天聖経: 第196話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第七篇 地上生活と霊界

第二章 霊界とはどのような所か

第四節 天上天国に行く道 1-8

第四節 天上天国に行く道

 

1 皆さんはみな、先祖たちの顔を代わりにかぶって出てきた歴史的な復活体です。その歴史がどれくらいになるのでしょうか。何十万年になるといいます。そのように長い歴史過程を、結局、「私」一人を造るために苦労したというのです。金氏なら金氏という「私」一人を誕生させるために、数多くの先祖たちが生まれては死んでいったのです。ですから、私たちは歴史的な結実体です。

皆さんからよく熟した実が出てくると思いますか。皆さんの二世が、間違いない天の姿になると思いますか。皆さんの心の中からよく熟した統一教会が出てくると思いますか。六千年の人類歴史の結実体が、木から落ちる実のように熟すことができずに落ちてよいのですか。「ああ、私は落ちそうだ。風がもう少し吹いたら落ちるので、先生、揺らさないでそっとしておいてください」と言わなければなりませんか。そのような人もいるでしょう。一方で、「先生が斧で打って枝を思う存分揺らしても、枝が裂けていくまでは絶対に落ちません」と言う人もいるでしょう。皆さんは、どのような人になっていますか。

 

人生の結実体

2 善の神様と、その反対の悪のサタンの間に挟まっているのが人間です。ですから、一生をかけて「私」が善を追求しながら行くようになる時は、善の神様が共にあるのであり、その反対に立つようになる時は、悪のサタンが共にあるのです。これが現在の人間の運命です。一生の路程で、善の神様を慕いながら善のみを残すことができる道をどのようにして立てていくかということが、人間が何より希望することにならざるを得ません。そうすることによって善の神側に立つことができますが、できなければ悪の側に帰結します。

絶対的な善を中心としていらっしゃる神様を人間が絶対的に信じ、その方と一つになる道を模索することによってのみ、私たちの人生行路が善で始まり、善の過程を経て、善の結実を結ぶことができます。私たちが一生をすべて生きたのち、善と悪を一つ一つ差し引きしたときに、悪が善より多ければ悪の主管圏内に帰結し、善が悪より一つでも多く残る時には、善の主管圏内に帰結するのです。

 

3 私たちの一生の中から、善と悪を一つ一つ抜き取ったとき、最後に残るものが善であってほしいというのが人間の願いです。しかし、善よりは悪が残りやすいのが私たちの人生行路です。一時代の数多くの人類を総合して見てみるとき、一人一人の善と悪を差し引いたあと、善よりも悪が残るならば、この地上に生きている人は善の人ではなく悪の人であり、またこの社会は善の社会ではなく悪の社会だという結論が出てきます。

 

4 善悪というものは、思いの中で決定されるものではありません。善悪というものは生活圏内で決定されます。天国と地獄は、皆さんの観念の世界で決定されるのではなく、生活舞台で決定されます。これは重要です。電車に乗って人々を見回してみると、気分の良くない人と気分の良い人がすぐに分かります。気分の良くない人は自分よりも霊力が低いのです。しかし、気分の良い人は、それ以上の人たちです。もし、霊的な体験のある人がいれば訪ねてくるのです。そのような人はすぐに分かります。動物も自分の生死が分かるのですが、万物の霊長である人間が、自分の人生を知らずに生きるのですか。すべて私利私欲にとらわれ、神様に背を向けて生きているので分からないのですが、神様と共に生きれば分かるようになります。

 

5 霊界に自信をもって行くことができますか、できませんか。自信をもって行けば天国があり、自信なく行けば地獄があるのです。いずれにせよ行かなければなりません。よく熟した実は天国の倉庫に行き、熟すことができなかった実は腐った臭いのするごみ箱に行きます。地上で、どんなに難しくても完成して行かなければなりません。ですから、しっかりと実を結ばなければなりません。

「目よ、地獄に行こう。口よ、地獄に行こう。耳よ、地獄に行こう」と言って、五官の地獄を克服してこそ、天国に行くことができます。そのようにして、地上の最も見たくないものを見なければならず、嗅ぎたくない臭いを嗅がなければならず、聞きたくない話を聞かなければならず、言いたくないことを言わなければなりません。先生がこの膨大な世界をすべて知り、霊界をはっきりと知りながら行く道は、地獄の道です。誰も行かない道を開拓していくのです。

 

6 神様は、万物を造られる時にもみ言を通じて造られ、私たちを取り戻してこられるときもみ言を通じて取り戻してこられます。皆さんが神様から出てきたとすれば、神様がみ言を蒔いたので、皆さんには、そのみ言を刈り取って父のものとして取り戻してさしあげるべき責任があります。終わりの日は、み言を刈り取って一つの実体を備えるべき時です。み言を通じて実体がつくられます。

このように、み言を通じてつくられた実体を探してこられたのが神様の歴史であり、イエス・キリストがこの地上に来られた目的です。神様は、堕落した人間に実体を先に見せてあげず、み言を先に見せてくださいましたが、これは逆に取り戻していくからです。失ってしまった順に取り戻さなければなりません。実体を願いますが、先に堕落した人間の心にそのみ言の種を蒔いたのち、そのみ言を根拠にして一つの生命体となった実体を備えるようにするのです。

 

7 アダムとエバが信仰を失ってしまい、実体を失ってしまい、愛を失ってしまうことによって、血統的に逆になってしまいました。ですから、これをひっくり返さなければなりません。ニコデモがイエス様の前に来て、「天国に入ろうとすればどうすればよいのですか」と尋ねたとき、イエス様は「生まれ変わらなければ天国に入ることができない」と言いました。するとまたニコデモが、「どうして、そのようなことがあり得るのですか」と尋ねると、イエス様が「あなたはイスラエルの教師でありながら、それも知らないのか」と言いました。

彼がユダヤの国の教師だったので、イエス様は比喩ではなく、事実の内容をもって最も重要なことに言及したのです。それで「あなたが生まれ変わらなければ天国に入っていくことができない」と言いました。生まれ変わるには、アダムとエバより劣っていては入っていくことができません。生まれ変わるには、アダムとエバより優れていなければなりません。これが原則です。そうでなければ、根本復帰の位置に上がっていくことができません。

 

8 堕落とは何かと言うと、み言と実体と心情の関係が離れていったことです。ですから、皆さんは、み言を知って、み言を実践しなければなりません。み言を実践するには、父母の心情を備えて行動していかなければなりません。蕩減復帰の解怨ができる実体的な行動を経た者であってこそ、祝福してあげることができます。それは言葉だけではありません。それが言葉だけであってはいけないのです。そして、天の一族、言い換えれば、この国の生命体になるのです。

これから皆さんは、生霊体にならなければなりません。そのようになって、入籍して自分の位置を求めていくのが復帰の路程です。ですから、皆さんは入籍しなければなりません。生霊体に連結され、入籍されれば、皆さんがどんなに間違い、どんなに誤ったとしても、サタン世界で立てた法で処理できなくなります。

今日の世の中でもそうではないですか。アメリカ人を韓国の法律で処理できますか。国籍が違うのでできません。そのような圏内に入っていけば、その圏内の法を通じてのみ適用するようになります。ですから、サタン世界の法は、一度越えれば適用できないというのです。サタン世界の法が適用できないので、結局は、この地上の法ではできないのです。それに応じた蕩減的な条件を立てたからです。ですから、地獄には行かなくなります。

Luke Higuchi