天聖経: 第155話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第六篇 真の万物

第一章 万物創造とその意味

第三節 自然探求と自然の教訓 2-12

自然に没頭した幼少期

2 先生が幼かった頃、山に通いながら花という花で、観察していないものがありません。知らない花がないのです。自然がとても好きで、家にも帰らず、日が暮れるまで自然と戯れて駆け回り、疲れてそのまま寝てしまうと、夜の十二時になって父と母が捜しに来て、連れて帰ることが多くあったのです。自然がそれほど好きだったのです。

 

3 山で見かけるすべての鳥は、先生がすべて鑑定しました。渡り鳥が来れば、雄、雌がどのようになっているのか知りたくなるのですが、それが分かる本がないのです。ですから、仕方なく、渡り鳥を探しにいって研究するのです。一週間、御飯も食べずに待つのです。そうして渡り鳥が現れれば、それについていって穴を探し、巣を見つけて卵がかえるのを見ては、「ああ、あの鳥はああいう卵を産んで暮らすのだなあ」と確認するのです。そうしてこそ気持ちが楽になったのです。

 

4 先生の家の前庭には大きな木がありました。かなり大きな木だったのですが、そこにかささぎの巣がありました。一度、かささぎが卵を産んだのですが、毎日のようにそれが気になるのです。それをはっきりと知るまでは、夜眠ることができません。夕方、かささぎの巣がある所に登っていって見つめ、また早朝から、かささぎが出てくる前に、登っていって見るのです。

そのように登っていると、卵を一つ産み、二つ産み、三つ産み、毎日卵が増えていくのです。毎日のように登ったり下りたりしたところ、かささぎと親しくなりました。初めは「カッカッ」と大騒ぎしたのですが、毎日のように登ってきても支障がないので、騒がなくなったのです。そのようにして、何を獲ってひなに食べさせ、何をするのかを観察しました。

 

5 かささぎは枝で大きな巣を作ります。中は泥を塗って丈夫にし、風が吹く方向をすべて知って穴を開けておきます。最初にその巣のある所に登ったときは、どれほど大騒ぎしたか分かりません。しかし、一度登り、二度登って、卵を産むのを目にしました。毎日のように朝と昼、一日に二回は登るのです。一番初めは大騒ぎしますが、一週間そのように登ってきても自分には何の害も加えないので、大騒ぎしなくなるのです。

ところが、雨が降る日は登ることができません。雨の降る日が二日、三日続いて登ることができず、ようやく階れた日になって登っていけば、どれほど喜ぶか分かりません。「カカカッカカカッ」と鳴きながら、登ってこいと信号を出すのです。親しくなれば、通じないものがないのです。神様よりも、神様が造ったものをもっと愛せばどうでしょうか。作家が作った物や作品、絵のような美術品を見て、作家よりもっと愛せば、その主人も引っ張られてくるというのです。神様も同じです。神様が造った自然を愛せば、神様が訪ねてこられるのです。「こうしてこのようになった」ということをすべて教えてくれるというのです。自然はそのように貴いものです。

 

6 先生が幼かった頃、先生の部屋の前に柿の木がありました。トイレの前にあった大きな柿の木なのですが、その色がどれほど青々としていたか分かりません。柿の木の葉は、非常に潤いがあります。そこにひぐらしがいたのですが、村ではそこが一番高い所です。そのひぐらしが、高い所で鳴かなければならないことをすべて知っているのです。高い所で鳴いてこそ、その効果が出るのです。その鳴き声を聞けば、あるときはどれほど気分が良いか分かりません。どれほど涼しいか、一度聞いてみてください。そこには、縫い物をする女性たちが、暑さを忘れ、手を止めて引き込まれるような境地があるのです。

 

7 アカシアの花に蜂が留まって頭を押し込み、お尻を上に持ち上げて吸っているとき、ピンセットでお尻を引っ張ると、お尻がとれても口を放さないというのです。そのようなことを見れば、どれほどすさまじいでしょうか。体がとれるほど引っ張るほうもひどいですが、その味を知って放すことができないというのは、もっとすさまじいのです。先生はそれを見て、「いやあ!これは私が教えられた。私もこのようにしなければ」と思ったのです。

 

8 海に行けば、どんなことでもすべてできます。海の底には、どんなかにが棲んでいて、どんな魚が棲んでいるかを知っているというのです。先生の故郷からは海が遠いので、海を学ぶため、夏休みのようなときに毎日、海に通うのです。うなぎを捕まえ、かにも捕まえるのです。そのようにしながら、ありとあらゆる所をすべて探し回ります。そしてはっきりと分かれば、その次には釣りをします。どんな魚がどこに棲んでいるかを知り、魚を捕まえるのです。うなぎのようなものを捕まえることにおいては、先生がチャンピオンです。

 

9 夏休みのときは、一日にうなぎを四十匹以上、毎日捕まえました。うなぎは深い水の中にいますが、ただ身を伏せているのを嫌うのです。自分を保護できる穴を探して入っていきます。頭や尾が出ていようと、体を覆うことさえできれば安定感を感じるのです。生理的、生態的にそのようになっています。かに穴のような所を見れば、そこにいます。そのような穴を見れば分かるのです。それに関しては既に専門家になっていました。

 

10 雌鳥がひなをかえすために卵を抱いているのを見れば、目をじっと開け、足で卵を転がしながら一日中座っています。そのようにしていると、おなかに生えている毛がすべて抜けてしまうのです。毛が抜けるほど座っているのですが、それは気分が良くて座っているのでしょうか、気分が悪くて座っているのでしょうか。先生は幼い頃、本当に好奇心が旺盛だったので、それを毎日のぞき込みました。最初は追い払おうとしていましたが、一日に三度以上のぞき込むので、「またか」と言って、おとなしくなりました。

硬い卵を抱いているのを見れば、その姿勢は「天下の誰も触れさせない」と言っているかのような姿です。自分に危害を加える者は誰であっても赦さないという、大王の権威をもってにらむのです。雌鳥の権威には、雄鳥も勝手にできません。雄鳥に卵を抱かせれば、三時間もせずに逃げ出すでしょう。雌鳥が卵を抱いているのは、愛の力なのです。

 

11 大きな木には間違いなくかささぎの巣があります。かささぎは告鳥だと言います。かささぎが「カッカッカッ」と鳴けば、良い知らせが来ると言います。かささぎの生態を見れば、本当におもしろいのです。

かささぎの巣を見れば、「ああ、今年は風がどこからどこに吹くのだなあ」ということが分かります。東風が吹きそうであれば、出たり入ったりしながら、それに備えて穴をぽかりと開けておきます。また木の枝を集めてきて巣を作るのを見れば、誰が教えてあげたのか、傑作を作るのです。これは枝を編んで作るので、雨も入り込んできます。ですから、あとですべて泥を塗るのです。風が入ってこないようにしておき、枝の先を、雨が降っても雨水が家に入らず、一カ所に流れていくようにしておくのです。先端をできるだけそうやって集めておき、雨が降れば雨水が巣の外側に落ちるようにするのです。これを誰が教えてあげたのか、本当に驚くべき腕前です。

 

自然から学ぶ真の愛の教訓

12 万物のことを考えれば、真の父母と神様の愛が現れる、その時のために準備していることを発見します。鉱物も愛し、植物も愛するというのです。蝶と蜂、動物など、すべてが愛を中心として結びついています。

香りを出し、花を咲かせ、音を出すすべてのものが、万物の愛のための象徴的表示です。蝶と花には、どんな関係がありますか。蝶は花を探し回り、花は美しさを万物の前に表しています。宇宙に拍子を合わせるために、戯れながら存在しているのです。

神様が愛を中心としてこのような宇宙を創造したことを考えてみるとき、私のためにこのように造られたその庭園と調和の博物館が、どれほど素晴らしいかというのです。夏に、せみがペアになって音を出し、鳴いて拍子を合わせるのは、愛の歌を歌っているというのです。それがすべて教科書なのです。

Luke Higuchi