天聖経: 第182話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第七篇 地上生活と霊界

第一章 人間の本然の生と死

 第一節 三時代の人生 21-29

21 水の時代には必要のない五官を腹中で準備しなければならないことを、誰も知りませんでした。腹中では、それが必要ないのです。しかし、へその緒を切って空気世界に出るようになるときは、それが必要です。空気時代にも、水の時代と同じく、霊的な内的五官を準備しなければなりません。実体、外的、体的五官ではなく、神様的、内的五官を準備しなければなりません。愛の世界に和合できる自由奔放な生活をするために、それを準備しなければならないのです。

 

22 皆さんは今、制限された立場で、百年間自然界を見る目があり、嗅ぐ鼻がありますが、皆さんの中の永遠の存在は、その存在が生まれるまで鼻を閉め、口を閉じ、耳を閉じてじっとしているのです。これと同じように、皆さんの中に、永遠の世界を見ることができ、永遠の音を聞くことができ、永遠のにおいと永遠の味を味わう感覚が待っています。同じです。その時になれば、すべての人々は、どこへでも行くことができ、何でも聞くことができ、何でもにおいを嗅ぎ、何でも食べることができるのです。

 

23 霊界に行けば、愛の歌を歌い、愛の言葉を語ります。霊界では、オペラ式に話せば、「私」がオペラ式に答えなければなりません。踊りで表現すれば、踊りで答えなければなりません。ひたすら踊り続けても喜ぶことができ、永遠に飽きることがありません。一カ所で踊れば天国がすべて踊り、一ヵ所で歌えばすべて歌うのです。その時は、自分の愛する妻と踊るのです。他の女性と踊るときは、「私の愛する妻を、あなたよりも百倍愛するためにあなたと踊る」とこのように考えるのです。他の女性と手を取って踊るとき、それはすべて自分の愛する相対を千倍、万倍、もっと刺激的に愛するために、このような過程を経るのだというのです。

霊界に行けば、仕事をする必要がありません。夜がありません。いつも目覚めています。いつもこのすべての器官が働いているのですが、どのようなことをしますか。永遠に目を開けていても、永遠に寝なくても喜べるようなものとは何ですか。愛です。そのような愛の理想さえしっかりともっていれば、「何々、出てきなさい!」と言えば、すぐに出てくるのです。そこでは、本然の愛を中心として生きるのです。

 

霊界は愛の結実を収穫するところ

24 人は、どうして生まれたのですか。愛のために生まれました。愛の実を結ぶために、父母から愛によって生まれ、愛の懐で成熟するのです。その次には、神様に代わって愛することができる息子、娘を育てるのです。そして、年を取れば、その次にはどうなるのですか。世の中で父母が感じられるすべてのものを感じ、世の中を通じて神様を感じられるすべてのものを感じ、そこで一つの実になります。植物の実と同じです。木のすべての部分からエキスを吸収した実のような立場で神様の懐に帰ることが、人間が生まれた目的です。また、神様が人間を創造した目的です。

愛で一つになることができるのです。ですから、宇宙とも取り替えることができない無限な価値の基準が、愛です。それで、その愛と一つになるところには、ないものがありません。すべてのものが完成して展開するところです。そのようなところが、今日、人間が行くべき理想世界です。そこが霊界であるといえば霊界であり、天国であるといえば天国です。そのような実が結ばれていくところが天国です。天国というところは、個人が入っていくようにはなっていません。愛を中心に結実し、神様の愛の所有権を相続した対等の価値をもつ対象、その資格をもった人が入っていくところです。

 

25 第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。皆さんは地から、皆さんの体が大きくなれるよう、すべての要素を供給してもらいます。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入るのが死ぬことです。第三の父母に入っていくとき、そのまま入るのではありません。第三の父母に帰るには、本来の父母だった神様の形に似なければなりません。したがって、なぜ結婚するのかというと、神様の形に似るためなのです。

 

神様は、二性性相としていらっしゃる方として、各一性が合体化した一律的な存在であり、その神様の分性的人格が男性と女性なので、彼らが合性一体化して結実体のようになり、神様の本性の位置に帰らなければなりません。しかし、その結実体をつなげるためには、愛の道を通じなければならないので、生まれて愛を受け、育つときも愛を目標として育ち、生きるときも愛を中心として生き、歩むときも愛に帰るために歩まなければなりません。その道は、ために生きる目標を中心として訪ねていかなければ、方向がそれてしまいます。

 

26 自分の環境を克服しなければなりません。そればかりでなく、未来に結実できるすべての条件を受け継ぎ、その結実する内容の動機となる力を自分自身がもたなければなりません。そうしてこそ、結実の過程を経て、新しい歴史過程や人類社会に必要な一つの結実体として残ることができます。人は、生まれて必ず環境を克服しなければなりません。

だからといって、それを克服するだけで終わるのではなく、未来に新しい生命を受け継いで、結実の内容をもてる過程を経ていかなければなりません。この過程を経たのちには、正しく実際に効力を現せる一つの位置を所有しなければなりません。例えば、穀物は種が蒔かれ、芽が出て育ち、実を結び、主人の手によって刈り取られて倉庫に保存されるのと同じように、必ずある目的に必要なものとなって刈り取られる過程を経なければならないというのです。

 

27 この地上での人生は、一つの通過期間です。ですから、霊界に行った子女に対して泣いたり叫んだりする人は、堕落圏内の因縁を抜け出ることができなかった人なので、霊界に行けば、塀に塞がれるのです。人は愛で生まれ、愛で生きたのち、愛に帰るのです。根から始まったので、実は必ず根に帰るのです。

人間がどうして生まれたかというとき、理想的愛のために生まれたというのです。その愛は永遠の愛なので、父と母を取り替えることはできません。自分たち夫婦同士を取り替えることはできません。自分の息子、娘を取り替えることはできません。ですから、愛は貴いのです。愛は、神様から始まるので、絶対的な神様の愛は変わることがありません。愛は永遠なので、神様の愛のために生まれた人は、愛のために生きたのち、永遠の神様の相対の位置に立つことによって永生するというのです。

 

28 空気の世の中で、霊人体が体にくっついて胎児のように肉身から栄養を得たのち、肉身がすべて老いてしまえば、振り払って出ていこうとしますが、肉身が「死にたくない」と言うとき、神様が見れば笑うでしょうか、同情するでしょうか、しかりつけるでしょうか。赤ん坊が生まれて父母の前に愛の対象になるのと同じように、この肉身が霊的父である永遠の神様と相対できる霊人体として再び生まれなければならないのは、原理原則の結論です。胎児が生まれ、父母と愛の友になれるのが地上世界です。父母と愛を共にできる地上世界に生まれるのと同じように、霊的で無限な世界に通じる父母であられる神様と、愛を交わせる霊界に生まれなければならないのです。そのような相対的な位置を所有しなければ、到底神様の息子、娘になることはできません。

 

29 見えない神様が発展し、見えるアダムを通して、アダムが初めて愛の主人となり、息子、娘を生んで育てることによって、神様の代身として実体圏を横的に感じるようになります。無形の神様、アダムの実体圏、その次には、孫を中心として二つの国の結実体になります。これは、霊界と肉界の実体になるので、その実体はどこに行こうと、霊界と肉界の完成した実になるのです。

Luke Higuchi