天聖経: 第194話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第七篇 地上生活と霊界

第二章 霊界とはどのような所か

第二節 霊人の生活 21-26

第三節 天使と天使世界 1-3

21 天国に行くとき、結婚式をするように礼服を着て入っていき、神様のみ前に愛の挨拶をします。神様のみ前で夫婦が愛するのです。そこで愛すれば、神様御自身が喜びと同時に縦的な立場で包み込み、横的な夫婦ばかりでなく、宇宙全体の感情が入ってきて酔いしれるようにするのです。想像もできない仕掛けが施された世界に入っていくのです。愛するようになれば、見えない二つの力が訪れてきて、すべて一つになって光の世界に同化されるという、驚くべきことが起こります。真の愛がなければ、そのような生活にはなりません。

 

22 霊界に行けば、天のお父様だけがいるのではなく、天のお母様がいるのです。父と母がいなくて生命体が出てくることができますか。そのような父母のように、アダムとエバの背後には、分かれて出ていた神様が一つになっています。ですから、母を通してもそうであり、父を通しても天の国に行ける道が生じるという話になります。そのようになったならば、あの霊界の天上天国の主人公とは誰でしょうか。実体をもって生きていた「私」の真の父母が、あの世に行って永遠の天国の王、女王になるのです。

 

善霊と悪霊が共存する生活

23 霊界は、善の霊界と悪の霊界、このように二つに分けることができます。その世界は、実在する世界です。地上世界の人たちには分かりませんが、そこは、確実にある世界です。霊界でも、善の霊人たちと悪の霊人たちが闘争しています。霊界にも闘争があります。

サタンを中心として、悪の霊がつながっていますが、その悪の霊の統治圏内に、今日、地球星の人間たちが暮らしています。なぜでしょうか。

今まで逝った先祖たちは、善の霊も悪の霊も、すべて霊界に行っているので、その善の霊も、堕落した世界と区別されたという条件をこの地上で立てて、善の側に立っているのであって、神様が御覧になるとき、完全な善の立場に立っているわけではありません。

神様の本然の理想世界、本然の人間になることができる、理想的な善の圏内に向かっていくときに、善の霊たちはそこへ前進しようとし、悪の霊たちはそれを妨げようとしています。悪の霊界と悪の世界というものは、いつでも通じます。いつでも連結できます。善の霊は、悪の世界で対立して、反対される立場で生きて死んだ霊なのです。それは、宗教を信じて行った霊人たちです。

 

24 あの世に行けば人の命を奪った者と命を奪われた者、様々な人たちが一カ所に集まっているので、そこでは刃物で相手を脅かしたり、復讐したりしようとすることも起こるのです。ですから、数多くの塀で塞がっています。ですから、悪霊が怨讐の子女を訪ねていって事故に遭わせて、連れていったりするようなことが起こるのです。これをすべて解かなければなりません。これを解くためには、まず地上世界で解かなければなりません。解くには、それ以上に良いものを与えなければなりません。死ぬことよりもっと良いもの、怨讐関係になったことより、もっと良いものを与えなければ解くことができません。

 

25 霊界は、歴史始まって以来今まで生きていた数多くの私たちの先祖たち、今生きている数多くの人たち、これから来る数多くの人たちが、みな行ってとどまるところです。その霊界にも善の霊界、悪の霊界があります。すべて死んで消えてなくなるのであればそれまでですが、神様が何らかの関係を結べる人間が残って一つになった集合体が霊界だとすれば、その霊界も不可避的に二つの種類になります。悪の種類と善の種類です。

ここで問題となるのが、いったい悪の種類とは何であり、善の種類とは何であるかということです。神様も悪の霊界と善の霊界が和合して、人間世界が和合できることを望むでしょう。それで、各自がもつ目的も達成すると同時に全体目的も達成できる、理想的に二重の結果が出る立場を追求するのです。

 

26 愛の実を取って倉庫に送れば天国が成し遂げられ、天国の家庭と天国の国と天国の民になっていたはずですが、これが途中ですべて腐って落ちるようになったので、地獄の家庭となり、地獄の民となってしまいました。そのようになったことを堕落と言います。落ちたというのです。

私たちは、生きてはいますが、理論的に否定できない地獄に落ちて生きていることを認めなければなりません。堕落し、地獄に生きているというこの二つの事実は、嫌でも認めなければなりません。愛の実を結んで天国の倉庫、天国に行くべきなのですが、堕落したので地獄の倉庫で腐ってしまっているというのです。

第三節 天使と天使世界

 

1 私たちは、神様が人間世界を造る前に、天使世界を造ったことを知っています。それでは、天使世界とはどういう世界でしょうか。人間が一つの結実のために、花のような存在としての美を備え、香りを放って現れるときに、初めて愛の巣が完成します。すべての生命力はそこから出発するようになり、すべての生命をもった存在がそこから和動できるようになります。

このように和動できるようになる起源が、正に人間です。そのような人間を中心として、天にいる天軍天使たちが人間と、蝶や蜂のように互いに与え合える和動の主体圏を形成するようになれば、それこそ神様が喜ばれ、人間が喜び、天使が喜び、全被造万物が愛に浸る和動の花園になったはずであり、春の宴が始まっていたはずです。

 

2 エデンの園には、アダムとエバがいて、天使長がいて、神様がいました。天使長は、アダムとエバが祝福を受けるまで、責任をもって養育していかなければなりませんでした。それが天使長の使命です。ところが、堕落してしまいました。それは自分を考えたのです。神様の創造は、神様の理想を中心とするのであって、天使長とは関係がありません。神様のみ旨によって創造したので、神様の考えどおりに造られたというのです。そのすべての価値と内容と目的は、神様が喜ぶためです。天使長が喜ぶためではありません。何と言おうと、目的の中心は神様でした。

ところが、その目的の中心価値を完成させるには、神様お一人ではできません。神様は、アダムとエバを中心として創造目的を完成することを願っていました。それで、それによって、神様は、天使長よりアダムとエバに心が向かわざるを得なかったのです。赤ん坊の時を見れば、子女は母親の懐にほかの子が抱かれている場合、すべて押しのけたいと思います。何も知らない赤ん坊の時でもそうなのです。それと同じように、その時も、天使長にそのような嫉妬心があったことは否定できません。アダムとエバは、完成して神様の目的、神様が喜ぶ目的を完成しなければなりません。それは、天使長とは何の関係もありません。単に保護し、育て、祝福を受けさせて家庭をもつように協助することが天使長の使命だったのです。

 

3 エデンの園において、天使長が堕落することによってサタンになったので、天の前に天使長がいなくなった立場になりました。天使長を身代わりすることができ、その使命を担うことができる存在、霊界と肉界にわたってサタン世界の、その何よりも強い存在を探し立てるために、天は苦労してこられました。

まず天使長を探さなければなりません。この天使長は、サタンになった天使長より劣った使命を果たす存在であってはいけません。堕落したサタンを退け、屈服させて、天の前により忠誠を誓う中心天使長のような存在を立てなければなりません。

この天使長のような世界的な代表、サタンを凌駕できる中心的な代表を立てるには、天と関係を結べる基盤を通じて立てなければなりません。これは一度に現れるのではなく、多くの受難の道と悪の環境をかき分け、一切の悪を分立した勝利の決定権を備えなければなりません。個人的圏内を超えて家庭、氏族、民族、国家、少なくとも一つの国家を中心とする基盤の中で、天は天使長的勝利圏を見つめて摂理してこざるを得ないのです。

Luke Higuchi