天聖経: 第161話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第六篇 真の万物

第二章 宇宙の根本と秩序

第二節 宇宙の作用と存在原則30

第三節 宇宙の秩序と公法 1-10

30 世の中を見れば、すべて回るようになっています。力の作用が直線に伸びていけば、永遠に消耗です。神様が被造世界を創造された第一の原則的目的はどこにあるかというと、直線で進む力を回すためでした。したがって、世の中の道理は、回転する道理であり、それと同時に運動する道理なのです。

皆さんが化学を勉強しようとすれば、物質を研究、分析し、運動して作用するすべての現象を観察することになるのですが、その道理から外れた存在はないことが分かります。そのすべてが三六〇度を回っているのです。宇宙も回り、社会も回り、「私」の心も回っています。全宇宙の中心である神様の心情を中心として回れる人は、神様が回ればその人も回るでしょう。神様が回る限り、この宇宙も回るでしょう。神様が回れば私たちが回り、万物が回ることになるのです。

第三節 宇宙の秩序と公法

 

1 私たちが住んでいるこの地球は、太陽の周囲を宇宙の法度に従って、変わることなく公転しています。地球自体もそうですが、太陽自体も自転しています。地球の百三十万倍にもなる太陽が、休みなく動いているというのです。宇宙には、このような太陽系の数千億倍にもなる広大な銀河系があります。このような銀河系を小宇宙と言うのですが、宇宙には銀河系のような星雲が数えきれないほど多くあるのです。これをまとめて大宇宙と言います。

半径だけで数千億光年にもなる途方もない大宇宙を造られた神様は、その大宇宙を変わることのない法度に従い、数億万年の間、動かしていらっしゃるのです。私たちが考えることもできず、感じることもできないほど偉大な力をもって、すべての天体を動かされるというのです。このような宇宙を造られた神様を思えば思うほど、私たちはその雄壮さと偉大さに、自然と頭を下げざるを得ません。このような大宇宙を創造されたその方が、私たちを守ってくださる父であり、私たちを保護してくださる神様であり、実存なさる偉大な主人公だというのです。

 

2 大宇宙を見れば、宇宙は無秩序になっているのではありません。単位を構成する公式の上に、宇宙は動いているのです。ですから、千年、万年動いても、間違うことなく動くのです。今日の科学の発達も、公式上の発達です。数学を通してすべてのものを解いていくのも、公式を連結させて解くのと同じように、科学文明は公式上において発達するのです。公式とは、単位の完成です。単位を連結しなければなりません。それは出発と終わりが完全に連結され、合わなければなりません。数学の問題を解くときも、多くの公式を通じた結論は、本然において提示した理想の道と、解いて戻っていくものがすべて合わなければならないということです。

 

3 宇宙は、漠然とできているのではありません。秩序があります。このような内容をもって循環運動をしているというのです。運動は、数多くの形を備えて行われますが、そこにも一つの主流があります。それが大きな川を中心として見てみるとき、支流と主流が同じ立場で運動しているのです。大宇宙も一つの軸を中心として、主流のような流れに従って運動するというのです。ですから、終着点に立ったこの世界、この宇宙は、一つの目的を中心として動くという結論を下さざるを得ないのです。

 

4 神様は、絶対的な方でなければなりません。唯一、不変、永遠でなければなりません。その方が定めた法度は、絶対的でなければなりません。ですから、この宇宙はその法度に従って、千年、万年、何億万年、運動を続けるのです。微生物の世界や植物の世界も、そのような科学的公式法度による基盤の上に存続するのです。したがって、数学ですべて解けるのです。微生物もそうであり、植物もそうであり、大宇宙の運行するすべてのものも、法度の上に立って永遠の軌道に従って存続することを願うのに、万物の霊長である人間がいい加減に、思いのままに行動するようになっているのだろうかというのです。そのようにはなっていないのです。

 

5 広く限りない大宇宙は、一つの公式原理を通して運動します。公式は単位を通して、単位を結束させて成立します。この宇宙は、公式を土台とした形式を通して創建された世界なので、公式にきちんと当てはまるのです。ですから、数学で解けるのです。電気も数学で解くでしょう。数学は、公式を活用して解いていくのです。公式は単位がなければなりません。一、二、三という単位を通して出てくるのです。ですから、単位が合わなければならず、公式に合わなければなりません。そうでなければ、正しい答えが出てこないのです。

 

6 自然界やこの世界の動きを見ても、無限で広大な大宇宙を見ても、私たちは目にできませんが、すべて宇宙の公法によって変わることのない回転運動をしながら、軌道に従って永遠に存続しています。夏が過ぎれば秋が来て、秋が過ぎれば冬が来ることを誰が分かったでしょうか。冬になれば、また春が来ることを誰が知っていたでしょうか。宇宙は自分の行く道に従って、春夏秋冬、軌道を自ら合わせ、自転しながら自存しているというのです。

 

7 宇宙は家庭を拡大したものです。家庭を見れば、上中下があり、左右があり、前後があります。これが原則です。ですから、上下と言うときは父母と子女を意味し、左右と言うときは夫と妻を意味し、前後と言うときは兄弟を意味するのです。このような全体が、何によって一つになるのでしょうか。力や知識やお金ではありません。それでは、どのようなものでできるのでしょうか。愛です。愛も、普通の愛ではありません。真の愛です。それは間違いのない真理です。そうでなければ球形になりません。それでは、家庭における上中下とは何でしょうか。愛の教材です。宇宙の愛に接することのできる愛の教材です。それと同じことを、社会に出てしなさいというのです。

 

8 愛の法を立てるために宇宙があると考えるとき、この世界がどのくらい一定に変化するでしょうか。春の季節に「チュンチュン」と鳴くすずめを見るとき、「いやあ、私たち夫婦がすずめより優れているだろうか」と考え、つばめが餌をくわえて自分の子供に食べさせるのを見るとき、「いやあ、子をあのように愛してあげるのが原則なのだな」と考えなければなりません。すべて同じ法です。

その母親が、おなかいっぱいでもう食べることができないので、子たちに食べさせてあげるのでしょうか。自分がおなかをすかせていても、餌をくわえて食べさせるというのです。人間世界において、このような愛の公法をどこで見つけることができるでしょうか。先生からも見つけられず、国王からも見つけられず、夫からも見つけられず、妻からも見つけられないのですが、それでも父母が子女を愛するところにだけは、それが残っているというのです。神様が人類を愛するその愛が残っているからです。ですから、父母が子女を愛する愛にだけは、それが残っているのです。

 

9 人がいくら優れていると言っても、春夏秋冬、四季に順応しなければなりません。冬なのに、「ああ、私は夏が好きなので、からむしの上着とチマチョゴリを着なければならない」と考えていては、死んでしまいます。歩調を合わせなければなりません。春になれば春の服を着なければなりません。着替えなければ支障をきたし、破綻が起きるのです。冬になれば冬の服に着替えなければなりません。

同じように皆さんが天地の法度、天理の法度に対して、その環境と境遇において順応するだけでなく、合わせることができてこそ、天理の保護を受けるようになるのです。そこで生き残ってこそ、生命体として永遠の宇宙の前に主体性をもてるのです。

 

10 宇宙は、運動の法則、力の作用の原則によって始まりました。すべてのものは宇宙の拍子に合う天運の法度に合わせていきます。その天運の法度に合わせていくのが何かというと、四位基台の法度です。ですから、私たちは、この四位基台の法度に自分を一致させ、四位基台の法度を擁護しなければなりません。

しかし、その結果が十分でなければ、不合格者になるのです。言い換えれば、夫婦の間でいくら良く授け良く受けるとしても、結果的存在である子女がいなければ不幸なのです。なぜなら、宇宙の法度と原則が四位基台を中心として回っているのに、三位基台しかできなければ、永遠に回る四位基台の法度に反することになるからです。そのようになれば、神様と距離が遠くなるので、自然と悲しくなるのです。

Luke Higuchi