431. 韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁
第4巻 第31回
第7部 真のお父様の手紙
3. 愛しき君よ 花咲かせたまえ
大きく気高いみ旨なので苦労にも耐えていきましょう
孝進オンマ、重大な責任と忙しい生活の中で、み旨に対する使命にどれほど苦労が大きいでしょうか。最後まで忍耐を通して、あすの目的のために力いっぱい努力してくださることと思います。ありがとうございます。きのうはニューヨークを出発し、道を急いで、バーモント州のブラトルボロ(Brattleboro)にあるホーリーモーテルに泊まり、今、出発直前にペンを執りました。きょうは、オハイオ州のクリーブランド(Cleveland)に向かう準備で忙しくしています。その時間を利用して便りを伝えることを申し訳なく思います。4月2日になる前にワシントンD.C.に戻り、「父母の日」を迎えようとしているので、本当に忙しいです。北部地方は今、冬の季節で本当に寒いです。
先日送ってくれた手紙を、ワシントンD.C.で受け取りました。便りを受け取り、言葉にできないほどうれしく思いました。離れて連絡を取り合う事情にある中で、より深い感情と重大さを感じます。さらに、子供たちと食口たちと共に、ソウルで過ごしていたすベてのことが、いつも思い出されます。このようにして過ごしている間に、いろいろと苦労をかけることがあれば、それが私たちの間により大きな力をもたらし、絆を深く結んでくれることになると感じます。ですから、生きていく中で、大きなみ旨のために耐えて歩んできた過去もまた貴いことを、お母様も十分に体験するだろうと思います。この世にいる間、大きな責任と使命に涙しながら、勝利のために行進することが本当に貴いと改めて思うとき、お母様に対して本当に感謝することが大きく、また多いことを感じます。大きく気高いみ旨ですから、それに比例する苦労にも耐えていきましょう。
近くにいる多くの食口たちの無事を祈りながら、子供たちと共に体に気をつけて、私が子供たちと会う時まで、勇ましく闘ってください。あすの希望と世界の舞台を夢見ながら、今、準備を一生懸命にして、巡回の日を描きつつ喜ぼうと思います。どうかしっかり闘って、責任を果たす貴いお母様になってくださることを、心から願っています。
会いたくなったら、家族が写った写真を時々見ながら、もう一度会える日を楽しみにしています。譽進が学校に通い始めて、もう随分大きくなったと思うと、お母様の責任がさらに大きくなるだろうと心配になります。孝進も、私のことを捜しながら、しっかりと育っていると思うと、慕わしくなります。本当にお母様は立派にやり遂げて、私にとって最も貴く、誇らしい女性の中の女性になるだろうと思いながら、本当に私は幸せ者であると心から感じつつ、歩んでいこうと思います。どうか気高く貴い勝利したお母様になってください。私も真の父になり、天地のために生きようという一片丹心を抱くばかりです。それでは、お元気でいてください。(1965.3.20, アメリカ、ブラトルボロ)
幸福な歴史的生活の勝利圏を創造する主人公となられますように
お母様へ。「父母の日」を迎え、報告を兼ねて書いてくださった手紙を読みました。御苦労様でした。やはり、お母様の貴さに対して改めて感謝しました。私がいない間、2回の行事のために苦労が大きいことがよく分かります。しかし、天の願いの前に責任を果たしたことを、私はうれしく思います。この「父母の日」が私たちの暮らす地球上に顕現したという事実を考えるとき、私たち真の父母の立場がどれほど恐ろしい立場であるかを切実に感じます。6000年前に神様が造られた本然の世界で、神様が喜ばれる中で成就し、行うべきだった祝典の儀式を、今日の私たちが責任をもつという、途方もない使命の前に、身の引き締まる思いです。
数多くの預言者と先祖が犠牲と悲惨な歴史路程を綴りながら、天地のためにどれほど多くの涙と汗と血を流してきたでしょうか。数えることのできない、天のみぞ知る曲折を流れてくる中で、私は体験とともに蕩減路程を経る悲しみの道を耐えに耐え、お母様一人を迎えて平和の勝利を誓っています。そのようにしながら、暮れゆく青春を我が生活とし、たそがれの道をたどって果てしなく遠い夜明けに向かい、四十数年の生涯を歩み、天地の悲しみを体験しながら、天の勝利の一日として成し遂げられた「父母の日」であることを思えば、千里遠程の恨多き過去とともに、お母様を貴く思わずにいられるでしょうか。
しかし、6回目を迎える「父母の日」を目にしながらも、責任と使命を再び勧告しなければならない私の心情は、残された世界的な父母様の成就のためであることを思うとき、お母様に多くの苦労を再び残し、一緒に行かなければならない運命に対して深く同情します。しかし、最後まで、私たちの恨を解くまで前進することが、私たちを待つ目標として残っています。様々な十字架の上で、お母様の責任がどれほど大きいかを知っている私が、海外で心から深く祈っていることを知って、妊娠中ですから体に気をつけ、あすの責任が輝かしいものとなるようにしてください。
天地が貴く思い、万民が喜ぶ日である「父母の日」の中心が、実体をさらに貴く慕うことを思えば、すべてを祭物とするようさらに輝かせなければなりません。若い心に気高い誠心、天の責任と世界を抱きながら、幸福な歴史的生活の勝利圏を創造する神聖な主人公の責任を完遂し、天地が共にその懐を慕う、貴いお母様になられることを祈るばかりです。
私たちのために命を懸けることを覚悟した人々が本当に多いことを、まず忘れてはいけません。また、私たちを見つめながら生命の灯台として侍る、そのような人に生命を与えようと思えば、光の本体にならなければならないという厳粛な命令を受けているのです。韓国と日本とアメリカのほか、多くの国の人が、いや、さらに多くの民族が、私たちのためにそのようにするというのであれば、負債を負って、私たちの歴史的背後にこの暗闇の一点を残してはいけません。ですから、責任を負った人の苦しみを、私が分からないでしょうか。神聖な「父母の日」、ハレルヤ、その実体の栄光を仰ぎつつ天に心から侍ります。復帰の喊声(かんせい)が鳴り響く中、聖なる徳を高く積み、父母の使命を越えましょう。
今書いている手紙とともに、協会長の手紙の内容を考えると、大変、苦労が多いことが分かります。感謝しながら、勝利するよう心で願っています。どうか健康に気をつけて養生し、責任を果たしてください。旅の途中で、今ワシントンD.C.で「父母の日」を過ごし、今後の整理のために忙しくしていました。訪ねてくる人がいたり、考えなければならない問題もあったりして、今になってペンを執りました。
ここでも初めて迎える「父母の日」であり、先生を迎えてアメリカで初めて迎える「父母の日」です。ですから、忙しい全国巡回路程を終え、サンフランシスコを経由して、飛行機でアメリカの首都ワシントンD.C.に3月31日に到着し、「父母の日」を過ごしました。ワシントンD.C.の食口たちの誠心誠意により、私はアメリカに来て、歴史的な式と行事を行うことができました。多くの地方の食口たちも参加しました。神様が共にある中、三日間、昼夜を分かつことなく時間を過ごしました。良い集会を体験できました。ソウルを思いながら椅子を置き、大陸と大洋を越えて、お母様を思う瞬間を心に記憶しながら、厳粛に執り行いました。アメリカの食口たちも礼服を着て敬拝を捧げ、天のみ前に栄光となるように祈りました。五色人種(すべての人種)が一つになって行う式は、私の生涯でも初めてでした。しかし、もう少し広く、全世界に広げていかなければならないと決意しながら、無事に執り行いました。
恐らく、ワシントンD.C.にとどまる間は、そのような日程で過ごして日本に行く予定です。その他の人々にも会わなければなりません。7月中旬までにはヨーロッパに出発しなければならないでしょう。次の旅程は、追ってお知らせします。いつも、安らかでありますように。(1965.4.7,アメリカ、ワシントンD.C.)
真の手本となる本郷の家を築いてさしあげましょう
お母様へ。過ぎし日々は多くの思い出とともに新たに、また新たに繰り返され、もう70日が過ぎました。生活、風情が変わるとともに、遠く故国の山河を慕う思いをもつのは、人情の常のようです。多くの声援と忍耐の中で、過去を築いてきた地、涙で訴える地、多くの希望の土台を築こうと情熱を燃やした地、それが正に私たちの故国であるという深い回想の中で45年を振り返ってみれば、すべてがほかには知る者のないみ旨のための道でした。私の生涯はみ旨のためのものですから、天の苦労の前に再びあすのための覚悟をもち、忠誠を尽くすことを新たに決意するものです。これまで多くの苦労と忍苦の中で、はるか遠い千里の道を築いてきた過ぎし日が再び思い出される4月17日(陰暦3月I6日)の前日です。
お母様を天的な使命の前に立て、天と地が案じる中で歩んできた日々を、勝利で越えて築いてきたその大きな心性の前に、この異国の地から感謝を捧げます。今や多くの子女の母親としての立場を、また案じなければならない苦労の道を遠くから同情しながら、4月17日を過ごすと思います。私たちの過去に曲折が多ければ多いほど、み旨と歴史の前に、力強いやり甲斐となることを体験するとき、その過ごしてきた価値を賛美し得るのではないでしょうか。また耐え、また決意し、また越えていくべき復帰の路程を、力強く越えて走っていきましょう。私たちの天国、私たちの世界と私たちの福地のために、精誠を尽くし、努力しましょう。定められた生涯の路程で、その誰かのために走り、ただ一つだけの貴い人生において、目的の前に心からの感謝をお返しし、高貴な真の父母様の使命を高く賛美しながら、あすまたあすと勝利で歩みましょう。
5年後のことを思えば、お母様はよく歩んできてくれたと思いながら、今後のお母様がさらに慕わしくなります。10年が過ぎ、またさらに過ぎれば、私たちの過去がさらに高く、貴く表されることを期待します。その時には、私たちのみ旨と家庭も様々な形に変わり、天が願う真の手本となる本郷の家を築いてさしあげられるよう、さらに決意する次第です。
お母様も過去を回想しながら、16日を過ごすと思います。歴史的な聖婚日だったことを、誰が知っていたでしょうか。ただ天だけが喜び、サタンは悲しみに浸った日ではなかったでしょうか。天は福を与えようとし、サタンは讒訴しようとする中での新天地の家庭出発だったことを思うと、私たちがもう少し深い精誠と高い徳を備えていればと思わされ、改めて考えることが多くあります。そして、幼い子供たちのことを思います。会いたいです。時々、写真を見たりしています。ここも春です。韓国の山河も春だろうと思います。時間をつくって、春の陽気を浴びに一度出掛けるのもよいと思います。先生(お父様)と一緒に楽しむように万物を愛し、深く慰労されることを願います。私も食口たちと一緒に、ワシントンD.C.のいろいろな場所を見学しようと思います。忙しい生活の中で、心を楽に保ち、妊娠中の健康に気をつけて、ビタミン摂取に励んでください。昨晩、電話で声を聞いて感激しました。様々な事柄をたくさん残し、会った時に記念として聞かせてあげます。(1965.4.16, アメリカ、ワシントンD.C.)
天宙復帰の聖業を高々と輝かせましょう
お母様へ。今しがた、送ってくれた譽進の絵を見て、育ってゆく子供たちの知恵に、より一層心が満たされています。絵を見ると、本当にとても上達しているので、大きく成長しているのだろうと思います。とても会いたいです。孝進も、かわいい盛りのようですね。私をしきりに捜す姿が目に浮かびます。大きくなったでしょう。早く帰って会いたいです。新たに生まれる赤ん坊を思いながら、8月7日頃を一人で指折り数えたことが、一度や二度ではありません。大変心配しているようですが、すべてを天のみ前に委ね、心配しないでほしいと思います。私は、そばにいなくても、心だけはずっと一緒ですから、天のお父様を仰ぎ、祈るばがりです。今、とても大変でしょうから、気をつけてください。譽進の手紙から、不安な気持ちを窺うことができました。出産は、お母様の計画どおりにするのもよいと思います。平安な気持ちで過ごせるように願うばかりです。
それから、時が訪れ、私たちの忠誠が求められる時期になりました。精誠の限りを尽くして、本部でも国外でも、努力が必要であることを切実に体験しています。本国がよくやってくれるので、うれしく思います。報告書を見るたびに、感謝するばかりです。すべて、天の苦労のお陰です。私たちは真の天的使命に、さらに深い責任を覚悟しなければなりません。日本の便りを聞いても、本国と同じく発展しているという報告です。アメリカも発展しています。先生が通ってきた所は、時の運が共にあることが分かり、感謝に堪えません。早く目的とする「神の日」を成就させなければなりません。そこに向かって、また前進しなければならないでしょう。よく耐えて、勝利へと越えていくお母様の貴い姿が栄光を受けるように、私はすべてを尽くし、助けたいと思います。これから行く道に光明が宿ることを願って進みましょう。ぜひとも、体に気をつけてください。食口を率いて未来の建設のために準備し、幸せな家庭を成就して天のみ前に捧げましょう。そうして、天宙復帰の聖業を高々と輝かせましょう。
これからの道に天的意義があることを祈り、み旨に従っていこうと思います。アメリカの食口たちの苦労が、物心両面で大きいです。み旨に従って忠誠を尽くす食口たちの貴い姿を覚えていてください。これまで、私は多くの人々に会いました。とても気になっていると思います。ここの食口と、同行者たちも元気です。世界を連ねて聖地を選ぶことが基台となり、全体の運動に天の恵みが宿ることを願いながら、忙しい旅に出発する日を望みつつ、整理しています。(1965.6.22, アメリカ、ワシントンD.C.)
いつも安らかであることを祈ります
孝進オンマ、どれほど苦労が多いでしょうか。早産になるかもしれないと心配したという知らせを聞いて、本当に申し訳なく思います。しかし、安定したということで幸いです。また、譽進、孝進がよく遊び、愛嬌を振りまくことを聞き、心から故国に思いをはせます。また、8月上旬が予定日だと思いますが、その時までに私が故国に帰ることができなくてすみません。しかし、天が共にあることを思いながら、7月上旬にはカナダと南米大陸を経て、7月15日にはイギリスの首都ロンドンに到着予定となっています。そのように過ごしてから、ヨーロッパ大陸を1ヵ月ほどかけて巡回し、ギリシャ、エジプト、ヨルダンを経由してアジア大陸に渡り、9月下旬か10月上旬には故国を目にする予定です。期待の思いでとても待ちきれないことを、よく知っています。特に体に気をつけて、健やかに過ごしてくれることだけを祈っています。また、この複雑な事情でいくら苦しくても、少し耐えれば良い方向に行く日が来るでしょう。
今、ワシントンD.C.での生活は韓国と変わりませんが、食事の時や、眠りから目覚めるたびに、故郷への思いに浸ることがあります。そして、便りをそわそわと待ち望む思いを禁ずることができません。そのたびに、お母様も毎日のように、配達員が来るのを待っているだろうと思うと、便りを毎日のように伝えられないことを、心から申し訳なく思う時が何度もあります。それで、今は8日の4時15分ですが、外出準備の時間を利用し、待ち望むお母様に、急いで短い手紙を書いています。これまで、多くの人と対面しながら過ごしてきました。そして、時間さえあれば英語の勉強をしようとしていますが、能率が上がりません。しかし、続けています。お母様も、英語だけは勉強しなければなりません。アメリカに来て、さらに切実に感じました。少しずつでも続けてください。流れていく歳月を遮り、み旨のための精誠を乗せて送ります。いつも安らかであることを祈りながら、終わりにします。(1965.6.8,アメリカ、ワシントンD.C.)
愛しき君よ、花咲かせたまえ
天上天下、広く広く
香りを振りまきたまえ
永遠なる本郷に向かって
(1984.8.23,アメリカ、ダンベリー)