天聖経: 第346話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十一篇 礼式と名節

第三章 礼式と儀式

第一節 祝福式 23-32

23 父母から息子、娘が一人でも生まれれば、その家庭に四位基台が現れます。神様が六千年間、願ってきたすべての創造理想が成就される四位基台完成が展開します。四位基台が完成すれば、その場で神様が認定して、天国の民とし、天国の家庭としようということを約束する場が、統一教会が最も注視する祝福です。祝福は家庭です。天国は何の天国ですか。家庭天国です。家庭天国を成し遂げなければなりません。家庭天国を成し遂げられない人は、天上天国に入れません。

 

24 蕩減棒式とは何でしょうか。アダムとエバが腰を誤用して堕落したので、妻と夫が、「二度と堕落することはできない」として、もてる力を尽くして腰をたたくのが蕩減棒の行事です。二度とその腰を用いて、誤った行為をしないようにするのです。イスラエル民族も、誓いを立てるときは、もものつがいを指して誓いました。割礼をしたのです。息子が生まれれば、八日日に男性の生殖器の血を流しました。男性の生殖器が誤ったからです。種が誤ったので、新しい種にするために割礼という法があるのです。それは、すべて条件です。所有物を決定するための条件なのです。

 

25 タマルは、天の道をつなぐために、自分の生命を懸けました。そして、ヤコブは天使と命懸けで闘いました。もものつがいを打たれて折られても、一晩中、離しませんでした。もものつがいを打たれなければなりません。もものつがいを誤って用いたことが堕落です。ですから、統一教会では、結婚をしたあとに蕩減棒の儀式をするのです。蕩減棒の儀式とは、腰を打つことです。腰を誤って用いたというのです。三時代を代表した私たちの先祖が愛を誤ることによって絡まったので、これを清算しなければなりません。

 

26 蕩減捧とは何でしょうか。聖書を見れば、蕩減するために行う割礼というものがあります。アダム家庭において、愛によって壊れてしまったのですが、洗礼とは何でしょうか。それは、ノアのときのことを言うのです。既に汚された生殖器を蕩減したのです。ノアのときは水の審判をしました。洗ったというのです。洗ったのですが、未完成だったので、条件的に洗礼を受けました。汚されたことを蕩減し、汚された体を洗ったので、その次にヤコブのときに着地しなければなりません。愛の生活をしなければなりません。血統転換、所有権転換、心情圏転換です。選民は、血統をひっくり返して出発したのです。

 

27 統一教会の祝福を受けた家庭は、血統転換式をします。そして、蕩減棒行事と三日行事があります。そこには、サタンが入ってくることができません。それは、真の父母と神様の法によって天国の門を開き、解放を宣言して現れたものなので、長成期完成級で行使していたサタンは関係をもてません。それで、祝福を受けた家庭は、血統転換式をするのです。それを経なければなりません。

 

28 三日行事をしなければ、真の父母様の血統と何の関係もありません。垣根に入ってきて、見学者にしかなれないのです。三日行事を終えてこそ、礼服を着て残れるのであって、そうでなければ、餅をもらって食べ、宴の見物もしっかりとして、同僚と一緒に遊んだりしたとしても、分かれていくのです。一つになれません。分かれれば、永遠に分かれるのです。血統はこのように恐ろしいものです。

 

29 愛に関する話を今まで悪いものと思っていたのは、愛の器官が悪の宮殿になったからです。三大破壊の武器になりました。愛を破壊する宮殿になり、生命を破壊する宮殿になり、血統を破壊する宮殿になりました。このような三大破壊の宮殿になったというのです。天地のすべてのものを暗黒世界にする宮殿になったので、それが悪い言葉の中の悪い言葉であり、サンソリ(下品な言葉)の中のサンソリになったのです。

本来、「サン」という言葉は、悪い言葉ではありません。「サンサン(双々、ペア)」とというときの「サン」です。それをサンソリと言うのです。サンソリは、二人が愛することを意味するので、悪い言葉ではありません。本来は神聖な言葉です。自分の先祖もここにぶら下がって生きてきたのです。数千万代の先祖がそれをつかんで生き、アダムとエバもそれをつかんで一つになって生きました。男性のものと女性のもの、先祖がすべてそこにぶら下がって生きたのです。男性のものには女性がぶら下がって生き、女性のものには男性がぶら下がって生きました。それにもかかわらず、それがどれほど貴いものかを知らなかったのです。女性のものは、男性の生命をコントロールする主体の中の主体です。

 

30 私たちの体を構造的に見ても、男性のそれと女性のそれが最も貴いので、一番安全地帯に置いたのです。そこが一番の安全地帯です。風が吹いてもそうであり、何かが襲撃してきても、そこは侵犯できません。女性はさらに侵犯を受けません。これは、サンソリ(下品な言葉)ではなく、神聖な言葉です。本来は、それを先祖から最も貴く思うべきだったのですが、これをサンソリと言うならば、今までの先祖がすべて悪かったということになります。アダムとエバの第一先祖まで悪かったということです。サン(卑しい)先祖だったので、サンソリになったのです。

本来、真の愛を中心としていれば、先祖がそこに根を下ろし、育って神聖な木になったでしょう。そのようになっていれば良い言葉になり、良い言葉であれば、いい加減にできないのです。侍っていかなければなりません。ですから、愛する前に先祖に対して、「きょう、このような特定の日を下さり、ありがとうございます」と敬拝してから愛さなければなりません。それで、私たちは、三日行事をするとき、敬拝から始めるのです。それを略式で、代表でするのです。その次は自由です。その峠を越えたあとに愛するのは、自由にしなさいというのです。

 

31 今や祝福が可能なので、いくらでも祝福をするのです。一人も残さず、すべて祝福してあげなければなりません。先生が行く前に、霊界では祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。そのような祝福が今までなかったのですが、できるようになりました。地上世界でも天上世界でも、先生が行く前に祝福を受けた人でいっぱいにならなければならないのです。そのようにしなければ、今までアダムが蒔いておいた堕落のすべての血統が根絶されないというのです。

 

奉献式

32 私たちは、息子、娘を生めば、八日目に奉献式をします。それは中心数を意味します。中心数ですから、男性と女性が備えなければならず、祖父と祖母が備えなければなりません。三段階の四方を備えなければなりません。中心がなくては、三段階がありません。誰もが中心の位置で三段階になれるわけではないのです。

Luke Higuchi