天聖経: 第172話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第六篇 真の万物

第四章 自然と海についてのビジョン

 第一節 万物還元と趣味生活 1-12

1 自然を愛するのは何をするためでしょうか。人を愛するためです。人を愛するのは何をするためでしょうか。神様を愛するためです。神様を愛するのは何をするためでしょうか。所有決定権をもつためです。「私」が息子になり、娘になり、御自身は父になるという決定権をもつのです。決定してからは何をするのでしょうか。格位が生じます。天地万物の秩序が生じるのです。そのようになれば、すべてのものが関連をもつのです。

 

2 被造世界の主人とは誰でしょうか。神様の実体であるアダムとエバが理想的な主人にならなければなりません。ですから、このアダムとエバの完成のために被造世界が動員されるのです。被造万物は、愛のために生まれたので、愛を受けなければなりません。そのように、神様のように愛することのできる被造万物の前に、主人がいません。堕落したために、いないというのです。万物の嘆息が、ここから出てくるのです。今後、神様の実体として霊肉が合わさった一体の合徳(和合)体が出てくれば、神様が造ったものよりも、神様が投入したものよりも、さらに高い愛の相対となります。それを願ったがゆえに、この被造万物も、アダム完成のための高貴な位置にいて、アダムが考える以上の元素になります。そのような元素が数多く合わさって、アダムとエバの完成を成し遂げなければならないのです。そのような天的契約になっているというのです。

 

3 アダムは、万物の主人になるべきだったので、水の中に何が棲むのか、園の中に何が棲むのかを知らなければなりませんでした。それで、動物やとんぼなど、すべてのものを捕まえるために駆け回ったのです。アダムは、エバが完成して関係を結ぶときまでは、神様が造った万物を愛するべきでした。ですから、土の中に何がいるのかを知らなければならず、鉱物がどのようにできていて、それが植物に吸収されて大きくなり、植物はまた動物に食べられ、小さな動物は大きな動物に食べられ、大きな動物は人に食べられることも知らなければなりませんでした。神様が造って愛されたその事実を、アダムはただそのまま代わりに愛すべき主人だったのです。

 

4 人間が堕落しなかったならば、全天下が私たちのものであり、神様も私たちのものです。しかし、堕落することによって、所有できる資格を失ったので、私たちがもっているすべての物を捨てなければなりません。「見える世界も私たちの世界ではなく、造られたすべての万物も私たちの物ではありません。このすべては神様の物です」と言いながら、神様にお返ししなければなりません。そのような立場で再び神様と関係を結んで生まれ変わったあと、すべての万物を主管する位置に立てようというのが救いの目的です。

 

5 堕落した人類は、サタン側と天側、両方の所有が決定されていない中間の立場です。ですから、これを決定するためには、「私」自身が神様を中心として、「私は神側だ」ということを自ら確認したのち、最後には神様の愛を中心として、万物や民やすべての国を一つの基台の上で愛によって束ね、それを父母様がこの地に来られて神様のみ前にお返ししてこそ、神様の愛を中心とするその所有が初めて決定されるのです。

 

6 私たちは、サタンから物質を取り戻して神様のみ前にお返しし、体を取り戻してお返しし、心を取り戻してお返ししなければなりませんが、この心をお返しするためには、いくら変わらない理念があるとしても、ただ好きだからというだけではできません。その理念に深くしみ込んでいる心情問題に入っていき、心情が通じる場に立ってこそ、「神様であり私、私であり神様、神様の物であり私の物、私の物であり神様の物」と言うことができるのです。この心情を連結させるとき、今まで捧げてきた物質、体、心、すべてが一つに統一され、神様のみ前に最高の物として決定されるのです。そのために祭物を捧げるのです。

 

7 真の愛を中心として楽しく生きなければなりません。動物と話し、すべての万物と和合し、神様と和合しなければならないのです。そのようになれば、国境がありません。異なる文化ではないのです。愛の文化です。愛の文化は趣味文化なので、趣味生活が愛なのです。自分が妻を愛し、息子、娘を愛することを、世界版図で行うことができるのです。すべて自分の家庭を拡大した文化祝典の対象圏です。そこに参加して楽しむ心情文化世界が、地上天国文化だというのです。趣味文化は、堕落していない本然の愛の文化です。趣味文化は、地上天国の文化だというのです。

 

8 これから農村に入っていって、趣味農場を営まなければなりません。ですから、汚染されていない物を自分の手で作り、食べて暮らすのを趣味生活としなければなりません。そのようにならなければ、公害のために世界が滅びるのです。趣味生活、趣味農業、趣味産業です!

先生は、趣味産業という言葉を今、新たに使っています。それは、利権のために語るのではありません。釣りをしても、魚を売ろうというのではありません。趣味でするので、魚を釣っても小さな魚は放してあげるのです。自分一人で食べるのではありません。分けて食べるのです。これが趣味だからです。

 

9 今後、産業は、レジャー産業になります。これからの技術産業時代は、オートメーション技術によって人間が働かない時代です。そのような時が来ます。今もそのようになりつつあるのです。人がボタンさえ押せば、機械が仕事をするのです。何千人が作業をしていた工場で、三、四人いれば昼夜、生産品を提供できる時代が来るというのです。そのようになれば、これからどんな産業が起こるのでしょうか。それがレジャー産業です。

 

10 一生懸命に働いてきた人々は、年を取れば自然と共に暮らし、自然に逝かなければなりません。神様の愛を感じながら生き、神様の愛を感じて逝くことによって天国に入るのは、定められた道理です。趣味生活、神様がそれを好むのです。皆さんの趣味が創造と連結されるのです。すべての趣味の材料が私を待っています。それは疲れることがありません。趣味が重なり合い、自動的に神様の世界と近くなるのです。これが人間の願う最高の生活です。

 

11 趣味生活をしなければなりません。神様が創造した時、無理やり造ったのではありません。喜びを感じるように造ったというのです。創造の神様の立場を、私たちは再び感じなければなりません。誰かが「やりなさい」と言うからするのではありません。せずにはいられないのです。たとえ眠らなかったとしても、それはしなければならないというのです。そこに、どうしてお金が介在し、環境が介在しますか。

ですから、趣味生活、趣味産業、趣味研究などが、神様と共に喜ぶ中で一つになって行われたものであってこそ、神様に所有されるものとなり、神様が愛する息子、娘たちが愛用できるものになるのであって、そうでなければサタンのものだというのです。お金を目的に、これをするのではありません。

 

12 今後世界は、工場に行って働くことを嫌うようになります。これからは、旅行して暮らさなければなりません。今、世界の人々が忙しく生活しているのを見れば、かわいそうだというのです。ストレスがたまっていて、趣味というものがありません。人生に趣味がないのです。僕になっています。すべて道具のようになっています。そこには、何の趣味もなく、自分という意識もなく、機械の動作のように生きているのです。一生の八〇パーセント以上を、そのようにして生きるのです。ですから、今後は趣味産業を開発しなければなりません。レジャー産業ではありません。趣味産業です。

 

Luke Higuchi