天聖経: 第415話

第十三篇 平和メッセージ

第二章 天一国創建の真の主人

第一節 霊界と天国 16-24

第二節 天一国の民の人生 1-4

 

16 人間は、男性も女性も独りでは片方の人間にすぎません。神様の創造がそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を、お互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻だというのです。したがって、お互いにために生きる真の愛を中心として一つになってこそ、相対の主人の位置に立つことができるのです。言い換えれば、人間は、誰彼を問わず、結婚を通して主人の位置を確保するときに、片方の人間ではない、完全な人間になるのです。

 

17 人間の生殖器は、限りなく神聖な所です。生命の種を植える生命の王宮であり、愛の花を咲かせる愛の王宮であり、血統の実を結ぶ血統の王宮です。この絶対生殖器を中心として、絶対血統、絶対愛、絶対生命が創出されます。絶対和合、絶対統一、絶対解放、絶対安息が展開するのです。

 

18 生殖器の主人の位置を求めて何をしようというのですか。その位置で神様の愛を占領しようというのです。神様は、三大愛の主体であられます。天宙の主人として、真の愛の師、真の愛の主人、真の愛の父母であられます。これが正に、真の三大主体思想です。

このようなすべての教えと真理が、真のモデル的理想家庭の人生を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも、モデル的理想家庭の平和王国に変えることができるのです。

 

19 堕落することによって、最初のアダムは、本然の真の血統を失ってしまいました。したがって、本然の夫婦になることができず、本然の家庭をつくることができませんでした。真の師、真の父母、真の王になるべきだったアダムは、サタンの血統を受け継いだ偽りの師、偽りの父母、偽りの王に転落してしまったのです。

 

20 イエス様も、この地に降臨した目的が、ほかのところにあったのではなかったのです。第二アダムとして来られたイエス様が、もし十字架で命を失ってさえいなければ、イエス様も堕落とは関係のない本然の天の血統をもって最初のアダムの失敗を復帰し、人類の救世主として真の家庭を立て、人類の本郷である平和理想世界王国、すなわち地上天国をこの地上に創建していたでしょう。

しかし、来られた主を理解し、侍ることができなかった弟子たちとユダヤ教の指導者たち、そしてイスラエルの国家指導者たちの不信が、イエス様の生涯を無念で悲惨な姿で終わらせてしまったのです。一つの血統も残せないまま、突然逝かなければならなかったイエス様の恨に満ちた心情を知る人が、どこにいましたか。二千年間キリスト教の歴史が流れてきましたが、イエス様の悲しい事情を想像だけでもしてみたキリスト教徒がいたでしょうか。再臨の約束だけを残したまま、跡形もなく、突然旅立たれたイエス様、その方の肉身は、既に土になってから久しいのですが、天がイエス様を通して成し遂げようとされたそのみ旨は、今、歴史の終末期を迎え、天の印を受けて顕現された真の父母様を通して完成しつつあります。

 

天国はまず家庭から

21 今ではもう罪悪の蕩減復帰時代である先天時代が過ぎ去り、天法によって治める法治時代、すなわち後天開闢の時代が到来しました。真の父母様から祝福結婚を受けて血統転換を完成し、正午定着の人生、すなわち影のない人生を営みさえすれば、皆様は自動的に天国に入っていける、恩賜圏の時代に入ってきているのです。まずこの地上界で真の家庭を立て、天国生活をしてから人生を終えれば、そのまま天上の天国に連結され、永生を享受するようになるのです。したがって皆様は、今から家庭という枠組みの中で、神様を一番上の父母として侍り、全員が子女となり、共に暮らし、共に楽しむ血縁的生活によって、完成した父子関係を形成しなければなりません。神様と真の愛の相対圏を形成して暮らしなさいということです。

 

22 宇宙最古の祖父とは誰でしょうか。人類の始祖アダムとエバも、神様を父と呼びます。だとすれば、彼らの子女たちは、神様を祖父と呼ばなければならないのでしょうか。しかし、彼らも父と呼ぶのです。なぜでしょうか。縦的な中心である神様の立場から見れば、すべての愛の相対は平等です。神様の愛を横的に広げて繁殖させ、生産されるその相対は、時空を超越し、誰彼を問わず平等の価値をもつようになります。すなわち、完成した愛の価値は平等だということです。

 

23 天国は、先に地上界でつくられなければなりません。有形世界の天国が無形世界の天国を形成する前提条件になるということです。したがって天国は、銀河系の向こう側に隠れている空間の世界でもなく、人間の頭脳の中だけに存在する想像力の産物でもありません。皆様の真の愛の人生を通して、初めて創造される実体的な地上天国のことをいうのです。その基盤の上で肉界を抜け出れば、自動的に無形実体の天上天国に入っていくようになっています。地上界で天国生活をしてから逝ってこそ、天上でも天国生活ができるようになる、ということです。

 

24 木の上でよく熟した果実であってこそ、倉庫の中でも最上の収穫品として分類されます。皆様の人生が、木の上で虫に食われた果実のような地獄行きの人生になってはいけない理由が、正にここにあります。結局、天国と地獄は、皆様が地上での人生を通して、自ら決定するということを忘れてはいけません。

第二節 天一国の民の人生

 

1 古今東西、老若男女を問わず、共通の夢があるとすれば、果たしてそれは何でしょうか。誰もが一様に願い、待ち望んできたものは「平和理想世界の具現」でしょう。しかし、人類歴史上ただの一度も天が喜ぶ恒久的平和を実現できなかったことが、歴史的な恨として残されてきました。何が間違ったために、このようになったのでしょうか。一言で言えば、人間が神様の創造理想を知らないという無知に陥ったからです。数千、数万年待っても、無知からは完成を期待することができません。

 

 

人類の願い

2 全知全能であられる神様の子女として創造された人間が、なぜそのように無知の状態に落ちてしまったのでしょうか。人類の先祖アダムとエバが、偽りの父母であるサタンに従って堕落の道へと陥ってしまったからです。この事件こそ、人類歴史上、最初の悲劇であり、最も恨めしく、悲しい恥辱になってしまったのです。したがって、遠大な創造理想をもって造った、御自身の子女であり真の愛の絶対的相対である人間を、捨てることができない神様は、長久の歴史の中で、悲壮で凄絶な恨の心情を抱えて忍耐してこられました。神様は、誰も知ることのできない歴史の裏道で、牢獄生活に耐えてこられた人類の永遠の真の父母であられるのです。

 

3 神様の創造は実に奥妙です。御自身の子女であり愛の対象として創造した人間の完成と幸福のために、森羅万象を先に創造され、環境を準備されました。神様の創造物の中で傑作の一つである花について、一度考えてみてください。何げなくぽつんと野原に咲いている名もない花に至るまで、花には明らかに創造主の意志と目的が隠されていることを、簡単に発見することができます。花としての生を表現し、完成していく姿は、実に驚異的だと言わざるを得ません。

 

4 花は、万物の霊長である人間もまねできないほど、美しい色相と陰陽の調和を顕示しています。そして、絢爛な色相に魅了されて寄ってくる蜂や蝶たちの心をとりこにしてしまう、万能の香りも発しています。さらには、あまりにも強くてまぶしく、見つめることも大変な太陽の光を包み込み、生命を創造して守ってくれる自然の光に変え、和合と平和の光を発散しています。行ったり来たりしながら一生懸命に自分の種を繁殖してくれる蜂や蝶たちのためには、甘い蜜を提供することで報いるという道理も忘れていません。

Luke Higuchi