の基地ができるのです。その平和の基地が個人を越え、氏族を越え、民族を越え、人種を越えて、世界の果てまでできてこそ、世界平和が実現されるのです。ですから、人間改造革命が必要なのです。

 

平和の王しい意味

2 平和を成し遂げるというのは、主体と対象が互いに一つになることをいいます。「平」の字は英語ではホリゾンタル(Horizontal)であり、「和」の字はハーモニー(Harmony)という言葉です。それは中心と相対が相反するのではなく、和合していくことなのです。

 

3 歴史始まって以来、人類は、平和を念願してきましたが、この地には、依然として戦争が存続しています。不幸にも、強大国や権力者たちは、時として「平和」という言葉を誤用してきました。彼らは、平和を語りながらも、実際には、人々を平和でないものによって苦しめてきました。特に共産主義者たちは、挑発しながらも、「平和」という言葉を口癖のように使ってきました。

このように、「平和」という言葉は、不義を実現する手段として何度も利用されてきたのです。真の平和は、知識や富、そして社会的地位や政治的権力のような外的な条件にかかっているのではありません。世の中では、世界的関心事を公平に判断する絶対的基準がないので、変化する世界の中で衝突する利害関係に縛られ、真の平和の維持が不可能なのです。真の平和は、真の愛の基盤の上にのみ立てられるのであり、愛の関係は、人類を一つに結ぶ神様を中心とした絶対価値を理解するときにこそ、体験することができるのです。

 

4 和平や平和というものは、今まで長い歴史の期間を通して、全世界があらゆる手段、方法を動員し、ありとあらゆる努力を注いできましたが、ある一国家の政治力や経済力、軍事力だけでは、完全に解決できる問題ではありませんでした。問題は、最も近い家庭から氏族、民族、国家、そして世界を越えて天宙までも含めて通用する根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。

 

5 平和というものは、どこにおいても、しわ一つない平らな状態のことをいいます。すべて平らなものとして和合するということです。一〇〇パーセント和合すれば、円形になります。土をこねて転がし続けていけば、丸くなります。ぱんぱんに張って丸くなるので、結局は最高の円形が作られるのです。しわがなく、何であろうといっぱいに満ちていないものがなく、完全に充満して円形を作るのです。

 

6 神様は、絶対者であられ、唯一の方です。その唯一の方は、完成の基準を自分お一人におかれたのでしょうか。そのようにしたとすれば、大変なことになるのです。

喜びと幸福というものは、一人を対象として語る言葉ではありません。幸福も、相対的関係を対象として語る言葉です。母と子の間において、二人が一つになるところに幸福があるのです。「平和」という文字自体が、平らに和合するということであり、既に相対性を含んでいるのです。

「平和」や「幸福」という言葉は、独自的な立場を対象として語る言葉ではなく、相対圏との関係を対象として語る言葉なのです。

 

7 「平和」とは、相対的な言葉です。二つは和合することによって平らになるのであって、「独平」ではありません。相手と同等の立場において、お互いに好意をもってこそ幸福だというのです。「自由だ」と言っても、愛を除いて自由がありますか。愛があってこそ無限の自由があります。そして、愛をもってむち打つ独裁者のような人になったとしても、それは誇らしいことなのです。

 

8 平和は、水平になって和合することをいいます。平和は、独りで成し遂げることができません。これは、上下関係、左右関係など、すべてが和合して喜ぶことができ、すべてのものが片寄らないで円満でなければなりません。そうしてこそ、平和だというのです。

 

平和と愛

9 神様も、独りでいれば不幸です。私たちと同様に、独りでは寂しいのです。ですから、神様も絶対的な真の愛を好むといえば、理論に合います。神様より高い愛、絶対的な存在より高い愛を望むというのです。神様が一番必要なものとして、より絶対的で高い愛を願うとすれば、そこに神様も絶対的に服従しなければなりません。

宇宙の存在の根源とは何でしょうか。絶対的な存在ではなく、絶対的な存在を一つにすることができる絶対的な愛が宇宙の存在の根源となり、起源になれば、この天地は平和の世界を造成できる、という結論を禺すことができるのです。そのような愛ゆえに、すべてのものが宇宙に存続し始めたという結論を出せば、愛ゆえに平和と理想も顕現するという論理が、自動的に出てくるのです。

 

10 生命の源泉であられる神様は、どのような基盤の上で生きることを願うのでしょうか。平和の基盤の上で生きることを願うでしょう。平和の基盤は、生命が設定するものではありません。主体と対象が高低を超越し、共通的価値を認定できる秩序的段階を超越した、その何かです。それが真の愛です。

神様は、真の愛の土台の上で生命をもち、真の愛の土台の上で全知全能でなければなりません。それでこそ、神様は歴史を超越した立場に立った理想的な主体になることができるのであって、生命の力だけで主体的立場に立つならば、すべての万物が一つになることはできません。小さな動物や植物も、すべて愛の主人が自分を育てることを願って、愛の手を差し伸べてくれるのを喜ぶというのです。

 

11 今日まで人間は、輝かしい科学の発展を遂げることによって、創造的な生活面においては神様に似るようになったということができますが、愛の生活においては、全く神様に似ることができていません。ですから、悲しみと苦痛と不幸が継続しているのです。愛は調和なので、愛がないところに調和はあり得ず、調和がないところに平和や幸福もまたあり得ません。ここから数々の悲惨な光景が展開するようになるのです。

神様も人間も、神様に似た理想的な生活、理想的な世界を願っています。神様が願い、人間の本心が願う理想的な人間は、創造的であると同時に、神様を中心とした愛を実践する善の人間です。また、神様と人間が望む理想的な世界は、環境を改善する創造的活動がなされながら、個人と個人、国家と国家の間に愛が満ちあふれる、大調和の統一世界です。このような新しいタイプの人間が、新しい統一世界で生活できるようになる時、永らく人間を困らせてきた一切の悲しみ、苦痛、争いは、初めて永遠に跡形もなく消えるようになるのです。

 

12 何を中心としてこの世界を収拾するのでしょうか。今日、これについて、歴史家たちも主張し、現在の知性人たちも主張していますが、まず世界を指導できる人が必要です。それでは、何を指導するのでしょうか。経済力を中心として指導できる能力のある人は、いくらでもいます。政治的な立場を中心として指導できる能力のある人も、いくらでもいます。お金がなくて、それができないのではなく、政治体制がなくて、それができないのでもありません。神様と神様の理想に通じる、愛の秩序がないのです。本然の愛の秩序が世界的基盤の上で成長する真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源ができ、人間の本心が安息し始めるのです。

Luke Higuchi