天聖経: 第265話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ

第一章 家庭教会

第三節 家庭教会の完成 23-24

第四節 訓読会と家庭教会運動 1-8

23 皆さんには、父母がいて、息子がいて、万物がありますが、家庭教会はこのようなものを拡大したものです。アダムが堕落することによって、この三つを失ってしまいました。この三つを一度に探し出して、神様のみ前に捧げなければなりません。失ったものを探し、真の父母を通して神様のみ前に捧げなければなりません。失ったものを探してさしあげ、神様が手にしてから父母を通し、再び相続しなければなりません。そうしてこそ皆さんの家が生じ、皆さんの世界が生じるというのです。その土台が正に家庭教会です。これは祭物です。祭壇に三大祭物を捧げるのです。

 

24 家庭教会を宣布するためには、先生が国家をすべて教会化する運動をしなければなりません。一段階先に行くのです。国家教会、世界教会、天宙教会、このように進むのです。教会とは何でしょうか。サタンと神様を分立させる一つの機関です。個人的機関、家庭的機関、氏族的機関、民族、国家、世界的機関です。教会を中心として分かれるのです。

皆さんが定着できていなくても、時代に従って刺激を与え、引き上げてあげられる先生がひもをぶら下げておいたので、今まで残ってきたのです。そのようにしなければ、サタンがすべて引っ張っていきます。家庭教会は、氏族的基盤を拡大するためのものです。氏族的メシヤを中心として氏族を率いるのも、横的な基盤を拡大するためです。先生は、端から、氏族的基盤、民族的基盤、国家的基盤、世界的基盤を築いてきました。

第四節 訓読会と家庭教会運動

 

1 先生のみ言は、先生が語ったのではありません。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は、皆さんがいつどこで聞いても、心が動き始めます。それが違うのです。先生一人ではありません。縦横を合わせたその場で語ろうとしたので、心も体も共鳴体になるのです。振動が起こります。体が振動しても、心が一つになれるので心も振動し、心が感動すれば体に一大革命的変化が起こります。そのような力があるのです。それは先生の言葉ではありません。

訓読会は、「み言を売る」と書きますが、もっていては大変なことになるので、売らずにそのまま与えなさいというのです。物を積んでおいて腐らせれば、罰を受けます。お金をもらって売るより、もっと貴いことが起こるので、売らなくても分けてあげなさいというのです。これが訓読会の本然の意味です。

 

訓読家庭教会と活動方向

2 訓読の「訓」の字は、言偏に「川」の字です。水は、あらゆる生命の要素です。水は緑地帯を造り、空気中に漂う雲を形成し、深く進み、高く動きながら世界を平準化させます。水は平準化させるのです。「読」の字は、言偏に「売」の字です。み言を中心として売りなさいという意味です。売らないのであれば、自分がみ言どおりに行動しなければなりません。水には、流れて大きな川となり、海を形成してこの宇宙を生成する力があるのと同じように、このみ言にはそのような内容があるのです。

 

3 訓読会を通して、訓読家庭が完成します。訓読教会で再び重生、復活、永生してこそ天国に行くのです。家庭から天国に行かなければならないというのです。その家庭から行くべきであって、他の所からは天国に行けません。家庭で平和と天国を成し遂げてから行かなければなりません。それは地上でするのです。

 

4 人は、万物を復帰したあとに愛するようになっています。旧約時代までは万物祭物時代です。新約時代は子女祭物時代、成約時代は父母祭物時代です。神様をこの地に迎えるために、父母が家庭を率いて十字架の道を経てきたのです。地上で家庭教会の祭壇を中心として活動し、精誠を尽くせば、各界各層の霊人が再臨し、地上の聖徒を協助するでしょう。家庭教会が訓読教会に変遷するのです。そして、これからは、氏族加入時代が来ます。個人加入時代ではなく、氏族加入時代が来るのです。金氏であれば金氏、朴氏であれば朴氏が加入するのです。それが過ぎれば、国家入籍時代が来ます。これからは早いのです。目まぐるしいほど早く回っていくのです。

 

5 天国は、家庭を中心として出発するのですから、皆さんが訓読教会の意味を知って実行すれば、それは驚くべきことです。そこに教会があっても、家庭教会です。家庭教会は、心のような教会の上に家庭があるので、訓読教会を発展させるというのです。種を多く蒔いて、たくさんの収穫の実を収めれば、それを天上世界が、もしくは万民が食べて暮らせます。それで新しい出発をして、春を迎えるのです。冬に耐えて生き残り、より高い次元の春の季節を迎え、また発展に発展を重ねることができ、その起源が訓読会をする家庭です。

 

6 家庭に種を蒔き、実が実れば、国を越え、世界を越えて天の国にそれを献納できるのです。その世界が天上天国なので、どれほど多くの実を自分自身が収めて献納するか、ということが人間の最高の目的です。この代価の基準によって、天上世界で皆さんが暮らせる永遠の位置が決定するのです。

投入して忘れ、低いところに投入し、与え、忘れてしまいなさいというのです。より多く忘れれば、必ず返ってくるのです。人間は個性真理体なので、真を受けたならば、真がただそのままなくなるのではありません。人間は精誠を込めた贈り物を受ければ、その受けた以上のものを与えたい思いがあるのです。個性真理体があるので、循環運動により大きなものを授け受けできる環境条件をつくれる基盤、土台が訓読教会です。

 

7 統一教会が認定するからといって、天国に入れるのではありません。手続きを踏み、国民としての生活をしなければなりません。税金を捧げたりしなければなりません。統一教会もなくなり、宗教もなくなり、政治もなくなります。国家もなくなるようになっているのです。先生が生きてきた生活と心情を訓読会で徹頭徹尾、教育することによって、世界は一つの大家庭国家、一つの国家心情世界になるのです。ですから、訓読教会であり訓読家庭です。教会は家庭を求めていかなければなりません。

 

8 訓読会は、宗教と国家基準を越える天一国の務めとして実践するものであり、孝子の中の孝子、天の国の忠臣の中の忠臣の先祖と子孫がこれを仰いでいくのです。天と地が一つになって訓読するそのみ言を通して、再創造された実体完成者として、私たちが家庭理想の基盤を天のみ前にお捧げすべき新しい教育の時代、全体教育時代に越えていくというのです。

Luke Higuchi