天聖経: 第457話
第六章 真の万物 5
5. 「万物の日」を正しく理解できるようにしてください
お父様、今までのすべての日々は、悲しみを抱いてみな流れていきました。それゆえ、私たちは今後訪れる日々を、悲しみを抱いて流れていくようにしてはならない責任を負ったのでございます。私たちは、この国に悲運が宿るこの時に、その悲運を取り除いてしまい、望みと希望を植えてあげるべき使命をもった統一教会の群れでございます。
絶望と落胆と悲哀と嘆息が漂う歴史の思潮において、これを克服し、新しい望みと希望を残せる統一主義にならなければならないという事実を知りました。その道を行くためには、より公的な価値を探し求めて生活しなければならないことが分かる、あなたの息子、娘となるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。
お父様、今まで統一教会がお父様の経綸のみ旨に従ってくる過程には、悲しい事情もたくさんあったのでございます。誰にも話せない苦しい事情に追われ、地団駄を踏みながら、「お父様はいない」と恨み言を言いたいと思うときが一度や二度ではございませんでした。そのような過ぎ去った日々を考えるたびに、語ることができずに、もどかしく、慌ただしく時を経てこられたお父様が、どれほどかわいそうな方であられたかを、私たちはもう一度感じるのでございます。
私たちのために顔を傷つけ、私たちのために手足を傷つけたあなたであられました。それだけでなく、千万回、公的な苦労の因縁をおもちになり、私たちのために涙と血と汗を流されたお父様であることを知っております。このようにお父様が私たちの生活圏内で私たちと共に生きていらっしゃるという事実を思うとき、お父様の手をつかみ、永遠に放したくないという切実な思いが私たちの心から込み上げてこなければならないのでございます。お父様をつかみ、山道であっても、どのような道であっても、従っていきたいと思う心が込み上げてこなければならないのでございます。そのような心情の関係を備えて、力が足らないとしても、お父様を背負ってさしあげる生活をしなければならないという心が私を支配し、生涯にみなぎるようになるとき、初めて孝と忠の道理を果たした立場になることを知る私たちとなるようにしてください。
お父様!この「万物の日」が設定されるときまで、一九六〇年代を中心として誰も知ることができなかった闘いの分岐点、左に行くのか右に行くのか、蕩減の因縁を決定しなければならなかったその時を再び回想するのでございます。
そのようにすべてのものを失ってしまった谷間でお父様をお迎えし、代わりに取り戻した価値をもち、お父様を中心とする希望の中で統一教会の家庭の歴史が始まったのでございます。
それによって、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」が策定されました。このような日を基盤として立てられた日が「神の日」でございます。この「神の日」がすなわち「万物の日」になり、「子女の日」になり、また「父母の日」にならなければならないにもかかわらず、一日に成されなければならない栄光の日が、間隔を置いて、継ぎはぎをするようにして設定されたという事実を思うのでございます。このような日を迎えるたびに、その背後にある人類始祖の失敗を心で悔い改めざるを得ません。お父様、お赦しください。
全幅の絹をそのまま裁断して作った服のように、この上なく価値のあるものでなければならないにもかかわらず、継ぎはぎの服のようになったことが恥ずかしい事実だということを、私たちは感じなければなりません。この日を迎えるたびに、ひざまずいて涙を流しながらかわいそうなあなたを心で思いやり、他の人は孝を行うことができなくても、私だけは孝を果たそうと、歯を食いしばり、唇をかみしめて誓うことのできる私たちとなるようにしてください。この日を迎えるたびに多くの人たちがこのような誓いをすることに、この日を記念する本意があるという事実を悟る、あなたの息子、娘になるようにしてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。
お父様の襟を一度つかんだら永遠に離さないと決意した息子、娘がおりますでしょうか。襟だけでなく、手首をつかんだら、自分の手が抜け、自分の体がゆがんでしまうことがあっても「離すことはできないお父様の手首だ」と言いながら、命懸けでその手首をつかんでいこうという息子、娘がおりますでしょうか。あなたを抱きかかえ、あなたの懐にかき抱かれて、永遠に離れることはできないと、死の道でも、滅びの道でも、それを失ってしまうことを恐れて苦しみながらも歩む息子、娘がおりますでしょうか。
この世から見れば、哀れですべてのものを失ってしまった人だとしても、誰ももつことができない基準の価値をもち、天地の縁を根こそぎつかんだまま、その内容をすべて動かしていくことができ、あらゆる価値の根拠がそこに宿っていることを知り、それだけを誇り、それだけを尊敬し、それだけのために生きる息子、娘がおりますでしょうか。世の中の万事は流れていき、社会の環境は変わっても、心は変わらず、必ず歴史を創造し、環境を創造するという事実をはっきりと知る、あなたの息子、娘が多くなるようにしてくださることを、切にお願い申し上げます。
お父様、私たち統一教会の教会員たちの行く道を祝福してください。私たちは、今まで一文無しの姿でございました。
私たちが一文無しになったのはお父様のためでございましたので、裸になった体が凍え死ぬ運命にあっても、私たちは感謝しなければなりません。凍りついた体で怨讐の槍先で突かれて倒れる姿を想像しながら、そのような場が私たちの前に現れないことを感謝できる、あなたの息子、娘になるようにしてください。
きょうこの場に集まったあなたの息子、娘たちが、「万物の日」を文字どおりにだけ理解するようにしないでください。万物が問題ではなく、万物が従うことのできる人が問題であり、その人がお父様に従うことが問題であることを知るようにしてください。そのようにできる真の人に主管されたいと思い、管理されたいと思うのが万物だということを分かるようにしてください。世の中を愛し、万物を愛するあなたの息子、娘たちとなるようにしてください。誰よりも万物の価値を深く悟り、万物を管理できるあなたの息子、娘たちとなるようにしてくださることを、切にお願い申し上げます。
お父様、この日に集まったあなたの息子、娘たちを祝福してくださり、世界に広がって宣教に臨んでいる息子、娘たちを心に留めてください。彼らが流した涙を、千倍、万倍にあなたが返してくださり、彼らを保護してくださることを切にお願い申し上げます。私たちが恨めしい飢餓線上に遭遇したとしても、吹きすさぶ環境に遭遇したとしても、あなたを求めていくようにしてくださり、私たちがそのような場にいるとき、お父様、哀れみのみ手で共にいてくださることを切にお願い申し上げます。感情が通じない異邦の民族ですが、お父様と連結させて父子の関係を結ぶようにしてください。
孤独な信仰の道を行かなければならないことを思うとき、怨讐の銃剣が狙っているとしても、復帰しなければならない責任があることを分かるようにしてくださり、あらかじめ指導してください。この国をお父様が共にいらっしゃる国と民族として残してくださることを、切にお願い申し上げます。この日を取り戻そうとしましたが、実体をまとってこの地で取り戻すことができず、恨を抱いて霊界に行き、この上なく苦痛を受けている霊人たちが大勢いることを知っております。彼らに善のために協助できる特赦を与えてくださり、地上に善の風習を立てることに協助できる栄光の恩賜をお与えください。
この地上の全人類が善のみ旨を立てるために命を惜しまず、信仰の道を駆けていくことのできるあなたの息子、娘たちとなるようにしてください。彼らの行く道を明らかにしてくださり、導いてくださり、彼らがあなたの命の路線を選ぶようにしてください。そして、終わりの日に至って、歓喜にあふれてあなたを迎えられる息子、娘になるようにしてくださることを、切にお願い申し上げます。この道を歩みながら疲れ果てた息子、娘や離れた息子、娘を抱きかかえてください。彼らの足どりを収拾され、敗北の苦杯を飲んだとしても、復讐の心情であすを見つめる人にならないようにしてくださり、希望をもって再起の機会を見つめながら進む息子、娘となるようにしてください。
大韓民国の数多くの人々、さらにはキリスト教の信徒たちは、犯した罪が大きいのでございます。今まで統一教会に対して不信と迫害を加えてきたことは、彼らが分からずにしたことですので、お赦しくださることを切にお願い申し上げます。この日を迎えるには、怨讐を前にしては喜びの日として迎えることができないことを知っておりますので、世の中がこの日を迎えて赦しを請い、お父様に敬拝をお捧げできる神聖な日となるようにしてくださることをお願い申し上げます。
残された日々とこの世界が、あなたの栄光の中で、あなたの慈悲とあなたの愛の圏内に留まるときまで、全人類が滅びることがないようにしてくださり、ここに集まった息子、娘たちがその日を迎えられる、勝利した息子、娘たちとなるようにしてくださることを切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーヂュ。(一九七〇・六・四)