409.韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁

第4巻  第9回

真のお母様の生涯 概観3

第3部 荒野路程と真のお母様の勝利

真の父母様は、聖婚式以後、歴史上初めて人類の父母の位置に立たれ、父母として人類を救うための祝福結婚の道を開かれた。また、万物を天の前に立て、世界の復帰のための本格的な活動を始められた。そのような内容が、聖婚式後の7年路程を通して成し遂げられた。

7年路程とその摂理的意味

真の父母様は、1960年から3次にわたる7年路程を設定され、内外的基盤の拡大に拍車を掛けられた。特に聖婚後の7年は、真のお父様の21年路程の中の完成期路程であると同時に、内的には真のお父様が完成した一人の男性として真のお母様を迎え、家庭的な勝利を決定する時であった。同時に、真のお母様がサタン世界の讒訴条件から抜け出し、堕落によって失った娘と母の基準、真の父母の基準を実体的に復帰する期間だった。

聖婚後の3年間、真のお母様に対して、あらゆる中傷と謀略、憎しみの矢が向けられたが、大母様はすべてのことを啓示で先に御覧になり、これを防ぐ責任を果たされた。真のお母様は、「聖婚後、大母様は私に起きるすべてのことを啓示で御覧になりました。誰が立ってもこの立場は困難な立場でしたが、大母様がいらっしゃったので克服することができました。すべての女性の過ちを大母様が清算されました」と、当時の大母様の使命を説明されている。

真のお父様の21年路程と真のお母様の7年路程、そして統一家の第1次7年路程を完全に乗り越え、その基盤の上で氏族的・国家的・世界的基準の第2次、第3次7年路程を出発するようになったのである。

真のお母様は、切迫した摂理路程の中で、いつも真のお父様の後に黙って従いながら、献身と忍耐の一貫した生活を送られた。服の一着も思いどおりに買うことのできない、影のような生活をされながらも、12人以上の子女を生まなければならないという摂理的な使命を果たされた。真のお母様は、1961年の譽進様をはじめとして、21年の間に回復する間もなく14人の子女様を出産なさった。

真のお母様は、「1971年から1975年までの5年間に3、4回自然流産がありました。お父様がアメリカに来られ、テロの危険に直面するなど、最も困難な時期でした。そのようなお父様に侍って回るので、あまりにも緊張する中で自然流産せざるを得ませんでした」と回顧されながら、「その後、今でも冷たい水でシャワーすると悪寒を催し、5分ほどは動けないようになりました」と語られた。

アメリカでの蕩減路程の勝利

真の父母様は、1976年10月4日のワシントン大会の勝利祝賀集会で、「天勝日」を宣布されたのに続き、1977年2月23日の真の父母様の聖誕日に「地勝日」を宣布された。その日は、真のお母様が33歳を越えて最初の聖誕日であり、「34歳の誕生日を、天と共に喜びの中で迎えたかったイエス様の願いを、地上で真のお母様を通して蕩減する条件の日」でもあった。この日、真のお父様は、「この日を期して、先生とお母様が行く道において、新しい次元の時代が開かれた」と語られながら、「1976年が終わり、お母様も完全に解放された」と宣言された。

真のお母様は、1977年5月3日の真の父母様の聖婚17周年記念日に、最初の公式的な、生涯を回顧する証をされた。この日、真のお母様は、「私が歩んできた道は、考えただけでも耐え難い苦難の連続だった。神様はお父様に試練を与えられたように、私にも何度も試練を与えられた。そしてサタンもお父様とイエス様を試したように、私に対しても試した。メシヤが通過されたものと同じ、そのような苛酷でひどい試練を、この弱い女性が通過したというので、皆さんは信じることができないだろう」と語られた。

真のお父様は、この日、真のお母様に対して、第1に霊感が鋭く、天性的に鑑別力が優れていて、第2にみ旨に対する絶対従順、目的を中心とした忍耐心が確固としており、第3に与えることが好きな性稟をもたれ、第4に多くの子女様を生み育てられた功労が大きいと褒め称えられた。

1960年の聖婚以後、1977年の「地勝日」の宣布まで、真のお父様の後ろで、真のお父様を撫条件に信じて従う絶対対象の生活を通し、真のお母様は万難を克服して解放されたのであり、これは取りも直さず真のお父様の成功であり、勝利であった。

一方、1972年からアメリカ全域で野火のように起きた統一運動は、既得権層の反発を呼び起こしながら、アメリカの裁判所は脱税容疑で真のお父様を起訴した。真のお父様は、数回の裁判を経て、1984年7月20日にコネチカット州ダンベリー連邦刑務所に入所された。その後、1985年8月20日まで13ヵ月の間、苦難に遭われた。

真のお父様は世界的なゴルゴタの峠を越えながらも、決して挫折されなかった。ダンベリーの獄中でも、「共産主義の終焉」を宣布させ、多様な勝共運動を展開して、冷戦の終息を早められた。また、1985年2月1日の明け方に、イーストガーデンにいらっしゃる真のお母様に電話を掛けて、霊界と肉界の門を大きく開いてつなぐ「開天門の日」を宣布された。

真のお母様は、真のお父様が収監された日を思い出されて、「お父様を送らざるを得ない私自身の無力さが限りなくもどかしく思った。何度も唇をかんで、心を強くもとうと努力したが、我知らず流れる涙を抑えることができなかった」と当時の心情を表現された。

真のお父様の面会時間には決まって真のお母様はダンベリーにおられた。真のお母様は当時3歳になる情進様と手をつないで、毎日のように誠意をもって真のお父様にお会いになり、面会を終え、坂道を下りていかれる時は、必死に涙をのんで振り返り、真のお父様に親しく手を振られた。

真のお父様の投獄自体、真のお母様にとっては耐え難い十字架であったが、それほどの重荷を背負っても、黙々と歩まれる真のお母様を見つめながら、食口たちは心を一つにして頼った。真のお母様は真のお父様に代わって、記念日や行事など、内的な大小の事柄を指揮され、同時に「科学の統一に関する国際会議」などの外的な行事や貴賓との面会など、忙しい日程を消化された。

1945年から1985年までの40年世界的荒野路程において、真のお父様と真のお母様は、すべてを犠牲にされながら、ひたすらみ旨の成就のために歩まれた。特に聖婚後における真のお母様の心情的な苦難が大きかったが、そのすベての試練を勝利され、摂理を世界的次元に拡散させることができたのである。

1.  7年路程とその意義

摂理的完成期の7年路程

一人の完成格の男性の前に、一人の完成格の女性として、お母様を連結させるための期間が第1次7年路程です。この第1次7年路程が、父母様の家庭基準を設定する期間だというのです。ですから、その時期に父母様が神様を中心として家庭を築いたのです。その時になって、ようやく四位基台の復帰形態として、地上に一つの家庭的な基点を構築しました。この父母様の家庭を中心として祝福家庭たちが完全に団結しなければなりません。家庭を中心として、完全に一つにならなければならない期間が、第2次7年路程です。第2次7年路程は、父母様の家庭を中心として、祝福を受けた家庭が完全に一つになるべき期間だというのです。完全に一つになって、一つのアベル圏になり、民族基準を再び収拾しなければならないのです。(75-10, 1975.1.1)

1960年にお母様を迎えたのは、旧約時代の完成とイエス様の時代の新婦圏を立てたことになります。このようにして、長成期完成級で堕落した基準を超え、世界的完成基準、世界的第3次7年路程を越えなければなりません。父母様の家庭を中心として、アダムの家庭から蘇生と長成と完成の21年の期間、1960年から1981年まで3次の7年路程が、地上で必要なのです。その21年路程が、アダムの時代、イエス様の時代、再臨主の時代まで、3次にわたって6000年の歴史を越えていく条件です。すべて平面的に清算しなければなりません。(266-63, 1994.12.11)

神様は、6000年間何をされ、神様の一貫した歴史的な望みとは何だったのでしょうか。それは、一人の母を探し出すことです。アダムを送ったあと、すなわちアダムを再創造したあと、彼を通して一人の母を探し出そうというのです。これは再創造です。本来、神様がアダムを創造したあと、アダムを中心としてエバを創造したので、再創造においても、アダムを送ってエバを探し出すのです。つまり、母を探して立てるのです。そうするために、この第1次7年路程の間、サタン世界の讒訴条件から免れ得る道を、お母様が行くようにしたのです。そうするためには、お母様自身がサタンと直接闘ってはならず、お父様を絶対に信じ、常に一つにならなければなりません。そうしてこそ、サタンの侵犯を受けないというのです。アダムが責任を果たせずにエバを失ったので、アダムの立場を復帰し、サタンを屈服させて勝利の基準を立てなければならないのですが、7年の期間は、このようなことをすべき期間なのです。その基準を立てたあとは、お母様を立てて心霊的な基準をつなげ、堕落した父母の立場を蕩減復帰して、真の父母の土台を立てなければなりません。(17-322, 1967.4.10)

第1次7年路程は、堕落していないアダムとエバが行くべき道でした。父母が行くべき道だったのです。ですから、サタンがいくら讒訴しても、この期間を無事に突破しなければなりません。そのような家庭的代表の道を築き上げるのが、お父様を中心とした第1次7年路程です。ですから、この7年の期間に、お母様とお父様を中心として、歴史時代にもつれたすべてのものを解きほどかなければなりません。(73-245, 1974.9.22)

原理的に見ると、間接主管圏と直接主管圏があります。この期間に間接主管圏と直接主管圏が連結され、完成したアダムが神様の直接主管圏内に連結されなければなりません。ですから、7年路程というのは、長成期完成級から残りの7年の期間を蕩減する期間です。(143-180, 1986.3.18)

縦的な歴史を横的に蕩減復帰しなければなりません。6000年の歴史が7年路程に該当します。6000年を7年で蕩減するというのです。6000年に1000年を合わせた7000年を7年で蕩減するのです。これが公式なので、堕落した人間は誰でも7年路程を通過しなければなりません。この期間を越えれば、どんなことも収拾が可能になります。(21-211, 1968.11.20)

第1次7年路程の期間には、父母としてはじめて蕩減歴史を解怨成就し、天地に残った堕落の起源をすべて清算する内的な闘いをしてきました。この時期は、血統的問題において、アダムとエバが失敗した歴史的なすべての曲折を解いて、清算すべき内的闘いの時です。み旨の前に自分の身はもちろん、自分の心情問題までもすベて奉献し得るという天との関係を選んで立てながら、第1次7年路程を完結して、父母の勝利的誕生を迎えたのです。(77-215, 1975.4.12)

3数は子女を探すための分別数であり、4数は万物を探して立てる数です。私たちは、このような1次的な計画に成功しました。この3年間に勝利して、世界に進出する基盤を築いたのです。このような土台の上で、第2イスラエルを探し求めなければなりません。これから残りの4年は、民族の復帰のために活動しなければならない期間です。したがって力の限りを尽くして、国民と国土を復帰するために活動し、勝利しなければなりません。先生が歩んできた40年を、皆さんは4年間で歩むのです。(13-91, 1963.10.22)

7年路程を勝利された真のお母様

父母様の家庭が定着するのは、容易なことではありませんでした。世界的頂上の位置まで行かなければならないのです。蘇生、長成、完成の位置を経ていかなければなりません。その完成基準は7年路程です。アダムとエバが、長成期完成級で堕落して落ちてしまったので、父母様の家庭も、そこから7年路程を経たのです。1968年正月1日、「神の日」を定めるまで、お母様は、女性として行くのが難しい道を行かなければなりませんでした。そのような道をすベてかき分けて、無事に天の試験を通過したので、今日の素晴らしいお母様になったのです。(170-34, 1987.11.1)

世の中の人々が反対し、どのようなことがあったとしても、夫に対するお母様の心は変わることがありません。死んでも、生きても、夫の行く道を行くということに変わりはないというのです。いくら国が反対し、いくら命が奪われるようなことがあっても、それを覚悟して歩むのです。エバが信じることができなかった立場で堕落したので、神様が信じられる立場に立たなければならず、また神様が信じられる立場とともに、夫が100パーセント信じられる立場に立たなければなりません。エバがアダムを滅ぼしたので、女性は100パーセン卜信じられない歴史を通過してきたのですが、初めてお母様を、神様が100パーセント信じ、夫が100パーセント信じることによって、「神の日」を設定することができたのです。それが1968年です。男性の蕩減復帰基準と女性の蕩減復帰基準を、家庭を中心として、エバが長成期完成級で堕落したことを復帰するための7年過程を経て、8年目を迎えるとき、完成級の夫婦の資格を備えて、この地上に現れることができたのです。(113-140, 1981.5.1)

7年を経て1968年正月1日を中心として、これらすベての蕩減の道を乗り越え、「神の日」を策定することによって、お母様の権威が生まれ、この地上に着陸時代が訪れ、世界的進出の出発が始まったのです。その基準を終えて、氏族基盤の上に立てることができなかったイエス様の新婦の基盤を経て、民族基盤を連結させ、国家と世界基準を越えることのできる1970年代の3年路程を経て、世界基準を越える蕩減の道を整えてきたのです。(162-233, 1987.4.12)

蕩減復帰の解怨成就において、エバの完成のための蕩減復帰歴史がなければなりません。お父様は、アダム復帰完成のための闘争歴史を経て、勝利の基盤を築いてきた堂々たる男性として立つことができますが、女性が堂々たる女性として立つためには、エバの蕩減復帰路程を経なければなりません。そのためには、誰も分からない心情的闘争はもちろん、身体的闘争、信仰的闘争までしなければなりません。ですから、お母様も、切迫した道を開拓してきたのです。そうして、第1次7年路程が終わることによって、初めて「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を迎えたのであり、初めてこの地上で女性としての資格を得て、同等な位置に立つようになったというのです。(59-284, 1972.7.27)

Luke Higuchi