天聖経: 第193話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第七篇 地上生活と霊界
第二章 霊界とはどのような所か
第二節 霊人の生活 12-20
12 良心は欺くことができません。自分の一生がすべてビデオテープのように記録されます。自分の番号が付いたその記録が霊界にあるのです。そこに行ってその番号を押せば、あっという間に分かります。生まれてからその時までが、あっという間に分かるのです。どうすることもできません。
その記録を見るから良心が痛哭する程度に比例して、地獄と天国の境界線を出たり入ったりするというのです。その世界はただむやみに、大ざっぱな計算によって動くのではありません。数理的な世界です。理論的に動くのです。神様は科学者の王です。天国は、自分勝手にするようにはなっていません。
13 私たちは、好きでも嫌いでも、死んでも蕩減の峠を越えていかなければならない運命をもつ堕落の子孫です。それを否定することができません。この道を越えていかなければなりません。それを自分の一生で越えずに霊界に行けば、何百万年もかかるかもしれません。あの霊界には蕩減がありません。そこは解放された完成圏なので、愛の波で満ちあふれているところです。蕩減や再創造はありません。再生産もありません。そのような刺激がないので、一度固着すれば、それで終わるのです。神様はそのようなことを御存じなので、この地上にメシヤを送られたのです。
個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様という八段階の蕩減の道が残っています。その道を一気に通過することはできません。それで、神様は歴史を通じて、個人蕩減時代、家庭蕩減時代を経て、イスラエルの四千年歴史を通じてキリスト教文化圏の世界蕩減時代まで導いてこられたのです。
14 霊界は愛が一番です。愛の主体である神様のみ前に行くことが、最高の願いです。それを知ったので、先生は一生の間、十字架を背負って血の汗を流しながら来ましたが、自分がどこに行くか心配していません。先生が行くところは、先生がよく知っています。
人間は、霊界に行ってまた戻ってくることができればよいのですが、霊界というところは、一度行けば、再び戻ってくることができないようになっているので心配です。逝ったのちには帰ってくることができません。そこで知って解決しようとすれば、億万年かかります。そこには、きれいに掃除できる刺激的な装置がありません。
この世の中には不安定なことが多く、変動が多いのです。一日にも千態万象の変化があります。もまれることが多ければ多いほど、殻をたくさん脱ぐことができます。ところが、霊界には愛の刺激的な要素はありますが、罪悪を脱がせてくれる蕩減的な要素がないので、数多くの歳月がかかるというのです。
15 神様を失ってしまったことは、万宇宙の大主宰を失ってしまったことと同じであり、私たちの父を失ってしまったことと同じです。その父は、私たちが肉身をもって生きる百年余りの短い期間だけ呼び求める父ではありません。永遠無窮に呼び求める父です。永遠にその方が喜べば共に喜び、その方が悲しめば共に悲しまなければなりません。それが地上で決定するのです。
ですから、地上で生きている間に神様が喜ぶことができる立場で、悟りの道、信仰の道を守った人が行くところが天国であり、神様が悲しむ立場で生きた人が行くところが地獄です。ところが、私たちは、神様が悲しむ立場で生きています。このような曲折が堕落によって生じたのです。
16 霊界では、赤ん坊を生みません。霊界は縦的な世界です。神様を中心として円形を形成している世界なので、赤ん坊を生む必要がありません。体をもつ人間を造られたのは、横的な基盤が必要だったからです。それは繁殖する畑です。霊界の民は、すべてこの地球から行くのです。
それでは、世の中では今、なぜ産児制限をするのでしょうか。それは天命によるものです。悪の血統を、これ以上繁殖させてはならないというのです。統一教会の祝福家庭はどうでしょうか。皆さんにとっては、どれくらい天国の国民を繁殖させるかということが財産です。信仰の息子、娘より、自分の生んだ息子、娘のほうがもっと価値があります。信仰の息子、娘は、祝福を通じた血統関係ではありません。そのような息子、娘をどれほど残していくかによって、天国での自分の位置が決定するのです。
17 心臓が止まった時、死んだと言います。霊人体の心臓は永遠に止まりません。その心臓の根が神様です。神様の根を受けたので、心臓という実に対して神様と同じ人として刈り取るのが霊界に入ることです。それでは、皆さんが霊界に行けば、どうするのでしょうか。霊界は肉界と同じです。むしろ善化されて神聖化されたものが霊人体です。それは、人間的な五官よりも立体的な感覚で生きるのです。私たちは、地上で縦横の関係、上下の関係、前後の関係を通じることによって生命の脈を感じますが、霊界に入っていけばこれが宇宙的です。大きくなるのです。
18 霊界の生活で、すべての価値の中心は何でしょうか。霊界に暮らす人たちは、各個人が霊界の社会に属しています。霊界にも人間世界と同じように、霊界の家庭があり、一族がいて、一つの国があり、世界とつながっています。今日、地上に生きている人が、好きでも嫌いでも、誰彼を問わず、みな帰ってとどまるところが霊界です。そこには、未開人から文明人まで、歴史時代に生まれては逝った千態万象の多くの人間が集結しています。
ここで生きた人があの世に行って、突然変わることはできません。「三つ子の魂百まで」という言葉があります。もって生まれた性格は直すのが難しいのです。あの世に行っている霊人体は、私たちが今まで暮らしてきた内容と特別に違うのでしょうか。突然に変わるのでしょうか。そのようなことはありません。ここで生きた、その姿どおりに収穫されていくのです。
霊界に行っているすべての霊人体は、結局は地上で生きた人々の霊人体です。今日、人々が生きている世の中と違いのない世界です。
夫婦が一心同体で生きる生活
19 霊界に行けば、本当に一心同体になった夫婦は、いつでも男性が女性と一つになり、女性が男性と一つになることができます。女性の中をのぞいてみれば、男性が入っており、男性の中をのぞいてみれば、女性が入っています。神様の二性性相と全く同じです。性相と形状が分かれて出てきたので、その本体に帰るには、愛のはしごに乗らなければなりません。創造の基準が愛から始まったのですから、このはしごに乗って入らなければなりません。結局、終着点は、神様と共にいるのです。
20 愛の器官を誤って使えば、父と母も、死亡の世界に入っていきます。自分自身も同じです。ですから、愛の器官をつけて生まれた存在物は、それを犯すようになれば死亡に直結するのです。赦す道がありません。このような観念を、しっかり入れてあげなければなりません。その愛を中心として神様が人間と和合し、人間は神様と愛で一つになるのです。神様と一体化するのです。神様の二性性相が分立されたものが完全に愛で一つになれば、霊界に行ってみると二人が一つになっています。見れば間違いなく男性なのですが、その中に女性が一体化して入っているというのです。愛の目で見れば、すべて統一です。醜い人も美しく見え、美しい人も美しく見えます。