天聖経: 第245話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第八篇 信仰生活と修練

第三章 真の父母に似るための信仰生活と路程

第二節 真の父母を迎えるための路程 8-17

第三節 真の父母を通して生まれ変わる路程 1

8 皆さんは、今まで祈る中で、そのまま天国に来ているかのような立場で父を呼び求めましたが、父が深刻な立場にいらっしゃり、父がかわいそうな事情にいらっしゃるように、「私」もかわいそうな事情にいなければならず、表現はできませんが、父のかわいそうな事情が私の事情としてお互いが心で感じられなければなりません。そして、「お父様、私にどんな悲しみがあっても、どんな困難があっても、御心配なさらないでください」と言いながら、子女としての道理を果たし、慰めてさしあげることができなければなりません。

そのような一人がこの地上に現れなければ、歴史的な問題を解決する道がありません。私たちは、この上なく難しい立場に立っても、神様のみ前に同情を願うのではなく、神様に同情してさしあげることのできる立場に立たなければなりません。そのような関係によって歴史時代を経て、磨きに磨かれてきた結晶体がイエス様でした。

しかし、イエス様がみ旨を成就できなかったために、再び来られる主が、そのみ旨を成就しなければなりません。そして、再び来られる主が行くべき道も、その道です。すなわち真の父母の道なのです。真の父母は、歴史的な希望の集約体です。神様が、全体を代表する歴史的な条件的実体として立てたお方が真の父母なのです。

 

信仰基台

9 統一教会は、真の父母を信じることによって、息子、娘を直接教育できる時代に入ったので、皆さんが心を一つにして精誠を尽くし、父母様が願う道に従っていけば自然に一つになり、皆さんの良心は、善し悪しがだんだんと分かるようになります。だんだん通じるようになるというのです。

神様は、ほかのところに存在するのではありません。皆さんは、第二の神様の愛の対象です。神様の愛を受けることのできる息子、娘の立場にいます。神様が「私」の良心に入ってきていることを、いつも考えなければなりません。一体になっているというのです。神様が縦的な父だということを感じなければなりません。それを中心として、一般の生活の中で環境のすべてのことを処理していかなければならないのです。そうすれば、天の国の皆さんの先祖たちがすべて共にあり、天使圏が共にあることによって、アダム家庭の代わりに立派な家庭を完成し、天国に直行するようになるというのです。

 

10 神様がアダムとエバを造られた根本時代を包括して信仰の基準を立てるための中心存在が真の父母なので、真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。創造理想から堕落と復帰全体の世界的基準まで説明し、話だけでなく、それを経験していき、橋を架けてきた方が真の父母です。ですから、先生に旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成がかかっているというのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従で神様が造った相対を堕落によって失ったので、それを取り戻そうとすれば、私たちも絶対信仰、絶対愛、絶対投入するしかないのです。

 

11 アブラハムがソドムとゴモラに対して、隠れた根となる祭壇を積んだのと同様に、自分が暮らす地域とその住民たちに向かって切実に訴えて祈ったアブラハムの燃える心情を、皆さん自身ももたなければならず、アブラハムの苦労の路程で立てられた信仰の基台、隠れた根のような基準を、皆さん自身が引き継がなければならないことを、決して忘れてはいけません。信仰の祖アブラハムの家庭は、神様から祝福の基となることを約束されましたが、これがイサクとヤコブを経てモーセを通して民族的な形態をつくり、イエス様を通して世界的な範囲に拡大しました。アブラハムの天に対する徹底した忠誠心と信仰がなかったならば、この地上には天と接続できる一つの関係も現れることはできませんでした。アブラハムが信仰の祖になることができた隠れた秘訣とは何だったのか分かりますか。ただ天に向かって思慕する心と地のために生きる心が限りなくあったので、天の父との広く深い関係を結ぶ足場をもつことができ、信仰の祖になることができたというのです。

 

実体基台

12 堕落性を脱ぐのは、決して容易なことではありません。数年、あるいは数十年の間に育まれた習慣である酒やたばこをやめるだけでも、二転三転するのが堕落人間の姿です。数千、数万年の間、血統に乗じて根を下ろしてきた堕落性を脱ぎ捨てることが、どうして容易なことでしょうか。人間の努力だけでは絶対に不可能なことです。神様を絶対信仰する基準において、縦的な軸として立てて侍りながら、一生身もだえしても難しい闘いです。神様を自分の父母や子女以上に絶対的に愛する境地で、真の父母として侍っていかなければ、考えることすらできないことです。

 

13 神様が何かを決定するときは、必ずカインとアベルを立ててするようになります。カインを通してでも教えてくださることがあるのです。このような立場から見るとき、悲しみも、苦痛も、死の道も、自分が開拓しなければなりません。自分が最後まで耐え、開拓して越えていくのが復帰の道です。ですから、イエス様も十字架で亡くなってから復活して勝利の基台を立てておき、聖霊を送りました。ここでキリスト教を立てて世界的な出発をするようになったのです。

 

14 世界で完全にカイン・アベルの基準が形成され、一つの主権をもつ理想国家を形成するようになるとき、初めて神様の永遠無窮な理想的地上天国が建設されるのです。統一教会は、そのために前に進まなければなりません。先にカインを導き、その次には父母様の行く道の足場にならなければなりません。父母様の行く道のために、常に足場をつくらなければなりません。皆さん自身がカイン・アベル家庭をつくり、カイン・アベル氏族をつくり、カイン・アベル国家基準を中心として進むことのできる基盤を発展させることができてこそ、その基盤を通して父母様が世界に進むことができるというのです。

 

15 キリスト教は、最後に一緒に残ることができる兄です。ですから、この兄と一つにならなければ、死を避ける道がありません。私たちは、そのような運命に置かれています。神様は、何を望むのでしょうか。統一教会とキリスト教が手を握らなければなりません。なぜなら、原理がそうだからです。カインとアベルが一つになってこそ、父母が登場するのです。カインとアベルを通して父母が復帰されるのです。

カインとアベルが争って決裂することによって、父母も落とし穴に落ちたので、カインとアベルが世界的基準で一つになってこそ、世界的氏族基盤を中心とした父母が出現します。そのようになれば、民主世界にはその統一された基準から一時に世界的な勝利の基盤が広がるのです。

 

16 今日、復帰路程でカインを救援しようとすれば、三倍以上努力しなければなりません。しかし、自分たちが命令するとばかり考えているのであって、命令を受けるとは思っていません。姿勢が違うというのです。カイン・アベルの原則は、そうではありません。アベルは血を流しました。カインの生きる道を築くために血を流したというところに価値があります。そこに貴いものがあり、そこに勝利の基準があります。牧会者も同じです。牧会者自身が、食口たちのためにどれほどアベル的な責任を果たし、人生の最高の目的のように、その一人に生命を傾けてどれほど育ててみたかという問題を、自問自答してみなければなりません。

 

17 カイン・アベルが一つになる勝利的基盤が広がることによって、父母がこの地上に臨在できるのです。父母が現れることによって、私たちが福を受けることができ、天国の新しい出発ができます。「私」独りではなく、父母に侍って天国に入らなければなりません。統一教会で言えば、既に父母は現れましたが、カイン・アベルの世界的蕩減条件において、祝福家庭の基盤の上に、このようなものができていないというのです。

アベル的家庭の代表が勝利して、天の福を受ける者として町内に行けば、その町内の人たちが涙を流しながらひざまずき、「世の中は滅びても、あなたの家庭は福を受けなければならない」と言えなければなりません。悪の世の中にいる町内の人たちがすべてひざまずき、あがめられる家庭になってこそ、長子の位置に立つのです。

第三節 真の父母を通して生まれ変わる路程

 

1 地上世界において、誰もが真の父母の門を通して再び生まれなければなりません。重生という言葉、生まれ変わるという言葉が出てきます。ニコデモが夜にイエス様を訪ねてきて、生まれ変わるということについて尋ねた時、イエス様が、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか」(ヨハネ三・一〇)と言ったのですが、重生は再び生まれるということです。生まれ変わるということです。生まれ変わるとは、どういうことですか。偽りの父母から生まれた人が、真の父母を通して再び生まれることを意味するのです。再び生まれるときに、神様の愛、神様の生命、神様の血統を受け継ぐためには、「サタン世界の愛と、サタン世界の生命と、サタン世界の血縁とは全く関係がない」と言わなければなりません。「それは意識にもない」と言えるようにならなければならないのです。

Luke Higuchi