天聖経: 第363話
第十一篇 礼式と名節
第五章 主要名節と記念日
第一節 主要名節 55-57
第二節 主要記念日 1-5
55 家庭を探し出すことによって、その上に氏族圏を編成することができ、氏族を編成することによって民族を編成することができ、民族を編成することによって国家を編成することができ、国家を編成することによって、その上に世界、地上、天上天国編成の自由圏内に越えていくのです。世界が反対できない超国家、超民族、超宗派の基準を中心として、越えていくことができる祝福をしたので、サタン世界は門を閉じ、これを歓迎しなければならないのです。これを収拾できる方は真の父母しかいません。
それで、本然的神様の伝統に従って個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、地上天国、天上天国の完成を決意できる時代が来たのです。これを実践躬行するときが目前に到達したので、そのような基準においては、サタンの反対があり得ないのです。この道を行くために、自由の環境で勝利の覇権を実践できる基盤を築いたので、この基盤の上に「天地父母天宙安息圏宣布」を完成しなければなりません。
56 私たちの理想家庭は、神様の安息所を訪ねていく家です。「私」個人の家から出発しなければなりません。その次に、夫婦の家です。「私」個人の安息所にも神様がいらっしゃることができ、妻の家にも神様がいらっしゃることができるのですが、より大きな愛を中心として、夫婦の家に訪ねてくるというのです。伝統も異なり、人格も異なり、主張も異なり、すべての姿も異なるのです。一八〇度異なる形が一つに結ばれる統一的夫婦形態を中心とするその安息所を、神様が訪ねてこられるのです。その神様に家庭で侍らなければなりません。神様の家庭的夫婦安息所をつくらなければならないというのです。無形の神様が入ってきて、愛を中心とする主体として心のようになり、アダムとエバは実体の体のようになって、体と心の統一を成し遂げた基準を、体と心が一つになった愛の安息所を連結させなければなりません。男性と女性のその基盤の上に、夫婦の安息所が展開することによって、家庭に神様の休む場所が生じるようになるのです。
57 安息所を探さなければなりません。個人の安息の家、夫婦の安息の家を探さなければならないのです。夫婦を中心として息子、娘を生めば、息子、娘と主体と対象の関係で安息の家になるのです。これが最も重要です。家庭でこれが蘇生、長成、完成をするという意味になるのです。ですから、あなたがいなくても、「私」がいなくても、神様が休む場所をつくることができないのです。千年、万年、神様が完成することができないというのです。それで、千々万々年一つになって、神様に侍ることのできる孝女となり、孝子にならなければなりません。
この孝女、孝子を迎えられなかった神様の恨がどれほど大きかったかということを知り、その心の根まで私たち夫婦を通して拭ってしまわなければなりません。「永遠に私と共に暮らすことができ、神様を父として侍ることのできる土台をつくろう」と言わなければなりません。その次にはどこに行くのでしょうか。家庭的安息所を探しにいこうというのです。それで、蘇生、長成、完成の完成した家となるのです。息子の家にも神様が永遠にいて、夫婦の家にも神様が永遠にいて、個人の家にも神様が永遠にいるので、その家庭全体は、神様の愛の中で永遠に存続するのです。それで、ここから地上天国、天上天国の起源になる家庭の出発ができるというのです。
第二節 主要記念日
1 イエス様は家庭を探しましたが、探し出せずに十字架で亡くなりました。イエス様は「私は新郎であり、あなたたちは新婦だ」という立場で語られながら、再び訪ねてこなければならない家庭理想を残し、十字架で亡くなりました。そのため、その方が再びよみがえる再臨の日を求めてきたのが、二千年のキリスト教の受難の道です。
イエス様は、準備された新婦を探し出さなければなりません。それでこそ、家庭を中心として成し遂げようとする三つの愛の目的を結論づけることができるのです。その場がヨハネの黙示録に預言された小羊の婚宴です。人間始祖が堕落したので、人類は、偽りの父母、偽りの先祖に侍りました。神様のみ旨に一致した真の父母が現れなかったのです。神様は、アルファであり、オメガなので、最初に構想したことを最後に、創世記で失敗したことをヨハネの黙示録で合わせようとするのです。
真の父母様の御聖婚
2 一九六〇年に行われた先生の聖婚式の背後には、アダム以降、イエス様のときまで四千年、イエス様から今日に至るまで二千年の歴史過程で引っ掛かったすべてのものを、蕩減条件を立てて解決しなければならない内容がありました。その行事は、世界的で天宙的な意味をもっているにもかかわらず、現実的には少数の人々によって行われたのであり、それに対する迫害は想像できないほど大きかったのです。それを準備するための一九五三年から一九六〇年までの期間は、迫害の時期でした。
3 統一教会の群れを集めて、一九六〇年には、全国に少なくても百二十ヵ所以上の教会の基盤を築きました。それは、世界百二十カ国を代表しています。その基盤を築いたのち、そこにおいて、いくら国家的な試練を受けても倒れず、滅びない基盤を築いてきたのです。そのような基盤のもとで、一九六〇年に新しい聖婚式をしました。そうして、一つの統一氏族を編成したその基盤を中心として、民族的使命を完遂し、このような祝福の日を立てたのです。それは歴史的起点です。
4 聖婚式は、一個人のものではありません。世界史的なものです。このような世界史的な神様の摂理に対して、このような心情的起源を総合した場で、誰よりも愛する一つの家庭的起源を宣布するというとき、その家庭的起源を中心として、天倫と天地の運勢は動かざるを得ないのです。
5 統一教会は、一九六〇年に家庭という基盤をもったので、滅びません。家庭基盤をもてなければ滅びるのです。一九六〇年の先生の聖婚式が、どれほど歴史的な事件だったでしょうか!今まで六千年の摂理歴史時代において、アダム一人を探し出すために苦労されたその基盤の上に、アダムが地上に基準を築き、エバを完成したエバとして迎え入れられるということは、霊界と肉界に分かれたものが、初めて地上世界で連結されるということです。男性は天の代身であり、女性は地の代身です。分かれた霊界と肉界が連結されるのです。アダムとエバが怨讐だったその塀が崩れるのです。アダムとエバと神様が出会えなかったこの塀が崩れるのです。サタンが抜け出していくというのです。