天聖経: 第4話
第一篇: 神様
第一章: 神様の存在と属性
第二節: 根源であり本体であられる神様 4-21
4 あらゆるものを見ると、対になっています。鉱物世界にも、プラスイオンとマイナスイオンがあり、与えたり受けたりしながら運動しています。花にも、雄しべと雌しべがあります。動物世界にも、雄と雌がいます。近頃は、細菌にも、雄と雌があるという話をしているのです。見えない世界にまで雄と雌がいるというのですから、見える世界はどうでしょうか。雄と雌が自分の意志によって生まれたのでしょうか、他者の意志によって生まれたのでしょうか。他者の意志によって生まれたのです。ですから、私たちは、いくら優秀だといっても、結果的存在であって、第一原因的存在ではありません。私たちは対象的存在にすぎません。
5 人間は第一原因から始まりました。第一原因とは何でしょうか。その名前は何でもよいのです。絶対者なので、そのお方が考える理想は、絶対的理想です。人間は、あくまでも第一存在ではなく、結果的な第二存在です。「私」にとって第一存在は、父母です。父母の第一存在は、祖父母です。祖父母からさかのぼれば、第一存在は、最初の先祖になります。人間の最初の先祖を中心として、神様がいるとすれば、神様にまでさかのぼるのです。
6 神様は、私たちの心の動機になるお方です。人間の第一源泉になるお方です。私たちの理想の起源になるお方です。この起源を除外しては結果が現れません。ですから、神様を除外しては世の中が成り立ちません。父母を失った孤児のような境遇にあるのが、この地上の人類です。しかし、その孤児の前に、失ってしまった父母を取り戻すようになれば、その歓喜の声がどれほど大きいでしょうか。世の中を征服して億万の大金を手にした名将の勝利も、この喜びとは比較にならないのです。心が重要です。いくら勝利を称賛できる立場にあるとしても、父母の前に行かなければ真の子女として立つことができません。
本体であられる神様
7 歴史は個人から出発して世界にまで広がっていますが、どこで終結するのでしょうか。最高善の本体である絶対者と、永遠不変の縁を結ぶ時まで続くでしょう。最高の善は永遠不変なのです。それ以上の発展がありません。今日、この世の中を見つめるとき、生活感情の異なる民族が、だんだんと生活感情を共にしています。また、理念を異にしていた数多くの宗教が、理念を共にする方向に進んでいます。根本は一つです。この絶対的な一つの価値に向かって、歴史は総進撃しています。ですから、現実に現れた価値は、相対的な価値にしかならないというのです。
8 神様は、情、知、意の本体です。そのような神様は、どのような目的意識をもっていらっしゃるのでしょうか。創造してから目的意識をもったのではなく、創造の前から目的意識をもって創造されたに違いありません。もし、そのようなお方でなければ、歴史を収拾することはできません。人間の認識では感じることのできない力が歴史の背後にあるからです。もし神様にそのような目的意識がないとすれば、目的とする世界に、歴史と全人類を導くことはできません。それゆえ神様は、人間が堕落したとしても、堕落していない人間に賦与すべき世界的な目的意識を痛切に感じていらっしゃるのです。
9 神様は、愛のために人間を創造されました。愛は独りで成立するものではありません。したがって、神様が絶対に必要とされるただ一つのものは、その愛を施すことのできる対象、すなわち神様が愛することのできる対象です。必ず相対がいてこそ愛することができます。愛と心情の本体であられる神様は、その愛が動機となって宇宙を創造されたのであり、特にこの期間に、創世記第一章二十七節のみ言どおり、神様に似た実体対象として人間を創造されたのです。
10 愛の究極者は神様です。この愛よりも深いものが心情です。神様は心情の根源者です。ですから、この心情を中心として、み言も、行動も、理念も成立します。そのいかなるものも、単独では成り立ちません。いつも神様から来る縦的な心情が伴わなければならないのです。神様の歴史的心情、時代的心情、未来的心情をもたなければなりません。
11 神様は真理の本体であり、善の本体であり、愛の本体であり、生命の本体だといいますが、それはどういうことでしょうか。みな同じ話です。真理が成立するには、愛と生命がなければなりません。真の真理を語ることのできる人になるには、自らの生命の中に真理に対する意欲と欲望がなければなりません。生命の本体、愛の本体、真理の本体である神様は、人間の父であると同時に母です。核心は父母です。このように見れば、神様は単純で、分かりやすいお方です。
12 真の父母が生まれた国も、永遠に変わりません。永遠に変わらない国の国民と一つになることは、どれほど貴いでしょうか。あらゆる結果的な存在は、永遠に変わらない本体と一つになりたいと思うのです。本体とより近いところと関係を結ぶことが、心情世界の最高の願いです。
13 神様は、私たちが見いだすべき希望の本体であられると同時に、全体の価値を代表する栄光の本体でいらっしゃいます。ですから、神様の全体に対する主管性を復帰するためには、皆さん一個体で神様を所有できなければなりません。神様を迎え得る人にならなければなりません。その神様は、億兆蒼生を造られた神様であり、万物に対する全体主管の行使をなさるために復帰の苦労をしてこられた神様です。したがって、皆さんが神様を所有したとすれば、その神様は皆さんの神様なので、そのお方が永遠であれば皆さんも永遠であり、そのお方が被造世界に対して主管性をもつようになれば、皆さん自体も実体をまとった神様の立場に立って、万物を主管できるようになります。そのような皆さん自体を探し出すことができないとすれば、神様を所有したとはいえないでしょう。
14 今までもってきたあらゆる罪悪の要素を打破してしまうことができ、今まで属していた死亡の権勢から解脱できる信仰の基準をもたなければなりません。そうするためには、皆さんの疑問を解き得る道を探さなければなりません。生命に向かって進んでいける道を探さなければならないのです。もし、このような道が人間の世にないならば、神様は訪ねてこられません。自分の誤りを悟って悔い改められるように良心を刺激させてくれる実存体が神様ならば、その神様が願う最大の希望と生命と人倫の基準を、皆さんが必ず立てなければなりません。そうすることのできる一日、歴史的な終末時代が、いつかは来なければなりません。それでは、このような宇宙的な運命の道を前にして、皆さんはどの程度考えてみましたか。皆さんは、宇宙と、この社会と世界、さらには皆さん自身に対しても疑いを抱き得る環境に置かれています。このような、あらゆる問題を解明してくれる中心存在が神様です。また、人間が心配しているあらゆることを御存じのお方も、神様ただお一人であり、それを解決してくださるお方も、たったお一人の絶対的な存在であられる神様です。
天宙の大主宰であられる神様
15 天宙の中心存在は神様です。その神様は、宇宙的な父母、全体の父母です。このすべての被造世界において、目的としたことを間違いなく経綸していかれるお方が、創造主であられます。その創造主から、父母の心情圏を受け継いで、この地上に生まれるべき人類の先祖が、地の父母です。このように見るとき、天宙を中心として私たちは、三大父母を発見するようになります。永遠であられる天の父母がいると同時に、地の父母がいて、家庭の父母がいます。天の父母と地の父母と家庭の父母、この父母が何を中心として公的な内容の生活をするのでしょうか。物質を中心としたお金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。ただ愛を中心として生活するのです。愛を根本としてあらゆるものを治める主体が、神様であり、地の真の父母であり、家庭の父母です。
16 神様は、人類の父母でもあるお方であり、人類の王の中の王でもあるお方であり、あらゆるものの中心でもあるお方です。世界的な孝子、世界的な忠臣を従えるべきお方が神様です。また、世界的に代表される聖人を従えるべきお方が神様です。このようになれば、神様は最高になるのです。それが別々になるのではなく、そのお一人が父母にもなることができ、国王にもなることができます。すべてを総合した中心存在が神様です。孝の中でも最高の孝であり、忠の中でも最高の忠であり、聖の中でも最高の聖を代表できる位置を占有した者だけが神様に侍ることができるとすれば、神様は、この三つを一度に成し遂げた人、孝子にもなり、忠臣にもなり、聖人の中の聖人にもなり得る人を願うはずです。
17 宇宙の中心存在であり、創造主であるそのお方は、中心にいながら、保護の責任を感じて保護してくださいます。保護しながら育成してくださいます。正しく育ててくださるのです。それだけではなく、良いことと悪いことのすべてに責任を負います。逃げる道理はありません。ですから、天地の大主宰であられる神様は、すべてのことに責任を負い、保護、育成なさるのです。その方を中心として、すべての存在が一つになろうとします。
18 神様は、福を無限にもっていらっしゃる、福の中心存在であられます。世の中で何を与えても、買うことのできない福をもたれたお方です。そのお方には、ないものがありません。皆さんの愛する妻より、もっと貴いものをもっているお方です。皆さんの父より、もっと貴いものをもっています。「私の愛する息子、娘よ」と言って泣いたりわめいたりしていた、その子女よりも貴いものをもっているお方です。ですから、この地上の人生で最高に勝利したという人、この世の中のどこから見ても最高に成功したという人は、神様を占有した人です。
19 神様は、天地の大主宰であられます。その方は、最高の理想をもっていらっしゃるので、目的の基準にもなり、動機の基準にもなります。ですから、私たちが存在するようになった動機も神様であり、目的も神様です。それでは、その動機と目的を、どこから探すのでしょうか。その動機は神様のみ旨を中心とした家庭であり、その家庭をして世界的な目的を達成させるのです。
20 神様は絶対的であり全知全能であられるお方なので、そのお方には限界や有限的なものは存在しません。あらゆるものを超越していらっしゃいます。ですから、ある事情の限界圏内に縛られて、それを打開できない立場にいらっしゃるお方ではありません。そのようなお方が今まで求めてこられた願いがあるとすれば、その願いは、そのお方自身のための願いではありません。子女である人間を復帰したいという願いをもってこられました。その願いは、神様御自身で決着をつけるものではありません。人間から解決されて神様に戻るようになっています。
21 自分が起源ではありません。自分の生命は、父母や社会や民族、国家を通じて生まれたのではなく、それを超越した一つの起源、すなわち絶対者である神様から始まったのです。絶対的な立場にあるすべてを、超越した動機と結びつけなければならないのです。時代的な因縁や環境的な因縁、あるいは社会的な与件に結びつけてはいけません。すべてを超越する原因に結びつけ、すべてを超越する目的に結びつけてこそ、飛躍し、超越して脱出することができます。すべてを超越する動機に、「私」の命を結びつけなければなりません。私の命は、私から始まったものではないからです。絶対者であられる神様から出発しました。自らをそのような動機に結びつけるようになれば、死んだとしても、すべてを超越する過程で神様のみ旨のために死ぬようになるのです。環境に左右されるみ旨ではありません。因縁に基づいた世界のためのみ旨でもありません。すべてを超越する動機と、すべてを超越する関係を通して、すべてを超越する結論に向かって進む過程にあるのがみ旨です。言い換えれば、すべてを超越する動機は神様であり、すべてを超越する過程はみ旨であり、すべてを超越する目的は世界のために進むのです。