429.韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁
第4巻 第29回
第7部 真のお父様の手紙
1. 愛しき君へ
愛しき君へ
平和の夢を大きく広げ
恨み多き地平線を越え
限りなき幸福の平原に
愛と平和の花を咲かせたまえ
(1985.8.16,イーストガーデン)
お母様、本当にありがとうございます
譽進オンマ(「譽進のお母さん」の意)、多くの日々が、数える間もなく過ぎ去っていきますね。もうひと月になろうとしています。この間、故国の山河も、思いの中に描く、はるか遠くの異国の地のように感じます。手紙に書かれているとおり、ラスベガスという都市にいます。ここは、世界でも有名な賭博場として知られている所です。
朝にロサンゼルスを出発し、アメリカ(本土)で最も高いホイットニー(Whitney)という山で聖地を選びました。そして、一番の盆地になっていて、東半球で最も低い場所として有名なデスヴァレー(Death Valley)という所を訪ねて聖地を定め、3時間走って、今ホテルにいるところです。あすの朝8時にはここを出発し、定めたコースに従って巡回することになるので、そのように承知しておいてください。手紙で連絡する時間もなさそうです。便りがなくてもあまり気にせず、決めた時間に従って、勉強と、自分が直面している多くの重大な問題のために祈りながら、責任を果たしてくれるようにお願いします。
先日、サンフランシスコの住所に(お母様が)送った手紙がロサンゼルスに送られてきたので、しっかりと読ませていただきました。孝進、譽進の便りがうれしかったですよ!やはり、遠く離れると思い出されてしまうのは、どうしようもないですね。妊娠中ですから、気をつけて養生してください。私は、既に出発した路程なので、アメリカの地でも自らの責任を果たさなければならないという使命感から、きょうとあす、時間を短縮してアメリカ大陸の南部に向かっています。大きな天的使命を果たす日まで、誠心を尽くそうと思います。
これまで、アメリカに来てサンフランシスコとロサンゼルスに寄りながら、アメリカの食口たちと大変親密に、特に違和感もなく過ごしてきました。やはり食口ですから、本国と比べてもあまり支障を感じないので、安心してください。これから、アメリカは努力次第です。非常に大きなアメリカ大陸に、天の炎が燃え立つことを心から祈るばかりです。
歴訪の同伴者として、永雲、崔、アメリカの青年二人の合計5人で出発し、ただただ広い道、どこまでも続く道を、3月の1ヵ月間かけて走り、ようやくワシントンD.C.に到着する予定です。ネバダ州のほかに、いくつかの州は砂漠地帯になっていて、1週間は砂漠の地を通らなければならないというので、しっかりと気を引き締めているところです。
特にアメリカで切実に感じたことは、今後の統一教会の運命は、アメリカの地と闘わなければならないということです。高い文化施設と発達した交通機関には、本当に驚かされます。ですから、私たちの運動の本格的な世界発展は、アメリカを抜きにしては成し得ないというのが、事実として体得されます。韓国はあまりにも小さな国であると感じます。しかし、摂理的な見地から見れば、それも一理あると思いながら、荒廃した故国にもう一度思いをはせ、私たちの使命が大きいことを感じつつ、祈るばかりです。
私たちの理念に加わったアメリカの食口は、私が本国で伝えたのと同じです。本国の教会食口たちとその他の問題も、み旨の中で変わりない立場であることを思いながら、現在の立場をしっかり守っていこうと思います。そのほかに、お母様が苦労して育てた近くの大勢の食口たちからも、責任感が感じられます。どうか、しっかりと面倒を見てあげてください。みな、み旨のための祭物であることを、誰が知っているでしょうか。
お母様、本当にありがとうございます。大きな使命のために責任を担っても、変わらずに接することができる素質をもっていることを、本当に天のみ前に感謝します。それをさらに発揮して大きな発展を実らせる良い期間になることを願うばかりです。天と私たちの関係がどれほど貴いかを深く体験する機会であると思っています。子供たちにも、お父さんは元気でいると伝えてください。食口たちにもよろしく伝えてください。旅の途中、時間をつくって少しばかり綴りました。どうか体に気をつけて、責任を果たしてください。(1965.2.25, アメリカ、ラスベガス)
手本になってくれていることに感謝するばかりです
孝進オンマ、一晩過ごし、3月25日になりました。もう別れてからあと三日で満2ヵ月ですね。その間、ソウルで忙しい生活を送りながら、多くの体験をしていることと思います。み旨を中心として、大衆の前でいつも気をつけ、公的な生活観の中で気を抜いて過ごすこともできない生活を、遠くから同情してやみません。さらに、多くの人々を前にして、今はもう自分一人の体ではないのに、大変申し訳なく思います。毎朝、聖地を訪ねるその姿を心から心配し、一方では貴く思っています。多くの人の手本になってくれていることに、感謝するばかりです。他の人とは違って、心情的十字架を越えていこうとするその大きな使命は、私だけが知るところであり、さらに広く、高く、貴く敬愛を受けるお母様になってくださることを、心から祈るばかりです。皆によろしく伝えてください。手紙を一つ一つ書けない事情を理解させてあげてください!子供たちに対しても、気苦労が多いでしょう。今は、皆の成長した姿を想像しています。
私は毎日のように、忙しいアメリカ北部巡回路程を送っています。南部と違って、北部は寒い季節です。気候も変化して雪の降る日が多くあり、自動車の運転に気をつけなければならない道が多くあります。非常に遠い道のりを訪ねて回る、その大きな意義を思いつつ、復帰の路程の悲しみを体験することも多くあります。州ごとに異なる風景を見ながら、天の大きな摂理がある地だということを切実に感じます。天の復帰摂理の苦労を改めて思います。
孝進オンマが、私の行く先々に心で同行しながら祈ってくれていることを思うと、本当に有り難いです。大きな責任に対して私も深く敬愛しながら、今後のみ旨に対する誠心を大きく期待します。いつか、お母様と一緒にアメリカとヨーロッパを歴訪する日を願いながら、多くのことに思いをはせています。いつも健康に気をつけ、今後の道を固めるために、さらに努力してくださることを願ってやみません。天の威信と責任を重く受け止めながら、あすの希望を高めていくようにお願いします。気になることが、日を追うたびにしきりに増えていきます。
真のお父様が真のお母様に送られた手紙
きょうは、コロラドの州庁所在地のデンバー(Denver)で書いています。恐らく手紙を見て、この場所を探してみることと思います。朝食を食べたら、(ユタ州の)ソルトレイクシティ(Salt Lake City)に行って、相哲氏に会う予定です。木曜日なので、気になっているかと思い、忙しい中ですが少し書いています。来週のうちにワシントンD.C.で「父母の日」を迎えるため、路程を急いでいます。そこで便りを受け、また連絡します。
どうか体に気をつけ、勉強を頑張ってください。生活の中で、時間をつくる余裕が常にあるでしょうか。一度過ぎれば戻ってこない青春の良い時期を、み旨のために大事にして捧げましょう。手紙を書くたびに、念を押すかのように何度も書いてすみません。それは、夫としての責任もあり、のちのち感謝することになると思いますので……。また、ほかに誰が勧めるでしょうか。時間の貴さをよく御存じでしょうから、申し訳ありませんが、心に留めて努力し、私が驚くほど忠実に過ごしてくれることを願うばかりです。心深くお父様を思い、それを体恤することも必要です。み旨を中心とした高貴なお母様を慕い求める私であることを、よく御存じだと思います。死のうと生きようと、私たちの使命となったみ旨を、私たちが成し遂げていかなければなりません。どうか元気で過ごしてくれることを祈りながら、これでペンを置きます。(1965. 3.25, アメリカ、デンバー)
健康でいてくれることを祈ります
4月30日に出発してニューヨークに向かい、四日目の5月3日夜10時半に到着しました。帰途の自動車の中で、多くの場所に手紙がたくさん来ているだろうと話しつつ、同時に心でそのように願いながら、到着するやいなや尋ね、協会長とお母様からの手紙を受け取って封を開け、驚きました。前回、手紙を受け取ってからすぐに返事を書き、送るように普熙に渡したにもかかわらず、まだ受け取れていないというのは、間違いなくどこかでなくなったのだと思います。その返事を思い返しながら、また書いてみます。便りを伝えるのが、電話で話してからは初めてになります。妊娠期間で疲れがあるとのこと、申し訳なく思います。便りのない期間が15日を超えましたね。私は安心して、再び来る手紙ばかり待ち望んでいました。
この期間は、ワシントンD.C.で主に多くの人々に会っていました。詳しい内容は、あとで知らせようと思います。恐らくお母様にも会っていれば、私をさらに敬ってくれるだろうと、時々思うこともあります!そして、願い、祈るのは、健康でいてくださいということです。出産のことは心配しないでください。その時が近づいてきたので伝えようと思います。お母様が好きなように定めて、お産をしてもよいでしょう。ニューヨークに行って、お母様をこれから世界の舞台の上に立たせようとすれば、アメリカに来て生活を習得し、一緒に住む必要があると切実に感じました。しかし、今は状況的にそのようなことができないので、申し訳なく思いました。ニューヨークを訪問し、毎日のように同行できないことを思うたびに、お母様を考える回数が増えました。このことを思うとき、この期間が私たちにとってさらに大きく役立つ時間であることを、天のみ前に感謝します。
25人の食口と同行し、ニューヨーク市の重要な要所を回ってみました。あとでまた写真を送ります。文明の力が、これから天国建設に大きく貢献しなければならない、絶対的要因であることを切実に感じました。きょう、ロンドンとローマから手紙が来ました。そこに、私たちの教会が建ちます。オランダにも行き、フランスも行く予定です。今回の在米中に、多くの宣教国を定めて実行していきます。期待しながら、たくさん祈ってください。疲れているようです。許してください。それでは以上にします。お元気で。協会長にもよろしく伝えてください。皆も元気で過ごしているでしょう。近い人に手紙を書くなら、このような内容を伝えてもよいと思います。(1965.5.4,アメリカ、ワシントンD.C.)
私たち一行はみな無事なので安心してください
孝進オンマ、今ちょうど、スペインの首都マドリードの飛行場から、イギリスに向かって出発しました。14日の午後8時15分です。太陽がスペインの山野を照らしています。もう少ししたら、たそがれが訪れるでしょう。農業国ですが、それほど農地が肥沃には見えません。山にも木が多くありません。飛行機からは、遠くに白みがかった霧がかかり、天と地が薄らいで見えます。2時間だけ飛べば、西欧文明の中心国家であるイギリスの首都ロンドンに到着し、金永雲氏に会う予定ですが、そこの様子はどうなのか気にしながら飛んでいます。2ヵ月余りで何人伝道したのか、新しい食口たちと一緒に迎えに来ているだろうと思います。太陽が西の雲の中に隠れ始め、山野には暗闇が訪れます。ドーバー海峡を飛び越えていくこの道が、み旨の道を高める道になることを願っています。イギリスまで行けば、本当に故郷に帰る気分になると思います。
きょうは、スペインで観光バスに乗り、宮殿と博物館を見学しました。王宮は26年間かけて建築したもので、ヨーロッパ文明を総合した芸術品が驚くほど積まれていました。博物館を見ても、3000点以上あるという絵の中に、有名な傑作がたくさんありました!今、飛行機は雲の中に包まれていきます。日の光は、空を紅色に染めながら、横の窓にペン先の影をまだらに映しています。客室乗務員が促す夕食のため、仕方なくペンを置かなければならないようです。故郷の便りを、イギリスに行けば受け取れると期待しながら飛んでいます。
食口全体が無事で、お母様の体の健康と子供たちも無事であることを思いつつ、遠く心の中で慕わしさがつのります。全体の活動状況を知りたいですし、また、会える日が待ち遠しいです。私たち一行はみな無事なので、安心してください。近くにいる食口たちにも、よろしく伝えてください。白い雲に乗り上げてはまた通り過ぎ、山野を広い庭園にして飛ぶ騒音とともに、展望の一景を思い出としながら、ひたすら通り過ぎていきます。日の光も黒い雲に遮られ、明るかった機内も少し暗くなります。それでは、ここまでにします。元気でいてください。(1965.7.14, スペイン発イギリス行き飛行機機内)
純潔なその身の上に平和と平安が永遠に宿ることを願います
歳月があっという間に過ぎていきます。もう別れてから、あと数日で満4ヵ月です。本部の便りを伝え聞くたびに、平安であることを感謝しています。ただ無事で、大きな使命の前に忠誠を尽くすことを祈るばかりです。この期間も、一人重責を負い、深慮していることを知るたびに、私は心強く思います。天的な責任に忠孝の道理を立て、万世に追慕されるお母様をしきりに思い描いています。純潔なその身の上に、平和と平安が永遠に宿ることを願います。本当に、過ぎし多くの行事に苦労が多かったことを心から慰めてあげたい思いでいっぱいです。ぐっすりと眠りについたその姿の上に、ますます平安があるようにと祈るばかりです。私は心から心配しながら、挙行されるその式典に福があることを願っていました!深く慕う心もよく知っています。人生航路において深く体験するあらゆることが、のちのち私たちの家庭に福をもたらす重要な動機となる、そのような期間になることを待つばかりです。
今、時刻は夜の1時40分です。こちらは静かな夜です。故国の夜が懐かしくなります。この時間、故郷は昼でしょうから、少しおかしくはありますが、夜だと思って送ります。お母様は、どのように眠っているのでしょうか。アメリ力のことをいつも考える、その気持ちをよく知っています。早く来てくださればと思うその崇高な心情に、安らかな深い眠りを与えてくださいと、私は願うばかりです。遠い他国の地に隔てられ、思うすべての事情が、香り高く、誇らしい条件になることを、今夜も私は思い描いています。妊娠中ですが、おなかの子もますます健康であることを願います。
私たちの家庭の上に天の大きな保護があることを、お母様も感謝してください。天地の運命を輝かしいものとする家庭であるようにと、私はどれほど願っているでしょうか!天も、私たち統一信徒も、そのように考えていますので、今後、ますます子女の教育に力を注がなければならないことを感じます。復帰の路程が悲しみと痛みであり、その重荷を成就の大きな栄光に変えることを喜びとして思い描きながら、私はどれほど耐えなければならないだろうかと思い、決心するものです。お母様をどのようにして天の孝女にするかと考え、私のために生きる烈女よりも、天のために生きる烈女になりなさいと忠告する私の心を、一人で振り返ってみると胸が痛みます。天に行って誇り、あらゆる女性の中の勝勢者となったお母様の姿を、私が万天宙に賛美するその日を願いながら、再び勧告をする私の心も痛みます。
率いている側近の皆にも会いたいですし、気掛かりです。共に歩む運命を天地と共にして、静かな香華のごとく咲くよう、その血と汗と涙を肥やしとしなければならないその方(お母様)を私は仰ぎ慕いながら、愛顧したいという思いを、安らかに受け止めてください。私が帰国したら、またみ旨のために行こうとばかり勧める私に同情してください!天もそうであり、地もそうなのですから、すべてはお母様の貴さを立てるためであることを思い、最後の心情の十字架を立派に越えましょう。女性の貴い生涯に同情する、本当に尊敬されるお母様になり、歴史において功徳の手本となって、私よりもお母様の気高さと貴さを表すお母様の生涯にならなければなりません。
ソウルに、この忙しさを伝えようとするたびに、皆に感謝します。努力に比例し、成果が見えてくるでしょう。送ってくれた血書を受け取り、21日を守ろうと、準備の沐浴をしてペンを執りました。アメリカの便りが大変気になっているかと思い、紙面がとても長くなっていきます。生活を見れば、食事は韓国と変わらず、足りないものはありません。忠誠を尽くすスッキとギスクがいるので、不便なことなど考えたこともありません。
時間があれば英語の本を手に取り、格闘しています。本当に、時間がたくさん必要です。お母様も、会話の練習をしてください。結局のところ、暗記するのが一番良い方法のようです。それ以外では、主に人に会うことです。思いどおり進展が見られます。遠くない将来、お母様と一緒にアメリカで生活することも考えています。良いものを見れば、そのようなことを考えます。それから、体に気をつけて、あまり憂鬱にならず、朗らかな一日を歌い、食口たちと天を慰めてください。それでは、元気でいることを祈りながら、ペンを置きたいと思います。食口たちによろしく伝えてください。(1965.5.21,アメリカ、ワシントンD.C.)