天聖経: 第228話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第八篇 信仰生活と修練

第一章 信仰生活とは何か、

第四節 信仰生活の段階 23-24

第五節 信仰生活での体験 1-13

23 三大王権が一カ所に集まった組織体が私たちの家庭です。過去、現在、未来世界の王宮基地が私たちの家庭です。祖父を神様のように侍らなければなりません。家庭において、大王として絶対的な力をもった方が祖父です。父母はアダムとエバの立場です。現在の家庭の王であり、中心です。子女は、未来世界の王権を相続します。これが真の愛で結ばれた皇族概念です。そのように完成してから行くところが天国です。そうでなければ道がありません。この位置において完成するのです。

 

24 神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守って、真の人として完成することです。さらには、神様の真の愛で一つになった真の夫婦になることです。アダムとエバが真の愛で完成することは、すなわち神様が実体をまとう希望が成就することです。そして、彼らが真の夫婦として完成することは、すなわち神様の絶対的な愛の理想の完成を意味するのです。

第五節 信仰生活での体験

 

1 皆さんは、信仰生活において神秘的体験、あるいは霊的に神様がいらっしゃることを体験していますか。皆さんの中に、祈りや夢での啓示の中で、霊的にでも先生とたびたび会い、先生の指導を受ける人がいるはずです。一〇〇パーセントそのようにならなければなりません。それは、私たちだけがもっている力であり、私たちだけがもっている誇りであり、私たちだけがもっている宝物だというのです。

今まで宗教は、体験的な過程を経ることができなかったために、あたふたとさまよい、世俗化してしまいました。しかし、統一教会は、最後の位置に立った神様であることを知っているので、いくら波風や洪水が押し寄せてもこれを押しのけ、死ぬことがあっても、あすへの希望を遺言に残して死ぬことのできる男性と女性になっているという事実は、驚くべきことです。

 

み言の体験

2 真理のみ言は、同じ内容を何度聞いても嫌になりません。これを体験しなければなりません。同じみ言を百回以上聞いても、また聞きたいと思う真理のみ言をもった教会に行けば、間違いなく天国に行きます。また、百回会い、千回会っても、また会いたいと思う教会指導者に出会ったなら、離れないでください。一つの手を失えば、残りの一つの手でその人をつかんでください。そのような指導者に出会えば、間違いなく天国に行くのです。

 

3 統一教会の原理のみ言を聞いて、教会に行こうと決心すると、必ず試練が伴います。あるいは、原理のみ言を聞くと約束しておくと、必ず家に何か事故が起きたり、いつも何か出来事が起こります。皆さんは、そのような体験をしたはずです。これは間違いない公式です。なぜなら、個人的な環境から、より高く上がろうとすれば、サタンがてっぺんから押さえつけるからです。

 

4 誰よりも深い心情関係を経て与えようとするので、み言を深く知らなければなりません。一〇〇パーセント以上の心的基準と連結される立場に立とうとすれば、そのように深いところまで体験し、実感しながら与えなければなりません。そのような心をもってみ言を伝えなければなりません。行動的な面で、彼らが「私」を好ましく思うことができるようにしなければならないのです。

 

5 信仰生活は実戦です。実戦で勝たなければなりません。新しい人が教会に行こうとするときは、必ずサタンが働くのです。新しい人が入ってこようとすれば、必ず妨害しようとします。ですから、それを克服させるためには、主体が絶対的でなければなりません。完全なプラスは完全なマイナスを創造します。ですから、うやむやではいけません。確定的な立場で、すべてのことを説明しなければならないのです。

 

霊的体験と心情体験

6 初代教会は、神霊の役事によって迫害の渦中を乗り越える行動ができました。しかし、それが個人から始まって、家庭を経て、民族を経て、世界的になることができず、限定された内容で残るようになりました。それは、どのような根本原因によって自分たちに霊的な現象が起き、またそれがどんな過程を経て、どんな終着点に向かっていくのか、その方向をはっきりつかめなかったからです。

 

7 初めから先生は、霊界を中心として重要な解決点を立てました。解決すべきその基準が国家を越え、世界を越える霊界かということを鑑定してきたのです。霊界は超国家的であり、超民族的なので、霊界では国家を越えて心霊状態が同じ人たちが集まります。国家を超越したというのです。

 

8 今後、霊的な体験をしなければなりません。自分のすることが成功するのか、失敗するのかということが分からなければなりません。祈りを熱心にすれば、すぐに成功することが分かります。それをすれば、気分が良くて、体が軽くなるのです。肉体的に分かるのです。体がそうです。そのためには、自分を考える観念、個人主義的観念が備わっているものを、すべて拭い去ってしまわなければならないのです。

 

9 先生は、世の中のどこかに行って苦労する統一教会の宣教師たちを、毎日のように霊界を通して指導し、教えてあげています。皆さんは、生活を通してそれを知らなければなりません。統一教会に入ってきて一週間だけみ言を聞いて決心すれば、生活態度が変わります。昔のことは嫌いになります。ですから、先生が教えた話が耳に入ってきて、話を聞く前に既に予示されたものを再び聞くのです。こうすることによって、統一教会の中心食口にならざるを得ないというのです。

 

10 信仰生活は体恤です。体恤しなければ分からないというのです。ですから、体恤しなければなりません。体験ではなく体恤です。体恤というのは何でしょうか。天が悲しい時、「私」がその悲しみを知らなければなりません。その悲しみが感じられるのが体恤です。体恤すれば、祈りが必要ありません。

 

11 信仰において、最も貴いことは体恤です。体恤して、自分自身でも分からない涙を限りなく流さなければなりません。皆さんは、意識を超越して目から涙が落ちるのを感じたことがありますか。誰かに非難されたといって、悔しく、悲しいからではありません。自分でも分からない悲壮な心情が湧き上がり、とめどなく涙が落ちなければなりません。信仰者の本質的な生活像は、そうでなければならないのです。自らにも分からない苦痛が、深くしみ込んでくるようでなければなりません。胸が詰まり、身の置き所がないほど、深くしみ込んでこなければならないのです。

 

12 皆さんが生涯を通して体恤信仰をするにおいて、原則的な分別路程を歩みながら、万物万象の前に、「永遠不変の勝利者だ」と誇れる基準を立てなければなりません。そのような基準を皆さんが立てることができないとすれば、この地上に悲しみの条件が残るようになります。また、悲しみの条件が残っている以上、天上に行っても、神様の内的な心情を尋ねていくことは困難です。ですから、皆さんは、心の立場にいるイエス様、体の立場にいる聖霊を通した生命体として、神様の栄光の実体として現れなければなりません。そうするとき、初めて皆さんが信仰の実体になるのです。

 

13 先生は今まで、韓国にいる数多くのキリスト教徒よりも多くの精誠を神様のみ前に捧げました。心情的な人は発展するようになっています。個人的な心情から家庭的な心情、民族的な心情、世界的な心情に発展し、体恤するようになっています。心情をもってより一層精誠を捧げる人がいるとき、神様は、その人を離しません。神様は、そのようにしていない人を用いては、作戦を行うことができません。

天国保衛の命令を受けた立場において、自分の位置をどのように信仰的に導いていくかという問題が、何よりも大きな問題です。自分が一つの行動を間違えば、歴史が左右されるので、のちに歴史的な審判を受けるようになるのです。ですから、寝ること、食べること、着ることなど、一切の生活を、信仰を中心として行っていかなければならないのです。

Luke Higuchi