410.韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁

第4巻 第10回

第3部 荒野路程と真のお母様の勝利

2.  真のお母様の試練と勝利

真のお母様の3年間の試練

1960年を迎え、お母様を迎えることによって、統一教会が本格的な出発をするようになりました。国家が反対し、キリスト教が反対する中で、国家を押しきり、キリスト教を押しきり得る基盤を築いてから、お母様を迎えるようになったのです。お母様を迎えたとしても、お母様は結婚してすぐに、そのままお父様と共に暮らすことができるわけではありません。皆さんに結婚後の3年期間があるように、外部から家庭を探し求めてくる役事をするのです。皆さんは「原理」の道をそのように行くのです。第1次7年路程の中では、家庭における様々な複雑な問題をすべて蕩減することを通過していかなければなりません。第1次7年路程は、お母様を中心とした家庭的基盤を築く期間です。これはまた、長成期完成級においてアダムとエバが堕落したので、長成期完成級から完成期へと越えていく時なのです。(106-267, 1980.1.1)

結婚してから、自分の親も、叔父も、絶対に正門を出入りしてはいけませんでした。アダムとエバに親や親戚がいたでしょうか。心情的関係を縦横で一つにしなければならなかったのです。縦的に一つになったとしても、横的に流してはいけないのです。洪順愛おばあさんも、絶対に正門を出入りできないように、呼び出して話をしたのです。「3年間守りなさい、裏口以外は出入りしてはいけない」と言ったのです。私が部屋に入る時は、門から出ていかなければなりません。アダムとエバがいる所に誰がいることができるでしょうか。母親がいましたか。神様がいらっしゃらなければなりません。そのようなことを人間の世から見たら、理解できません。また、お母様も、親戚に対する観念を絶対にもってはいけないのです。お母様というのは、それほど難しいのです。全部切りなさいと言いました。お母様が果たすべき責任が残っているからです。その親族圏よりも、天の前に7年間、すべきプログラムがありました。長成期完成級から完成期完成級に向かって、7年路程を歩まなければならなかったのです。この7年路程を行かなければ、「神の日」、「子女の日」、「万物の日」が生まれないのです。(170-123, 1987.11.8)

お母様は、7年路程の中でどうしなければならないでしょうか。十字架の道を行く立場において、心情的な基準で不平を言ってはいけません。お母様を中心として東西南北の12人の女性が行くことができる真珠門があるのですが、その真珠門は何の門でしょうか。愛の門です。本当に天を愛する人だけがその門を通ることができるのです。人間的に愛する人は通ることができません。それは地獄に行くのです。ですから、お母様自身は、数多くの女性たちの歴史時代に誤ったすべてを背負って行く時に、その十字架を背負ったことに対して恨んではいけません。感謝しなければならないのです。(212-81, 1991.1.2)

洪順愛おばあさんが立派なのは、すべてに対して啓示を受け、それを一つ一つお母様に報告していたことです。お母様があのような孤独な立場にあるので、明日はどのようなことがあるのかを先に知って、人の名前まですべて教えてあげるのです。そのようなことを見ると、霊界が生きているということが分かります。(163-253, 1987.5.1)

何かが起きると、洪順愛おばあさんがお母様のところに秘密裏に来て教えてくれるのです。おばあさんが3年間苦労しました。明日どのようなことが起きると言えば、間違いなくそのことが起きるのです。ですから、絶対に先生に服従しなさいというのです。このような従順の道理を教えてくれるのです。エバが自分勝手に行動することによって、主管性転倒し、天地の道理を破壊したすべてのことを収拾するために、お母様の母親である(洪順愛)おばあさんが、そのような役割を果たしました。霊界からすべて教えてくれるのです。ですから、一段階乗り越えるのです。塀を乗り越えるのです。家庭の塀を乗り越えるのです。夫に対して疑い得る環境を乗り越えるのです。(195-150, 1989.11.7)

韓国では1960年から1963年までの3年期間に、国家基準を中心としてすべての祝福家庭が復帰の路程を歩みました。この期間は、イエス様が国家を失ったので、国家の復帰の使命を果たすために全体が出ていって活動した時です。この時は、お父様も、お母様も、一線に出ていって、活動する人たちと共に麦御飯を食べました。御飯を膳にのせて食べたのではありません。お腹にいる赤ん坊も共に、そのように食べたという条件を立てる生活をしなければなりません。(54-225, 1972.3.24)

1963年まで父母様も麦御飯を食べながら仕事をしました。3年間は蕩減をしなければなりません。家庭的蕩減をしなければなりません。それとともに、皆さんは外に出ていって闘うのです。父母様が麦御飯を食べる時、一緒に食ベなければなりません。内的な面において生活的に世界的祭物の過程を通過していきながら、息子、娘を捧げなければなりません。そのようなことをしてきました。譽進が生まれてから、皆さんはクッパ(産後に産婦が食べる御飯とわかめスープ)を食べましたが、それはお母様の血を受け継いだということです。お母様がクッパを食べる時、その血を受け継ぐのです。孝進が生まれた時も、その基準を中心としてそのようにしました。このようなことを通して「子女の日」を探し出しました。その次には「万物の日」を探し求めました。父母様がそのような基準を中心として祝福の一日を立ててきたのです。そのようにして、第1次7年路程が終わり、父母様の家庭が解放されるとともに、「神の日」を策定したのです。(47-340, 1971.8.30)

3年路程の勝利

完成したお母様の基準は、どうならなければならないのでしょうか。成長したお母様が、生んであげる立場に立ったという因縁をもたずしては、完成したお母様が現れないのです。原理的にそうなるのです。結局、長成期完成級にあるお母様が、堕落した世界の今まで誤ったすべてのことを復帰し得る、堕落した母の誤った歴史的なすべての条件を蕩減して、サタンが讒訴できない基準に立たなくては、完成したお母様の使命時代が訪れないのです。(159-72, 1968.3.3)

これまでお母様はたくさんの苦労をしました。オオカミのような女性たちを抱えて歩まなければなりません。「死ね」と祈るなど、あらゆることがありました。先生が安らかな家庭を一つ定着させるために、そのような受難の道を通過したのです。ですから、その憎しみの矢を防ぐために、3年の間外泊させたのです。その時に譽進を生んで、風に当たって産後の病気にかかりました。寒い所でぶるぶる震えて、夫も行ったことのない所にいました。先生が毎日行けるでしょうか。もしそうしたら、若い妻に夢中になっていると、あらゆるうわさが立つのです。ですから、お母様を孤独にしておいたのです。あとになって時間が過ぎると、自分たちが分かるようになります。1年過ぎると、そのようなことがおさまり、「お母様をあのようにしておいてはいけない」と言って、全体がお母様を訪ねていくのです。(231-352, 1992.7.1)

お母様と3年間、別居生活をしました。その期間において、大母様(洪順愛おばあさん)が立派なのは、お母様にすべてを教えてあげたことです。毎日のプログラムの内容を霊界から受けて、お母様に伝えてあげたのです。お母様を立てる時に、先生がこのような道を行くから、間違いなくこの道を行かなくてはいけないという約束をして、そのことを守ったのです。お母様が立派なのは、絶対従順したという事実です。皆さんはそれを称賛しなければなりません。3年間隔離して過ごす中で、壮年や未婚の男女たちが「どうして、おばあさんたちはお母様に対して反対するのか」と言ったのです。「妬みながらそうするので、これではいけない」というのです。そのようにして、おばあさんたちに勧告するのです。「なぜお母様に反対するのか」というのです。一世たちは反対しましたが、二世の女性たちはお母様を擁護しました。(280-214, 1997.1.1)

お母様を連れてきてすぐに先生の家に連れていれば、どのようなことが起きるか分かりません。それで、結婚してからお母様を3年の間、思いもしない家で生活させたのです。どこかに行く時は、お母様を連れていくべきなのですが、連れていきませんでした。むしろトラやオオカミのような人たちを連れて回り、お母様には無関心のように振る舞わなければならなかったのです。お母様を哀れに放っておいたのです。

そのようにして1年が過ぎ、1年半が過ぎ、2年近くなると、「おばあさんたちが悪い。女性たちが悪い。何の罪もない幼いお母様をお迎えすることもできず、哀れに放っておいてしまった」と思うのです。人の心は同じです。本心からにじみ出るのです。「私たちのせいで先生がああされるのだ」と思い、「お母様を教会の中央にお迎えしなければなりません」と言うので迎えましたが、3年かかりました。

それで80代から70代、70代から60代、60代から50代、このように下りてきて、20代の若い人々までお母様のために尽くそう、お母様を愛そうと言えるところまで回復しなければならないのです。これがお母様の蕩減復帰です。相続をしなければなりません。女性たちがお母様に屈服し、「お母様を王妃に迎えましょう」ということになって初めてお母様が定着するのです。(235-253, 1992.9.20)

3.  荒野路程と「愛勝日」

真の父母と荒野路程

今や、この日、この朝、お母様においては、40歳を迎える新しい日となります。幼い身をもって、師のような、父母のような、あるいは兄のようなこの夫に侍り、今日の統一教会の歴史を創建するために、血のにじむ道を歩みながら、よく耐えてきてくださったお母様を、お父様、あなたが愛してください!この方は、大きな心を抱いて怨讐の子女まで愛し、自分の子供も愛することができるこの位置に立ちました。

今、統一家においては、統一教会の祝福を受けた家庭と、父母様の家庭を中心とした娘の譽進と息子の孝進の家庭が一つにならなければならない歴史的使命があるので、第3次7年路程が終わる年に結婚と婚約を挙行することができました。この驚くべき事実をお父様の前に心から感謝いたします。

お父様、今、周囲を取り巻いているカイン的家庭が、天使世界が天の家庭を守ることができなかった歴史的恨を再び解くために、精誠を尽くして垣根となり、すべての面において手本となって、厳粛に天の前に孝誠の道理を果たすことができるよう、見せてあげ、教えてあげることができなければなりません。

このようなことを通して平和の基準を備えることによって、そのような基盤が家庭圏を中心として、氏族圏、民族圏、国家圏を成すようになる時、初めて父母様の家庭が国家的真の父母の基準を通り、世界的父母の過程を経て、天上世界の真の父母の家庭になることによって、万世に恨を抱いた神様があの世で王として君臨なさることができる神様の愛の基盤がつくられるという、この驚くべき事実をもう一度思いながら、意義ある1982年を迎えたこの時間を、お父様、祝福してくださることを再度お願いいたします。(116-167, 1982.1.1)

エバは二人の息子を一つにしなければなりません。長子を次子にし、次子を長子にしなければなりません。そうして、アベルを右手に抱き、カインを左手に抱いて、アダムのところに行かなければなりません。お母様は40歳までこのことをしたのです。自分の息子、娘の家庭と、カインの息子、娘の家庭を抱いて夫のところに行くのです。夫はこれを中心として、その次は神様の前に行くのです。(116-200, 1982.1.1)

今はもう立派なお母様になりました。それで私が全権を任せるのです。(124-257, 1983.2.20)

興進様の犠牲と「愛勝日」の宣布

1983年12月を中心として、韓国に行って全国民を動員したのです。全国民を完全に一つにまとめる運動をしました。世界とキリスト教を代表する72ヵ国の「世界平和教授アカデミー」の代表たちを集め、一つにまとめることをしたのです。それで全国を襲撃したのです。サタンとの激戦を展開したのです。ですから、国家全体が完全にレバレンド・ムーンの運動で興奮したのです。こうして、先生の家庭を中心としてサタンを支配しようというのです。

この時、先生の家庭は混乱時代でした。先生の家庭が全世界を代表して家庭的攻撃を受ける時だったので、サタンは、先生を攻撃できないため、興進を攻撃したのです。最後の光州での講演時間に事件が起きました。国が父親なら、教会は息子です。このような立場でキリスト教が相変らず反対をするので、そのような立場を蕩減するために、興進が祭物になって逝ったのです。

キリスト教が地上で反対することによって、霊界のイエス様を中心としたキリスト教が地上に協助する道がなくなったのです。霊界にいるキリスト教の霊たちがイエス様を中心として地上に降りてきて協助しようとしても、地上にいるキリスト教が反対するところには協助することができないのです。ですから、必ず祭物的な条件を差し出して、霊界と地上が連結されなければなりません。そのようにして、祭物を差し出した団体やその主義を通して、地上世界を通して、横的な対立運動に発展させていくのです。(161-80, 1987.1.2)

もしも興進の犠牲がなかったなら、二つの不幸な大事件が発生したかもしれません。北朝鮮が韓国を武力で侵したかもしれないし、先生が地上での生涯を終えたかもしれません。しかし、先生は韓国で勝共決起大会を通して勝利したので、彼らは先生に対してこれ以上侵犯することができなかったのです。それゆえ、韓国で勝利を収める同じ時刻に、興進を犠牲の祭物として要求したのです。(130-289, 1984.2.7)

父母様が共産世界と民主世界の頂上において興進君に責任をもち、1983年12月31日に病院を訪問し、「統一式」をしてあげました。並みの深刻な場ではありません。誰よりも愛した大きな息子が突然霊界に行くというのに、涙を流すことができません。「統一式」を行ったあと、葬儀を行う3日間も涙を流すことができません。その期間に「愛勝日」、死に勝ったという式をしましたが、父母がそこで悲しんではいけません。アダムとエバが過ちを犯したことによって、死の谷間と死の地獄、天上世界の地獄と地上世界の地獄をつくり、神様と人間を分けたこの峠を開くのです。その頂上に立って整備し、息子を捧げることをしたのです。ですから、どれほど深刻でしょうか。時間を遅らせることができるなら、そのようにしたい父母の心ですが、過ぎ去ったことなので、このような時はためらわずに、父母として天の前に喜びの心で送ろうというのです。お母様にも、「涙を流せば大変なことになる。涙を流してはならない」と言いました。そのように韓国で聖和式を行い、送ってから、父母として涙を流したのです。送り出してから、行く道に祝いの涙を流したのです。(408-293, 2003.6.17)

興進は死にはしましたが、地上世界と霊界において、死なずに愛の復活圏を成すだろうと、私は思っています。「お前は死によってそこに行ったけれども、お前の死を通して愛を復活させる」というのです。霊界をつかみ、地上をつかんで、愛の復活圏を宣布するのです。このようにして、死亡圏とお別れをするのです。

蕩減条件を越え、この愛の「愛勝日」という日を宣布するために、息子が死んだと考えてはいけません。死体をそばに置いて、神様の愛、このためにこの闘いをしたということを知らなければなりません。父や母が死んだ息子のことを思う以上に、神様の愛を思わなければなりません。死亡圏に勝つ愛を考えなければなりません。

全体の責任を先生が負うのです。ですから、「統一式」を挙行したのです。お母様に「あなたと私はこの時間、天が見る時に誇ることのできる父母にならなければならず、霊界にいるすべての先祖たちが誇ることができ、霊界、天使世界と千万の聖徒、すべての聖賢、賢哲たちが誇り、世界の人類が、『さすが死亡圏を支配できる愛の権限をもっている方に間違いない』と言って頭を下げることのできる雰囲気をつくらなければならない」と言いました。ですから、すべての人類が私に、「あなたは、さすが神様の愛の中心者だ」と証すことができるようにしなければなりません。息子を送りながらも、死と引き換えに、私は前進しながら、愛の旗を掲げ、新しい世界のために出動をするという、そのような起源の日が「愛勝日」であるということを知らなければなりません。それによって、民族的であり、世界的な新しい愛の方向を立てていける基準になったので、1984年1月3日4時を中心として、「愛勝日」という言葉を使用するようになりました。(130-203, 1984.1.15)

公的な人は厳格であるということを知らなければなりません。私はお母様にこのように話しました。「お母様は知らなければなりません。木のてっぺんの芽は、高い所にあるので、風が吹けば最も危険な峠を越えなければなりませんが、そのような立場でもその芽は育たなければなりません。いくら苦痛であっても、公的なこのような芽の時代には、台風が吹いて揺れるその状況でも根を深くおろすために、芽は育たなければならない、ということを知らなければなりません」と言いました。ですから、このような死亡圏を越えて、これから入る世界は、真の父母によって宣布された「愛勝日」の壁を中心として、これ以上は入ってくることができないという条件を立てられる時になりました。先生を愛する限り、自分たちの生命よりも先生のことを愛する限り、サタンはこれ以上侵犯できないのです。興進が皆さんの代わりに逝ったからです。その上で、興進以上に父母様を愛する私となるならば、そこにいたサタンはまったく身動きがとれないのです。今まで愛はサタンが支配しましたが、これからは神様が支配するのです。(130-205, 1984.1.15)

Luke Higuchi