天聖経: 第148話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第五篇 真の家庭
第四章 真の子女の教育と家庭天国
第六節 真の家庭と家庭天国 15-25
15 法を超越し、制度を超越し、環境のすべての背景を超越し、自分まで超越して永遠に共にいたいと思う関係を結ぼうとするのが父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛です。これを無視する社会制度はあり得ず、これを無視した国家は形成されません。ですから、統一教会は、個人救援を望むのではなく、家庭救援を望むのです。統一教会は、個人救援を目的とするのではなく、家庭救援を成し遂げようというのです。統一教会はこの点が違うのです。
真の家庭と家庭天国
16 天宙主義の天宙とは、天地です。内的な面と外的な面で、神様と一つになった人、すなわち心は天を象徴し、体は地を象徴しますが、これが神様を中心として一つになる主義を意味するのです。元来、エデンの園で心と体が一つになったアダムと、心と体が一つになったエバが、神様を中心として一つにならなければなりませんでした。こうして、神側の家庭を完成すれば、神様がアダム家庭に臨在するはずだったのです。
17 人類歴史は、文化を通して発展していきます。文化世界を形成する背後の目的は、一つの人格を中心とした真理体を探し出すことです。すなわち真理を中心とした人格体を求めていくことです。ですから、人類歴史は真理を求めていく歴史です。すなわち真のみ言と真の道理を求めていくのです。
それでは、主義や思想とは何でしょうか。最初からいかなる主義も思想もあり得ません。強いてその主義や思想に名前をつけるならば、それはアダム主義であり、アダム思想です。アダム主義は、共産主義や民主主義ではありません。父母主義なのです。
18 本来、アダムとエバが堕落せずに神様を中心として出発し、神様を父として侍り、その息子と娘になったとすれば、これらを中心とした主義は神主義です。神様を中心としたその主義は、万民が主体と和動することができ、全体を肯定することができ、全体を吸収することができ、自らを吸収させることができる主義として、そこにはいかなる分派もあり得ません。しかし、人間が堕落してそのような主義が出てこなかったので、再び求めていくのです。これが神主義です。また神様を中心とした息子と娘の主義です。
統一教会では天宙主義を語ります。天宙主義とは、息子と娘が神様を中心として夫婦になって家庭をつくることを意味します。天宙主義という時の「宙」の字は、家という意味です。家を意味する「宙」の字を使う理由は、家は家庭、すなわち夫婦を意味するものだからです。
19 世界を本当に愛するには、先に人を愛さなければなりません。人を本当に愛するには、自分の相対を本当に愛さなければなりません。男性は女性を愛し、女性は男性を愛さなければなりません。それが夫婦です。夫婦になった人たちは、自分の相対を愛する心をもって世界を愛さなければなりません。言い換えれば、女性は自分の相対を愛する気持ちで世界の男性を愛し、また自分が男性から愛される価値のある存在であることを知って、世界の女性を自分と同じ価値のある存在として愛さなければなりません。男性も同じです。世界の女性たちを自分の妻のように貴い女性として愛し、また世界の男性を、妻が愛する自分と同じ立場に立てて愛さなければなりません。愛の道は、このようにたどっていかなければならないのです。漠然としていてはいけません。ですから、家庭は国家形成の基準になります。いくら大きな世界を形成するとしても、家庭が基準になります。このような立場で、今日、統一教会は天宙主義を叫ぶのです。天の家庭主義だというのです。天宙、天の家だというのです。
20 統一教会の教会員たちは、今から天宙主義で生きなければなりません。天宙主義は神様の家主義です。神様の家主義なので、その家の暮らしは神主義の暮らしです。神様は世界の王であり、世界のための暮らしを主導していく主体なので、そのような暮らしをしなければなりません。
ですから、天宙主義の思想圏内にいる統一教会の祝福家庭は、自分のために生きてはいけません。自分の夫や自分の妻だけのために生きてはいけません。そのようにはなっていないのです。昔とは違います。ですから、私たちは家庭を本意として進んでいくのです。
私たちは救援を受けますが、一人では救援を受けることができません。一人では絶対に天国に行けないのです。一人で天国に行く道理がありません。そのような理念の土台をこの地上で新しく出発させたのが統一教会です。ですから、今後、何が主人なのでしょうか。家庭が主人です。伝統的家庭です。
21 統一教会の主義は天宙主義です。主義という話は、堕落世界において渡っていく船と同じです。過程的な時代において必要なものです。収拾するための方便の言葉です。これを中心として一つになって結びつくようになっています。天宙の「宙」は家という意味ですが、なぜ家を意味する字をつけたのでしょうか。家がなければ天国を建設することができないからです。第三イスラエル民族になるためには、家を通過しなければなりません。家庭を通過しなければならないのです。エデンに天国がつくられるためには、アダム家庭を通さなければなりません。その家庭の家が、家庭の法度、家庭の秩序、家庭の理念に従っていき、千秋万代の子孫が、その法度を相続して横的に世界化するようになる時に、天国が形成されるのです。
22 天宙主義とは、真の父母主義です。結局、この二つの主義は父母主義です。これは私たちの家主義であり、私たちの国主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落していなければ、世界は誰の主義になるのでしょうか。アダムの主義になるはずでした。そのアダム主義が正に真の父母主義です。父と母の主義だというのです。ほかに、これ以上の思想はありません。ですから、統一教会は、この本然の理想的な家庭の枠の中で、真の父母という理念を中心として心情的な問題が天の主義とつながるようにしなければなりません。このような理念で制度化された家庭が残っている限り、統一教会は滅びることはありません。
23 天国は、どこからつくられるのでしょうか。私たちの家庭からつくられます。私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に家を意味する「宙」の字、すなわち「天の家主義」だというのです。このようになってこそ、天宙という意味が明確になります。ですから、聖書六十六巻はすべて、理想的な家庭を願ったみ言です。
また、万民が願うこととは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。女性が最も願うことは、理想的な夫に出会うことです。女性は、博士になって世界に向かって大きなことを言ったとしても、その願いは、理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会って、福の多い息子、娘を生むことです。これが幸福の根本です。統一教会の理想は、ほかのところにあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭なのです。
24 神様の理想とは、漠然と神様の心の中で成されるのではありません。神様の観念の中で成就されるのではなく、今人間が生きている現実的な生活の基点において成就されます。その生活というものは、私たち個人を中心とした、男性なら男性、女性なら女性の日常生活ではありません。
神様は、家庭的生活基盤を標準にした理想の実現を計画したのです。その理想の実現が完成するとき、そこにおいて真の理想的な子女が形成され、その子女の形成を中心として氏族が編成され、氏族と民族と国家と世界が形成されて、神様の理想世界が完成されます。神様のみ旨はこの理想世界を実現することです。その出発点はあくまでも「私」ではなく、家庭なのです。
25 男性が行く道、女性が行く道はどのような道でしょうか。それは一つの家庭を通して行く道です。男性と女性が一つになる最初の道が家庭という基盤です。そこから出発するようになります。その家庭の一致が実現しない限り、すべてのことがばらばらになるのです。
男性の理想と女性の理想が違ってはいけません。男性の理想も女性の理想も、それが一つになって神様の理想と一致する、すなわちこの三代のすべての基準が一つの人間を中心として、家庭という一つの出発点を中心として一致するところにおいて、神様の理想の実現が始まるのであり、男性としての理想の実現が成就するのであり、女性としての理想が実現するのです。