411.韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁
第4巻 第11回
第3部 荒野路程と真のお母様の勝利
4. ダンベリーの受難と真のお母様
ダンベリー出発前の祈祷
愛するお父様、きょう1984年7月20日午後6時44分、この時間を期して、今、イーストガーデンを出発する前に、子女たちと共に全体に代わって、一つの式典をお父様の前に奉献しようと思いますので、お父様、受けてください。
行く道が険しくても、あなたが生きておられることを知り、あなたが導かれる道をたどって有終の美を飾らなければならない最後の峠に向かって前進する道において、耐えて、悲しみを抑えながら行かなければならない立場を受け入れてくださるよう、切にお願い申し上げます。
このような時にすべての責任を……。今、お母様を中心として、幼い子供たち、12人の息子、娘をここに集め、また孫たちをここに集めて、お父様の前にお願いいたします。これからお母様を中心として、特に孝進君と譽進嬢が一つになって、お父様の苦労の道を身代わりする立場で十字架を背負い、お父様がすべての重荷を下ろして出てくる時まで、受難の責任と重要な責任、お父様の代役として彼らを立てますので、お父様、協助してください。
私がこの地域を離れたとしても、私の家族を中心として祝福家庭が完全に一つになり、祝福家庭の子女たちが完全に一つにならなければなりません。さらには、興進君が、悲しみながら残したこの家庭を保護することを知っておりますし、イエス様と霊界全体が、この恨を解くための総力的な進軍をして、ここに全面的に協助することを知っております。
私は、心の重荷を背負っているわけではなく、心の苦痛を感じているわけでもありません。その場に行ってもお父様に侍り、堂々と、私に任せられたところの行いを果たすにあたって、恥ずかしくないように責任を全うすべきことを知っておりますので、お父様は御心配なさらず、より一層家庭を守ってくださり、教会を守ってくださり、外部のキリスト教を守ってくださり、このアメリカと自由世界を守ってくださり、あの共産世界まで求道の道を開くことができるようにしてください。
そこはあなたが残された領土なので、私がそこを管理し、調べ、視察しに行く立場で行こうと思いますので、祝福してくださるよう、切にお願い申し上げます。そこを管理する所長をはじめとして職員全体が心を合わせるようにして、新しい霊的雰囲気がそこに現れるようにしてください。
静かな明け方の冷たい風がよぎるそこに、神様の恩賜を下さり、朝日に光る露のように、お父様の誇りの栄光が芽生えるように祝福してくださることを願いながら、再びこの場で出会う時まで祈ることができるようにお願いいたします。その祈りを、私がこの人々と共に祈っているのと同じように受けてくださり、毎週の敬拝の時間を祝福で施してくださり、心配してくださるよう再三お願い申し上げます。
さらに願うことは、ここで父母と息子、娘が一つになり、祝福家庭が一つになり、統一教会が一つになり、既成教会が一つになり、自由世界が一つになって、あなたの本然のみ旨を成し遂げることのできる父母の立場を見いだし、栄光で崇めることのできるその日を、心の奥深くに大切にしまっておきながら、力強い歩みを踏み出しますので、お父様、記憶してください。
万万世の恩賜と愛が共にあることを信じながら、すべてのみ言を真の父母様のみ名によってお祈り申し上げます。(133-253, 1984.7.20)
ダンベリー受難を共にした真のお母様
先生はお母様に対して有り難く思っています。ダンベリーを中心として、お母様は、幾度も心情的に深い次元の谷間を経験したと思います。先生と出会い、その時から平衡線で上がってくる人生でした。そのように生きたので、基準がだんだん上がってきているのです。それ以前は、心情の深い谷間は体験できなかったでしょう。ダンベリーによって離れてみて、先生の貴い価値を知るようになったのです。(136-46, 1985.12.20)
先生がダンベリーに行っている時が、お母様にとって、どれほど幸せな時間であったか分からないでしょう。手を握って歩いた時を懐かしがりながら、面会時間には必ずそこに来ました。その時間にお母様が来ると、お父様がどうして刑務所に入っているかは考えもしません。この夫が夫だというのです。それが真の愛です。夫が監獄に入っているのに、妻が訪問するということが堂々としているのです。罪もなく入ったので、どれほど堂々としているでしょうか。恥ずかしいことではありません。それは歴史において誇り得ることです。(235-279, 1992.10.11)
先生の行く道に受難の道があっても行かなければなりません。それゆえ、家族をアメリカに連れてきて、子供たちは韓国語も知らない子供になりました。分別のついていない子供たちをアメリカに連れてきて、父だからといってついて来て、アメリカ政府に追い込まれ、ダンベリーで監獄生活をする時、その父として、世の中から見たら、体面が立つと思いますか。お母様が私のために苦労したのです。
全世界の共産党が狙っているところなのに、監獄とは信じられるでしょうか。それは裸になって広い野原に寝るようなものです。お母様が涙を流しながら、ダンベリーを毎日のように往来しました。イーストガーデンで暮らしながら、涙を流さなかったと思いますか。聖日の朝の5時の敬拝式をして祈る時は、涙を流したでしょう。子供たちも涙を流し、みなそうだったでしょう。(146-183, 1986.6.15)
先生がダンベリーでしたことは何でしょうか。父母が道をすべて塞いでしまったので、1985年2月1日午前3時に、先生とお母様が、ダンベリーとイーストガーデン、地獄から霊界まで直通するハイウェイを築く式、「開天門の日」を宣布しました。それによって、地獄にいる人々がその道を通って上がることができるようになりました。道が開かれたので、自分の先祖が地獄に下りてきて、蕩減してくれるようになるのです。教育をして、一段階一段階引き上がるのです。(137-114, 1985.12.24)
統一教会によって天国の門は開かれましたが、まだお父様が行っていないので、天国に入った人はいません。私が探しに探して、どん底までくまなく探して、つないでみたところ、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界、天の国の宝座まで直通し得る、たった一つの道があるのです。その道には、愛の旗で信号を送らなければならないのであって、それ以外の信号では通じません。行けないのです。天国に行く自信がありますか。愛の自動車を運転して行きます。そうすると、天使は愛の自動車に信号を送って、天国に案内するのです。そこは高速道路になっています。お父様はダンベリーで、お母様はイーストガーデンで、初めて天と地が通じ得る門を開きました。ですから、数千年前に天上世界に行った人々は、天国に行くためには自分の子孫を通じて、地獄を経て、地上の場に来なければなりません。天国に行くためには、地獄に勝たなければなりません。地獄に勝った人が天国に行くのです。(140-46, 1986.2.1)
お父様は監獄を訪ねていきました。平壌に行く時、すでに、どのような人に会うのか約束がありました。どのような人に会い、どのようなことをすべきか、ということを知っていました。イエス様が監獄に行く時、12弟子がいましたが、みな裏切りました。しかし、お父様は獄中を通過しながらも、12人以上の弟子を探し出しました。失ったものをすべて探し出してこそ蕩減復帰になります。それゆえ、今後、記念塔を立てる場所はどこでしょうか。お父様が獄中生活をした所が、記念され得る実体の位置を築いた所です。ダンベリーの理想を中心として、お母様とお父様が一つになり得る一体圏を発表しました。(566-183, 2007.6.19)
第4部 女性時代の開幕と世界巡回
真のお母様の生涯 概観4
真の父母様は、(韓国の)解放(1945年)後、40年の荒野路程を勝利的に終えられ、カナンの地に入り、定着すべき新しい時代を迎え、総動員令を出された。すなわち、真のお父様は、1985年から1988年まではカナンの祝福の地に定着するための期間に当たるので、真の父母様のみ言と命令、行動を絶対視しなければならないと強調された。
1989年8月31日に、長子権を復帰した「八定式」と、その翌日の9月1日に「天父主義」を宣布された基台の上で、1990年3月27日にアメリカで挙行された第31回「真の父母の日」の記念礼拝中に、真のお父様が「女性全体解放圏」を発表され、真のお母様が統一教会の第2教主になると語られた。
真のお父様は「今からは先生がいなく、お母様だけがいたとしても、み旨に何の支障がない」と語られ、「今まで女性は天地を代表した摂理の代表者として立つことができなかったが、はじめて父母の愛を中心として、一体的理想を中心として、お母様を中心とした女性全体解放圏が地上に宣布された」と強調された。
真のお母様の位相の変化
真の父母様は、「女性全体解放圏」宣布と第2教主宣布の10日後である1990年4月7日にモスクワへ出発された。真のお父様がクレムリン宮殿でゴルバチョフ・ソ連大統領と会い、「ソ連がすべての面で成功するためには、神様を中心に迎えなければならない」と力説された。また、「ソ連が生きる道は、レーニンの銅像を撤去し、宗教の自由を認め、宗教的価値を国民に教育することである」と説かれた。その後、原理教育を受けた、ソ連と独立国家連合の指導者たちは、共産党のクーデターを防ぐ上で大きな役割を果たし、ソ連の解体と冷戦の終息をもたらす一大転機をつくった。
真のお父様は、このように世界共産陣営の総本山であるモスクワを訪問なさる急迫した状況において、真のお母様を第2教主とする宣布に続き、1991年6月15日に日本女性指導者4人が参加する中、カナダのクリアストーン鹿農場で「顧命性宣誓宣布式」を挙行された。真のお父様がいらっしゃらなくても、食口たちが真のお母様に、真のお父様のように侍り、み旨を完成しなければならないという要旨の宣布である。特に日本が真のお母様と一つになり、世界を抱いて歩んでいかなければならないと語られた。
真の父母様は、1991年7月1日午前7時に、ソウルの漢南洞公館で「神様祝福永遠宣布式」(七・一節)を挙行された。この日を基点に、摂理は長子権復帰時代から父母権復帰時代に転換され、真のお父様の後ろで歩んでこられた真のお母様が、真のお父様の横の位置に上がる基台を完成するようになった。
真のお母様は、1991年9月17日に日本東京の東京ベイNKホールで開催された第1回「アジア平和女性連合」大会で「アジアと世界を救う真の愛運動」と題し、生涯初めての講演をされた。次いで1991年10月31日に韓国支部が創設されたのち、11月20日にソウルのオリンピック・フェンシング競技場で1万5000人が参加する中、「アジア平和女性連合」全国大会が開催された。そして1992年4月10日に開催された「世界平和女性連合」創設大会は、真のお母様が、エバの失敗を総合して蕩減復帰され、エバ国家である日本の女性を代表して蕩減を乗り越える宣布の場であった。このように、真のお父様は、真のお母様がお立てになった成功的基盤の上に、女性解放と女性時代の開幕を宣言された。
世界巡回に乗り出した真のお母様
1992年4月10日の「世界平和女性連合」創設大会で、公式的に真のお父様の横の位置に立たれ、「真の父母宣布」を通し、人類の真の母として公表されたのち、真のお母様は「世界平和女性連合」創設記念世界巡回を皮切りに、2000年まで総600回以上の巡回講演を行われた。真のお母様の世界巡回路程は、人類の母であられる真のお母様が、真のお父様の代身者として全人類を教育する期間だった。各国における大会前後には、前・現職国家首班との会談を通して平和基盤を築き、食口たちを激励されながら、宣教基盤を拡充なさった。
真のお母様は、1992年、「世界平和女性連合」創設以後、9月24日から12月23日まで日本、アメリカ、ヨーロッパをはじめとして、ロシアや中国まで、世界11ヵ国、31都市で開催された「世界平和女性連合」創設記念世界大会で、「理想世界の主役となる女性」というテーマで演説をされた。このような土台の上に、真のお父様は、第二次世界大戦直後の統一的世界の基準を再び取り戻す歴史的な解放圏を宣布された。
1993年4月10日に「真の父母と成約時代」が宣布された後、真のお母様は1年余りの間、アメリカ53ヵ都市、日本62ヵ都市の巡回講演と韓国40大学巡回講演、世界40ヵ国巡回講演を含む総161ヵ都市巡回講演に続き、アメリカ100大学巡回講演を通して、「真の父母と成約時代」を宣布された。特に韓国の大学巡回講演では、運動圏とキリスト教圏の学生たちの執拗な反対に遭い、身辺の危険を冒すなど、大きな困難の中で、真のお母様は強行軍を敢行された。
また、真のお母様は、1993年7月28日に韓国の女性として初めて、アメリカ連邦議会で招請講演をされた。真のお母様の講演に感動を受けた連邦上下議員たちは、国家的次元で「父母の日」の制定を議決し、1994年3月11日、クリントン大統領の署名によって法案が発効され、毎年7月最後の日曜日を国家的次元で「父母の日」として記念している。真のお母様は1997年9月7日、国連の門を開かれた。以後、数回にわたって国連本部での講演をはじめ、韓国と日本、ブラジルなど、7ヵ国の国会で講演をされながら、各国の首脳たちに会われた。
その後もほとんど1日1ヵ国ずつ続けていく真のお母様の講演は苦難の行軍だった。真のお母様は、海抜4000メートルにもなるボリビアの首都ラパスで、酸素呼吸器を舞台横に待機させて講演をしたり、周辺が戦争中だったクロアチアでは、無念で悲惨に死んでいった霊人たちが救いを求めて宿所に訪ねてきたことを感じられて、祈祷と精誠を込められ、お一人で霊肉間の困難を受けられることもあった。アフリカ巡回当時は、マラリアにかかられたが、まともに治療を受けられないまま、毎日、国から国へ移りわたってみ言を伝播された。
真のお父様は、このような真のお母様の背後で、いつも精誠をもって共にされた。真のお父様のこの上ない祈祷と精誠は、真のお母様にとって最も大きな力であり、原動力だった。真のお母様の講演を誰よりも落ち着かない思いで待ちながら、電話中継や画像中継を通して真のお母様と共にされ、共に涙を流しながら、共に喜ばれる真のお父様だった。