430.韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁
第4巻 第30回
第7部 真のお父様の手紙
2. 真のお母様の光を発してください
新しいあすを描きながら
お母様へ。故国を離れてから、もう20日になろうとしています。この期間、多くの歴史を残しながら、日本を経由し、アメリカのサンフランシスコまで来て、新しい文化の生活をたどり、また、多くの名勝地を見物しながら、お母様のことを思い出します。み旨のための複雑な生活の中で、一人、どれほど気苦労が多いだろうかと思います。経験が浅い中では、感動することも、励まされることも多いのは当然ですが、今回の期間、多くの祈りを捧げながら、環境に勝利することをただただ願っています。
アメリカに来て、離れてみると、私たちが互いにどれほど貴い存在かを改めて感じ、互いがどれほど大きな使命を担っているかを、多くの点で体験して、感謝するばかりです。天地の責任と歴史的運命を解決しなければならないという、誰にも代わることができない一組の夫婦であることと、私たちの良し悪しによって全体が左右される、その焦点の上に立っていることは、どれほど重大な生涯の職責でしょうか。ですから、天に対しては忠孝の道理を果たし、地に対しては努力の限りを尽くし、歴史的な願いに対しては解怨成就しなければならないという立場を、末永く輝かせる夫婦にならなければなりません。この重大な責任を果たそうと、私は日本の食口の前でも、アメリカの食口の前でも、天のみ前でも、精誠を尽くそうと、ただただ努力するのみです。
食口たちの切なる表情と誠心を尽くす姿を見るとき、やはり天の子女たちは違うことをひしひしと感じます。その分、真の父母の立場が恐ろしいことを感じます。考えている多くの問題(の解決)にも、だんだんと慣れてきています。日本の食口とアメリカの食口は、本当に対照的です。詳しい内容は次に持ち越すことにして、省略します。
心の中に天国を所有し、それを分けてあげなければなりません。多くの付き添いの人々を慰め、母らしい姿を大きく育んでください。私も、故国が今置かれている立場と外国に対する使命を案じつつ、新しいあすを描きながら、力いっぱい、今回の旅を終えようと思います。それでは、伝えたいことはたくさんありますが、再会して伝えることができる日を待ち望みつつ、紙面ではここまでとします。いつも平安であることを祈りながら、これにて失礼します。(1965.2.15,アメリカ、サンフランシスコ)
大きな勝利を天のみ前に立てることを願います
孝進オンマ、教会の便りも気になります。この間、子供たちと共に何事もなく過ごしていることと思います。復興団の成果はどのようになっているか、知らせてくださったらと思います。か弱い体で責任を果たしているのを見るとき、天はさらに貴く感じられるだろうと思いつつ、遠く、太平洋を越えて韓国の地に思いをはせます。
離れれば会いたくなるのが、人情の常のようです。私は異国の地でも、よく適応するほうなので、万事においてそれほど支障はありません。アメリカ大陸をさらに力強く巡回しています。
きょうは、もう3月6日の午前1時5分です。今ちょうど、数百マイルを走り、アーカンソー州のリトルロック(Little Rock)という州庁所在地にあるローズモーテルを宿に定め、しばしこの手紙を書いています。
私は、つい何時間か前、他の州で夜八時に聖地を定めました。アメリカに来てちょうど10番目の州に聖地を決定したのです。今回の巡回をしながら、1960年になる前に巡回した時のことが思い出されます。「アメリカの地よ、お前はこの大きな体をかがめ、いつ天に侍ろうというのか」、正にその使命のために、私は力強く天的プログラムを進めています。始めたからには、勝利を収め、世界の復帰の基盤を願うばかりです。手紙は書かないと言ってやって来ましたが、もしかしたら期待しているかもしれないと思うと、心が落ち着かず、急いでペンを走らせています。
私たちの使命はますます大きくなります。異国の食口も、本部の食口も同じです。先生に対する態度から、非常に大きな責任を切実に感じています。ですから、お母様が担う重責を案じざるを得ません。一生懸命に勉強しなければなりません。体も健康でなければなりません。たくさん祈らなければなりません。
私としては、本当に申し訳なく思っています。か弱い身でありながら、しっかりと付いてきてくれて感謝しています。お母様を連れてアメリカの地を再び訪ねることを思いつつ、しっかり養生してくれるようにお願いします。すべてを天に委ねていきながら、大きく勝利した自己を天のみ前に立てることを願います。いつも安らかであってください。手紙は書けませんが、協会長によろしく伝えてください。(1965.3.6,アメリカ、リトルロック)
真のお母様の光を発してください
お母様へ。今、アメリカの首都ワシントンD.C.でペンを執っています。1ヵ月余りが過ぎました。私は何度も変化の境地を通過してきました。つまり、巡回の路程で毎日忙しいスケジュールをこなしながら、今までにない大きな地形的変化を経験したのです。今回は主に聖地を定めましたが、きょうの11時までにワシントンD.C.の聖地を定めることにより、21ヵ所を決定したことになります。あとで写真を見せてあげることができるでしょう。西部から東部まで回ったので、今度は北部に向かって出発する路程が待っています。大きな大陸を一周しながら、人知れず全米の各州に聖地を定めることにより、アメリカにおいて今後、発展があることを願っていますし、またそのようになることを知っています。
今回、アメリカの食口たちは、初めて私に会い、様々な面で印象的なことが多くあるようです。いろいろなことを体験しながら、一緒に来ることができなかったことを本当に申し訳なく思いました。しかし、私が道をならしておき、次の機会に一緒に来ればなお良いと思い、またみ旨がそのようになっているので、ただすべてに感謝するばかりです。人は、離れ離れになっていても、再会することに思いをはせる時間が、大きな助けになると思います。お母様も、多くのことを回想しながら、今後の決意をしたことと思います。
私たちがさらにみ旨に孝を尽くす者として、多くの人々の手本になることを決心する良い期間になることを祈るばかりです。さらに、子供たちを連れて苦労が多いと思いますが、感謝しながらそれに耐え、あすを準備し、真のお母様の責任において末永く光を発してくれることを願ってやみません。体に気をつけて、勉強もして、多くのことを祈りながら、気高い責任に対して末永く光り輝いてください。
子供たちに会いたいですね。「お父さんを待っているだろうな」と思うたびに写真を見ています!お母様もですよ!子供たちに「お母さん、大好き」と言われる貴いお母様を、私も貴く思います。父親がいない間にたくさんの体験をして、うれしい便りを聞きたいです。アメリカにいる食口たちも勇ましいです。本部の食口たちが、一生懸命に責任を果たさなければならないことを感じます。
きょう、14日は日曜日なので、夕方、集会をします。12日には六十数人来たので、夕方もそのくらい集まるでしょう。アメリカも努力次第で将来が決まります。本部の近況を教えてください。すぐ、北米の州の巡回に出発しようと思います。家族と地区長たちや食口たちに、手紙を書けなくて申し訳ないと伝えてください。
ワシントンD.C.の気候は、韓国の気候に似ています。きのうは多くの場所を見学しました。ホワイトハウスにも入ってみました。国会議事堂にも入って見学しました。いろいろな面で非常に参考になりました。将来の希望を描きながら、都市を回りました。それでは、また次の機会に。お元気で。(1965.3.14, アメリカ、ワシントンD.C.)
天に向かって孝女の責任を果たしてください
孝進オンマ、この数日間も無事に過ごしたと思いつつ、また平安を祈ります。世界の変遷を促す歳月は、矢のように過ぎ去っていきます。既に、出発してから6ヵ月が過ぎました。あすが7月1日ですから、今、正に忙しく出発のための準備をしています。アメリカでの生活はきょうで終え、あすから再び休む間もない世界巡回で忙しくなります。
きょうはアメリカの上院議員二人に会い、帰ってきてからすぐにペンを執りました。アメリカの状況は、ほぼ見当がつくようになりました。その他、25日にはアイゼンハワー元アメリカ大統領に会い、その何日か前にも上院議員に会いました。現代の世界的指導者たちに会ってみました。そのあと、いろいろと考えることが多くあります。私たちの大いなる理念を中心として、今後の世界宣教のためにいろいろと参考になることが多くあります。
お母様は、韓国での使命がどれほど大変でしょうか。ありがとうございます。み旨のため、天に向かって孝女の責任を果たしてくださることを願うばかりです。今、孝進と譽進の写真の前で手紙を書いています。彼らに見られている気分です。早く帰って会わなければと、写真を見て思いながら書いています。本当に会いたいです。
さらに予定日が迫ってきていますが、私が一緒にいてあげられなくて申し訳ありません。出産に関しては、協会長とよく相談して行ってください。食事に気をつけ、栄養を考えてください。孝元氏の報告に、生活が思いどおりにいかず、その影響がお母様にまでいっているという言葉があり、一方で心配していますが、節約すると報告にあったので、感謝しています。天が責任をもてるように皆が精誠を尽くし、ただ忠孝の道理を立ててください。
こちらはみな元気でいます。そして、今回は、アメリカ食口の物心両面での苦労が大きいと思います。将来、天が助けてくれることを祈るばかりです。送ってあげた旅行日程をまた送りますから、受け取って安静にしてください。保護の中、無事に帰国できることを待ち望んでいます。子供たちを連れて、苦労が多いと思います。四十数ヵ国を歴訪するつもりです。出発したあと、連絡先をお伝えします。
韓国の現在の事情をよく知っている私としては、そのために祈るばかりです。今の旅も、将来の韓国の道をならすためのものだと思いながら、民族の前に申し訳なく思う気持ちをなだめようと思います。かんばつがひどいということで心配です。そのような時ほど、統一の役軍(担い手)はさらに発奮しなければなりませんね。暑い夏の季節、苦労させることを申し訳なく思います。四方を見ながら、手本となる立場に立とうとしていることに同情します。責任を負った者たちの重大さを、さらに切実に感じると思います。
いつも平安を祈りながら、忙しい中での乱筆、失礼します。10月中旬にはまた会えることを願いながら、安らかで健やかに過ごせるよう、祈るばかりです。それでは、元気でいてください。(1965.6.30, アメリカ、ワシントンD.C.)
今後の私たちの責任が大きいことを切実に感じます
孝進オンマ、今ドイツに来て、数日がたちました。ドイツは国民性が勤勉な国民であることを、戦後の復興の様子を見てさらに感じました。全国的に60パーセントも破壊されて廃墟になった土地を、新しい国土に造り変えたのを見ると、韓国に対する私たちの立場を改めて思い、今後の私たちの責任が大きいことを切実に感じます。
ドイツに来て、本部の便りを待っていたのですが、何の知らせもないので気になっています。きょうは8月4日です。お母様のことを思い、追憶の日であることを、遠く離れて記憶しながら、昨年のこの時(1964年8月4日、惠進様の聖和)のためにお祈りします。もう8月ですから、臨月に入り、どれほど心配しているかと思いつつ、すべての面において委ね、やり抜いてくださるようお願いします。今、ちょうど外出の準備をして応接室に来てみると、新たに変更された巡回旅程を韓国に送るというので、急いで書いています。新しい赤ん坊の名前ですが、男の子なら「興」の字、女の子なら「仁」の字にしてくれればと思います。皆が祈ってくださったお陰で、私たち一行は無事に過ごしています。
あすはドイツを離れます。18日頃、イタリアに到着する予定です。そちらに手紙を送ってください。その頃には、出産が終わっているでしょう。皆によろしく伝え、体に気をつけてください。しきりに心が故国を訪ねていきます。子供たちは元気ですか。それから、協会長に相談して、私がアメリカに出発する時に持っていったのと同じハンカチを20枚用意し、同じはんこを押しておいてください。お土産を買っていくのは、重くて不可能だからです。帰ってから、お土産の代わりにするようにしてください。皆の平安と健康を願いながら、これで終わります。旅行スケジュールで、イタリアの宿所が変更してあります。(1965.8.4,ドイツ)