天聖経: 第292話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ
第三章 教会長の道
第五節 教会長と伝道6-16
6 教会が発展できない原因は、どこにあるのでしょうか。それは、伝道した人に、最後まで関心をもってあげられないからです。伝道した人に対して、時がたつにつれてだんだんと、さらに関心をもたなければならないにもかかわらず、伝道するときは関心をもっても、伝道をしてからは無関心になるというのです。少なくとも三年までは、どのようなときでも関心をもってあげなければなりません。
なぜでしょうか。人の心霊の程度は徐々に発展します。初めて原理を聞いたときと、一年後の立場は違うというのです。一年が過ぎれば、原理の内外に対する立体的な内容を理解するようになります。それを理解すれば理解するほど、原理について知りたい気持ちがより強くなるのです。それで、自分を指導できる人と接近したいと思うようになるのです。このような人に時間をもっと投入し、細かい計画を立て、内面的に渇望するその心を解決してあげなければなりません。
7 教会が発展できないのはなぜでしょうか。それは責任者が、他のために生きるという内容をもって生きることができていないからです。ですから、霊界から協助しないのです。責任者は、食口に命令することは知っていますが、食口の使いをすることは知らないというのです。問題はそこにあります。自分の生活の九五パーセントを人のために生きようという責任者がいないので、発展できないのです。
8 伝道とは、サタン世界を捨てて、喜びながら天の道に従ってくるようにすることです。天の国に導くのです。皆さんを見れば、伝道すると言って、その人が喜ぼうが喜ぶまいが、ただ無理やり「来なさい、来なさい」と言っていますが、それではいけません。人は霊的存在です。
皆さんは、ある一人の人に対して祈り、一度実験してみなさいというのです。ある一人の人をこの上なく愛し、その人をみ旨の前に立たせるために、苦しい心情をもって涙を流してみなさいというのです。そして、研究してみなければなりません。本当にその人の父母が愛する立場以上の場に、「私」がどのようにして行くのかということが問題です。これが闘いです。その人の父母以上の心をもち、私がどのようにしてその人を占領していくのか、これが問題です。
9 アベルがプラスならば、カインはマイナスです。サタン世界に対して私がプラス、アベルの位置にいるのです。伝道は、サタン世界のプラスが天の世界のマイナスになるように、服従させることです。創造するのです。私と一つになれるようにする再創造です。嫌々やってはいけません。喜んでしなければなりません。神様は、天地創造をするときに喜びでもって造られたのです。悲しみで造られたのではありません。
ですから、自分の困難なことや大変なことよりも、それ以上に驚くべき愛を与えなければなりません。自分が全体のためにいると考えるときは、全体のために与えようとすれば、その人が全体の前に主体となります。再創造になるのです。投入するのです。再創造がすべて終わったあとに、自分が主体になるのです。その主体の前には、全体が喜んで頭を下げるのです。
伝道方法と姿勢
10 どのように伝道をすべきでしょうか。毎日のように、がむしやらに歩き回るのではなく、百軒回ったらそのうちの十軒を選び、その中から再び一軒を選んで、集中的にみ言を伝えなければなりません。一ヶ月に一人伝道することを目標に動いてみなさいというのです。そのようにして一ヶ月で一人伝道したならば、その人が一ヶ月間、精誠を捧げ、苦労したということは、間違いのない事実です。
ですから、一人が伝道されたのであれば、その次は伝道されたその人に、「あなたも自分の親戚に対して、私があなたにしたように精誠を尽くしながら伝道しなさい」と言わなければなりません。そのような伝統を立てて指導すれば、間違いないのです。このように、一ヶ月に一人ずつ伝道する一律的な方法で行けば、一人からその次の人につながる横的な伝道が展開し、食口が限りなく増えるのです。
11 皆さんは、「出ていって伝道する」と言いますが、伝道とは何でしょうか。道を教えてあげることです。皆さんは、世界のために、神様のところに帰っていく道を教えてあげるのですから、それはどれほど偉大なことでしょうか。本性の人間を見て、「お前はどこに行くのか」と尋ねれば、「いやあ!世界を通じて天の国に帰っていかなければならない」と言うのです。その道を開拓してあげるのですから、どれほど素晴らしいでしょうか。
12 今まで宗教は、自分の救いという問題を中心にしてきました。そのような宗教は必ず滅亡します。終わりが来ます。今は、いくら世界的になっているとしても、それは必ずもう一度復活しなければなりません。自分一人の生命を救うための宗教と、キリスト教を信じる信徒の目的はどこにありますか。自分が救いを受けて、天国に行こうと言いますが、それではいけません。天国に行くのですが、一人で行って何をしますか。万民を連れていくために、信仰しなければなりません。ですから、「伝道してはいけない」と言っても、伝道せざるを得ないのです。「善を行ってはいけない」と言っても、行わざるを得ないのです。
13 伝道に出るのは、「私」も生き、カインも生かすためです。言い換えれば、伝道は、神様とサタンに認証書をもらって、実践するために歩む道です。私が闘うのは、認証書をもらうために立てておいた条件のとおりに実践するためです。皆さんはそれを知って道を歩まなければなりませんが、今までそのように歩んだ人がいますか。何も知らずに行ったり来たりしたというのです。
ですから、一番の怨讐はサタンではありません。自分が一番の怨讐です。自分が怨讐の立場に立っているので、怨讐のサタンが飛びついてくるのです。したがって、皆さんは、いつも自分が怨讐だと考えなさいというのです。怨讐は、私たちの体を通して現れるからです。すなわち、血統を通してサタンと連結されているので、自分の体が怨讐の立場にいるのです。
14 「私」が生命を捧げて悪を屈服させれば、生命を探し出すことのできる神様の愛が私のところに来ます。これは公式です。秤の重りと同じです。片方が下がれば、もう片方は上がります。悪を多く取り除けば善が上がり、悪を多くもてば善が下がるのです。これと同じです。悪を取り除いた分だけ、愛をくれるのです。ですから、神様は、誰よりも神様を愛しなさいと言ったのです。神様をもっと愛しなさいというのは、神様をより愛した分だけ、神様の愛をさらに受けるということです。すなわち、神様を愛したので、神様の愛を受けるということです。
15 伝道するときは、必ず精誠を捧げ、天を抱き締めて涙を流しながら、「私が、きょう出会う人との縁を破綻させる天倫の反逆者にならず、すべての人に歓迎され、ここに動機を呼び起こすことのできる人になるようにしてください」と言わなければなりません。そのような心で伝道に出てみてください。そのようにしないで、晴れない気持ちのままで、村で一番良い人を訪ねていけば、冷遇され、迫い出されるのです。
そのようなことを皆さんが生活を通して体験し、「ああ、天がこのようなところには共にいらっしゃり、このようなところには共にいらっしゃらないのだなあ!」ということを実験しながら判別していってこそ、皆さんが発展し、人格修養にもなり、神様の心情世界に到達できるのです。欲心ばかりを抱いたまま、あぐらをかいて座り、自分の利益だけを考えていてはいけないのです。
16 伝道は、無限に与えながらするようになっています。もし、皆さんがそのようにしたにもかかわらず、彼らが応じなければ、天の呼び出し命令が下されるのです。許されません。善は、蒔いて収めることができないということがあってはならないので、善の人が呼ぶとき、そこに応えることができなければ罰を受けるのです。善が手を広げたのにもかかわらず、その結果が出てこなければ、その村と隣の村まで、サタンの手に巻き込まれていくので、善の縁をもった先祖たちはそのような所へ行き、伝道しようとする人が要求する基準にふさわしい対象者を、自分の子孫の中からかき集めてでも立てようとするのです。これが原則なので、夢の中ででも子孫に教えてあげるのです。