天聖経: 第223話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第八篇 信仰生活と修練

第一章 信仰生活とは何か、

第二節 信仰生活の目標 23-32

第三節 信仰生活の道 1

 

23 イエス様が十字架にかけられたために、肉身をもった真の父母は実現されませんでした。すなわち神様の血統である息子は立てられましたが、霊肉ともの真の父母の顕現は実現されなかったのです。霊界にだけ限定され、霊的救援のみ行ってきたのであり、肉的救援、すなわち体の贖罪は実現されなかったのです。結局、今日までキリスト教には、霊的な父と霊的な母しかいませんでした。

ですから、真の父母がいらっしゃれば、私たちは、その父母によって霊肉が共に生まれ変わるために条件的、あるいは象徴的に母の胎内に入り、新しい生命として再びよみがえらなければなりません。私たちは、そのための路程を求めながら歩んでいるのです。

 

24 肉身と霊人体を中心として見るとき、より重要なものは肉ではなく霊だというのです。肉は七十、八十年の時間圏、限界圏内で生きては消えてしまいますが、霊は時間圏を超越し、空間圏まで超越できる権限をもっています。したがって、歴史的な責任を悟り、その責任を果たすことが人間の本義です。皆さんがいくら肉身を中心として裕福に暮らしても、結局は死ぬようになります。いずれにせよ肉身は死ぬようになっているのです。

 

25 イエス様の当時、洗礼ヨハネが家庭的にイエス様を迎えることができなかったために、イエス様が代わりに蕩減を受けたのと同様に、キリスト教文化圏が再臨主を迎えられないことによって、洗礼ヨハネ的なキリスト教の代わりに統一教会をつくってきたのです。ですから、統一教会は再臨時代において、世界的な版図のユダヤ教と同じです。

イスラエルの国と同じ立場にいるアメリカや自由世界が一つにならなければならないのですが、彼らがみな反対したのです。韓国もそうです。神様が新約時代にイエス様を通して霊的救援摂理をしてきたのですが、統一教会は、実体の国を求めて霊肉ともの救援摂理をしてきたのです。終わりの日を迎えて、世界的版図の霊的基盤をもったキリスト教が先生と完全に一つになれば、肉的基盤が連結されるのは問題ないのです。

 

26 私たちは、先にサタン世界から抜け出さなければなりません。そして、外界の人たちとは違う感情をもたなければなりません。神様の愛を体恤できなければならないのです。サタンが愛するものを憎悪しなければなりません。そして、全世界のために私たち自身を犠牲にしなければなりません。

先生を中心として、皆さんが個人、家庭、氏族、民族、国家、そして世界的に勝利すれば、私たちは、第三イスラエルとして、イスラエル選民、または霊的なイスラエルを再建することができます。そのようになれば、神様は、私たちを通して全人類を霊肉両面で救援なさることができるのです。

 

27 霊的な基準と肉的な基準のうち、どちらがより重要でしょうか。私たちは、肉的な基準だけを中心として生きていくのではありません。肉は霊のために、霊は肉のために存在するのです。皆さんは、世の中の人たちが生きていくような立場にしがみついてはいけません。皆さんは、霊肉が一つになった実体を備えて、よりやり甲斐のある立場で出発しなければなりません。これが統一理念をもった皆さんが行くべき道にもかかわらず、肉身を中心として食べて暮らすことが重要だと考える人がかなりいます。しかし、それはすべて条件に引っ掛かるようになっているのです。

 

真の父母様の命の中で成長

28 神様の願いと人類の希望の帰着点となり、信仰者が勝利できる起点となる一つの基盤とは何でしょうか。神様の恨の起源は、人類が偽りの父母から出発したことなので、真の父母の神聖な関係を中心として、その前に順応する群れになることです。そのようにすることによって、初めて天地が解放され、天国の門が開くというのです。

 

29 真の家庭には、真の父母がいなければならず、真の男性と真の女性、真の夫婦、真の子女がいなければなりません。一番の中心は何でしょうか。個人の目的も真の父母であり、男性と女性の目的も真の父母だということです。真の父母になって、息子、娘をもち、家庭をもつのです。それで統一教会は、「真の父母様を信仰しよう」、「真の父母を信じよう」というのです。信じるというのは、明確ではないからです。明確ではないので、信じるのです。明確であれば、信じる立場を越えられるのです。

今まで明確に知らなかったので信じましたが、明確に知ってしまえば、信じるのではありません。今までは自分がなぜ生まれたのか、私たち夫婦とは何か、子女とは何か、家庭とは何かを知りませんでした。しかし、私たちは、真の父母の家庭を信じるのではなく、真の父母様の家庭を知っているのです。皆さんは、真の父母を知っているというのです。信じるのではありません。真の父母を信じていると考えずに、知っていると考えなければなりません。その次には、真の父母と生活をしなければなりません。真の父母と共に生きなければならないのです。

 

30 メシヤは、堕落していない完成した真の父母です。真の父母が現れてこそ、一つの軸となって、神様と人間が連結されるのです。神様は、霊的な真の父母であり、アダムとエバが完成すれば、実体的な地の真の父母になります。この軸ができているので一つになるのです。

今までの宗教は、真の父母の基準がなかったので、地上で連結できる道がありませんでした。いつも精誠を捧げ続け、天と相対的基準を合わせて霊的に出会うのです。ですから、たくさんの信仰者が精誠を捧げて、捧げて、捧げる継続的な修道の生活を通して、だんだんと霊的に橋を架けて、天と出会う生活をしてきたのです。

 

31 偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統によって生まれたものを切ってしまい、真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して生き返ることが、人類が行くべき道であり、個人全体が行くべき道なのです。宗教が出てきたのは、体を征服して一つにするためです。このような立場で真の愛と一つになり、この地上で暮らして天国に行くことができる息子、娘たちを、皆さんが生まなければなりません。

宗教を信じなくても天の国に行ける真の息子、娘を生むことができる人にはなっていません。ですから、宗教が出てきて体を征服して一つにし、真の父母と一つになって接ぎ木しなければなりません。偽りのオリーブの木が真のオリーブの木になるのです。真の息子、娘を生み、この地上で暮らしてから永遠のあの世に、天国に入っていくのが創造理想です。

 

32 真の父母は、地獄の底から天上の位置にまで行くのです。その真の父母のみ旨に従って真の父母と心情一体となり、生活理想一体となれば、真の愛を中心として行く真の父母とその人は隔たりがありません。縦的に立てて蕩減したものが、横的に入ってくるのです。

個人復帰、家庭復帰、氏族、民族、国家、世界、天宙復帰と神様解放圏まで行ってこそ、八段階の基準がすべてなくなるのです。そのように横的になされることによって、個人が家庭、氏族、民族に行けます。個人は思いどおりに家庭に行き、家庭は氏族に、氏族は思いどおりに民族に行けるので、個人から出発して世の中の果てまで行って、帰ってこれるのです。

第三節 信仰生活の道

 

1 人間は、堕落した人類始祖の子孫として生まれたので、堕落の峠を越えなければ神様を訪ねることができる道はなく、天の国に入ることさえできません。また、堕落性をもった存在に落ちた人間としては、堕落した峠を再び越える道を模索したとしても、自分では不可能です。堕落した峠を再び越えるには、必ず自分の力ではない、第三者の力に頼らざるを得ません。このような境遇に置かれているのが、今日この地上に生きている私たちなのですが、有り難くも、天は私たちを放置されず、堕落の峠を越えさせるために、今まで歴史を通して試練しながら、その責任を担ってきているのです。

Luke Higuchi