自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第3話

「ありがとう!頼んだよ!」

月よ月よ、明るい月よ

李太白が楽しんだ月よ

はるか向こう、あの月に

カツラの木が生えている

玉の斧で切り倒して

金の斧でよく仕上げ

小さなわらぶきの家を建て

親二人をお迎えし

千年万年暮らしたい

千年万年暮らしたい

切なくも、心に響き渡り、気づきを与えてくれる歌です。

父や母を迎えて千年万年暮らそうという一節には、孝の道理を果たしたいという願いが込め

られています。神様を見失い、天涯の孤児として生きている人間は、たとえすべてを失つたと

しても、神様と本郷を訪ねていかなければなりません。華やかな王宮ではなく、粗末なわらぶ

き屋根の小屋だとしても、慕わしい父母を迎えて暮らすことができれば、これより幸せな人生

はないでしょう。

人間や万物は、太陽を慕います。太陽があってこそ生命が誕生し、万物が栄えるのです。一

方、月には違うィメージがあります。太陽が華やかさだとすれば、月は静けさです。家を出た

人が、太陽を見つめながら故郷を懐かしむということはあまりありません。むしろ、月の光の

下で故郷を思い浮かべ、親を慕うのです。私は、夫と月にまつわる多くの思い出を大切にして

います。秋夕や陰暦の小正月には、たくさんの信徒と一緒にお月見をしました。

しかし、人類の真の父母である私たち夫婦は、月を見ながら物思いにふけっているわけには

いきません.でした。

「この仕事を終わらせて・・・・・」

夫の文鮮明総裁は、いつもそのように話していました。それは私も同じです。

「この仕事を終わらせて、時間ができたら、少し休めますね」

急ぎの仕事を終わらせたら、少しでも休む暇があるだろうと思っていましたが、ゆっくりす

る時間はついぞ与えられませんでした。

百年前、祖母が国を取り戻すために独立万歳を叫んだことを思いながら、私は人類を救い、

平和な世の中をつくるため、生涯、命と情熱を余すことなく燃やしてきました。非暴力と平和

を叫んだ三•一運動の崇高な精神を受け継ぎ、—常に私は、平和を何ょりも優先してきました。

いつも時間に追われる気持ちで、多くのことをしてきました。私に与えられた使命を果たすた

めに最善を尽くし、変わらぬ心と志でただひたすら、ために生きる人生を過ごしてきたので

す。これは、誰にも想像だにできないことでしょう。

ですから、生きるに当たって肉身が必要とする休息を、まともに取ったことがありません。

食寧をしたり眠ったりすることも忘れて過ごすことが多くありましたが、体調を崩すことすら

も贊沢であるかのように感じながら生きてきました。

文総裁は非常に丈夫な体を持って生まれたので、少しでも健康に関心を傾けていれば、より

良い世界をつくるため、もっと長い間、働くことができたはずです。しかし、天のみ旨のため

であれば、自身のことを少しも顧みなかったため、取り返しのつかないほど健康を害してしま

いました。聖和(他界)する四、五年前からは、まるで千年のことを一日でするかのように、忙

しく過ごしていました。

特に、年齢を考えると長距離の移動をされるべきではありませんでした。どうしても海外に

出なければならないとしても、二、三年に一度くらいに抑えるべきでした。

外国を回る際は、時差の関係もあり、南北を縦断するよりも東西を横断するほうが体に負担

がかかるのですが、聖和する前の一年は、九十歳を超えた年齢にもかかわらず、アメリカに行

くために八回以上、東西を横断しました。自らの健康については全く考えず、ひたすら神様と

人類のために働いたのです。

教会の古参の信徒はもちろん、青年たちに対して、苦難を克服する精神と忍耐力を養うため

に、荒れる海で何日も夜を徹することがよくありました。聞かせてあげたい話がありすぎて、

十時間以上、訓読会(経典などを読み、学ぶ時間)をされることも多くありました。

ある仕事が迫っている中、文総裁は無理をして巨文島と麗水を急いで回ったのですが、つい

に風邪を引いてしまいました。すぐにでも病院に行くべきでしたが、「この仕事を終わらせて

から行こう」と言うので、明日、明後日と先延ばしになってしまいました。ようやく病院に行

って診察を受けた時には、既に体が非常に衰弱した状態でした。

そうして、二〇一二年の夏、しばらく入院することになったのですが、病院の検診が終わる

や否や、すぐに退院しようと言い、頑として譲りませんでした。もう少しいたほうがよいと引

き止めましたが、誰の言葉も聞き入れはしませんでした。

「まだすべきことが多いのに、病院で時間ばかり過ごしてどうするのか!」

むしろ、入院を勧める人たちを、このように叱るのです。どうすることもできず、退院する

ことになりました。それが八月十二日のことでした。館に戻ると、文総裁がぽつりとつぶやき

ました。

「きようは、二人で向かい合って食事をしたいね」

その言葉を聞いた周りの信徒たちは、とても不思議に思いました。いつも私は隣に座って食

事をしていたからです。その日、文総裁は遅い朝の食膳を前にして、スプーンを持とうともせ

ず、じっと私の顔を見つめていました。おそらく、心の中に妻の顔を刻んでいたのでしょう。

私は笑顔で、夫の手にスプーンを取ってあげ、おかずを味わってもらいました。

「このおかずはおいしいですよ。ゆっくり召し上がってください」

八月十三日は、ひときわ日差しの強い日でした。文総裁は、人の背丈以上にもなる大きな酸

素ボンベと共に、厳しい日の光を浴びながら、清平湖や清心国際中.高等学校をはじめ、孝情天

苑団地を隈なく見て回りました。そして館に戻ると、録音機を持ってくるように言いました。

録音機を手にしたまま、文総裁は十分以上、考えにふけっていましたが、やがてぽつり、

ぽつりと言葉を発しながら、祈り始めました。

それは、これまで歩んできた生涯に終止符を打つ場で、堕落の歴史を超越して人類の本然の

エデンの園に戻り、真の父母についてきさえすれば天国に向かうことができる、という内容で

した。また、自分の氏族を導く使命を果たし、国を復帰するという宣布でもありました。

そして最後に、この言葉で締めくくったのです。

「すべて成し遂げた、すべて成し遂げた!すべてを天の前にお返しする。完成、完結した」

結局、この祈祷が、真の父である文総裁の最後の祈りとなりました。

それはアルパでありオメガ、始まりと終わりがすべて含まれた祈りであり、み言でした。少

しの間、苦しそうに呼吸をした文総裁は、私の手をぎゅっと握りました。

「ありがとう一頼んだよ!」

息苦しそうにしながらも、「本当にすまない。本当にありがとう」と立て続けに話す文総裁。

私はその手をさらに固く握りしめ、慰労の言葉と眼差しで、安心してもらえるよう努めました。「

何も、心配しないでください」

二〇一二年九月三日、文鮮明総裁は数えで九十三歳を一期として、神様の懐に抱かれました。

そして、天聖山の本郷苑に入りました。私はよく、天聖山の上に浮かぶ月を見ながら、静か

に物思いにふけります。

「玉の斧で切り倒して、金の斧でよく仕上げ、小さなわらぶきの家を建て、両親二人をお迎

えし、千年万年暮らしたい、千年万年暮らしたい……」

その願いを、何度も口ずさむのです。

Luke Higuchi