天聖経: 第371話

第十二篇 天一国

第一章 神様の祖国と天一国

 

第一節 神様の国と神様の祖国 1-12

1 神様の国は、真の自由と信仰の理想が実を結んだ所であり、真の愛と、真の生命と、真の血統が定着した真の家庭がとどまった所です。さらには、永遠の真の愛と幸福が満ちあふれた千年王国時代がそこから始まります。天地安息圏の中心は、神様が共にある真の男女が結合した家庭なので、これまで真の家庭の価値を説いてきました。したがって、私たちは、聖書で言うエデンの園を、この地球上に具現させなければならないのです。

 

神様の国はどのような所か

2 神様の国は、天と地、すなわち天地が合わさったものです。神様の民とは、霊界にいる霊人と地上に生きる人類全体のことを言います。

地上では、一つの国家であれば、その国家の領土内に住む人を自国の民と言い、国境線内にある土地を自国の領土だと言いますが、神様の国は、神様を中心として天と地、すなわち無形世界と有形世界全体を領土とするのです。

また、今まで人間としてこの地に来て、神様を中心として暮らしてから逝った霊人と、現世に神様を中心として生きている人々と、これから後代となる数多くの子孫までも、天の国の民とするのです。これは、永遠に変わらない天宙的なみ旨なので、これを否定する人は誰もいません。ですから、皆さんは、そのようなみ旨を中心として、そのような理念を中心とした人にならなければなりません。そして、それは、万宇宙の存在が共通に願う最大の目的点なので、その点さえ現れれば、宇宙は統一できるのです。

 

3 人間の願いは、神様の国を建設することです。天国創建という目標を実現することです。皆さんの国は、この世の中にあるのではなく、天にあります。人間が生きるのも、世の中のためではなく、天の国のためです。また、皆さんは、この世の国の主人ではなく、天の国の主人なのです。

 

4 私たちは、神様の国を仰ぎ、慕います。そこは、愛のある所だからです。一時的な愛ではなく、時間を超越し、永遠の愛が存続できる所です。また、自分自らを高めてもらえる所であり、自分の価値を一〇〇パーセント認めてもらえる所です。すなわち、永遠に幸福な所です。そのため、人間は天の国を慕い、憧れるのです。

 

5 新しく迎えた新千年は、六千年間の救援摂理が完成し、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成し遂げられる成約の時代だというのです。二度と涙がなく、死亡がなく、哀痛する声が開こえない新しい天と新しい地を意味します。水晶のように透き通った生命水を代価なく分かち合う、条件のない真の愛の時代のことを意味するのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成し遂げられる時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管と、復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新しい時代が開かれる時なのです。

 

6 地球星は、人類の故郷であり、霊界は、人類が完成して到達すべき永遠の祖国を意味します。「唯一なる神様のもとにおける一つの国」を越え、「唯一なる神様のもとにおける一つの天宙」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義世界が成し遂げられる時です。したがって、私たちは、神様と人間の根本的関係である父子の関係を心に刻み、天宙、すなわち霊界と地上を私たちの故郷と祖国として創建するために、積極的に先頭に立たなければなりません。

 

7 イエス様も、真の神様の祖国を創建するために来られたのであり、預言者や烈士たちも、その祖国建設の役軍(担い手)でした。天国を創建するために、完成した男性が来なければなりません。天地が公認する男性が家庭をつくり、子女を繁殖して、氏族、民族、国家を成し遂げなければなりません。カインとアベルを基準として蕩減し、接ぎ木して、この世界を神様が主管する祖国として創建しなければなりません。預言者や烈士たちがこれを願ってきたのですが、希望する個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へとつながる地上天国を建設できなかったので、私たちは、これまで歩んでいた道を捨てて、この道を行かなければなりません。

 

8 永遠の神様の国は、一つの目的を中心として、一つの方向にのみ進むので、光明な姿で、明朗な姿で、力強く広がっていかなければなりません。いくらここが黒雲のようなもので塞がっていたとしても、それを貫いていかなければなりません。世の中の光は、雲に遮られれば影が生じますが、天の国の光は、その雲も突き抜けていくのです。その光と熱をもってそこに行けば、すべてのものが熱によって熱くなり、燃えてしまうのと同様に、なくなってしまうのです。

 

9 神様の国は、どこから始まるのでしょうか。完成した人、その一人の中で成し遂げられるというのです。そのようになれば、神様は、私たちの心の中にいらっしゃいます。皆さんが原理を通して学び、知っているように、主体と対象、もしくは内外が完全に一つになった所には神様がいらっしゃいます。中心ができるのです。その主体と対象は、神様と共同の位置にいるようになるというのです。

主体と対象が関係をもったすべてのものは、神様と関係を結ぶようになります。そのようになれば、アダムとエバが喜ぶものは神様も喜び、神様が喜ぶものはアダムとエバも喜ぶようになるというのです。関係を結んだ一切は、すべて共同の作用によって現れるという結論を下せるのです。

 

10 天の国は、愛によって築かれた世界です。ですから、愛の感度に適応できる性質の基準によって、遠近の距離が決定されるのです。太陽の光を多く浴びる木は、早く育ちます。早く生い茂るのです。そのような木は、花が咲くときたくさんの花が咲き、実を結ぶときたくさんの実を結ぶようになります。同じです。そのため、愛の感度を吸収する立場から見れば、その幹と同じなのです。全体が感じられる愛の要因が、その人を通して通過していくので、その人は、その分野、その環境に該当する愛の喜びを感じるのです。その喜びの結果が、神様の全体の喜びと、どのような相対的立場に該当する喜びの基準かという問題を中心として、「神様と私」の関係が決定されるのです。

 

11 天の国は、どのような所かといえば、善の所であり、義の所です。そのような環境が広がる世界です。そこは、好きなもの、うれしいもの、愛するものがいつでも満ちあふれた所です。それでは、天国に入れる人とは、どのような人でしょうか。その環境に合う内容を備えた人にならなければなりません。これは、当然の結論です。私たちは、そのような天国を見つめながら進んでいるのです。

 

12 天の国は、神様の国の家庭から始まります。その家庭は、神様のみ旨に合う男性と女性から始まります。結局、一人の男性と一人の女性が家庭の中心になり、国の中心になり、全体の中心にならなければなりません。国が先にできるのではなく、家庭が先に完成するのでもなく、一人の男性と一人の女性が先に完成しなければなりません。その男性と女性を考えるとき、今日の皆さんにまで連結されるのです。完成した男性と女性というのは、昔でも、今でも、未来でも、同じです。そこには違いがありません。

Luke Higuchi