天聖経: 第119話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第五篇 真の家庭
第一章 神様のみ旨から見た真の家庭
第四節 家庭は幸福の基台 1-11
第四節 家庭は幸福の基台
1 私たちは、心情を離れては生きることができません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なあらゆる権威を備えているとしても、心情的な喜びを表示する所がなければ生きることができません。自分が率いる人々や閣僚たち、あるいは追従する人々からは、心情的な満足を感じることができません。
それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通して喜びを感じ、また子女を通して喜びを感じることができなければなりません。そうして、その喜びをほかの人々に誇ることができなければなりません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭がない神様は喜ぶことができません。結局、家庭がなければならないというのです。
幸福の基地は家庭
2 家庭は良い所です。父母がいるので良い所であり、兄と姉がいるので良い所であり、弟と妹がいるので良い所です。人間ならば誰でも、自分の家庭のある本郷の地、故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷を一層思うのです。大韓民国に住みながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、「私」の心情を四方に、立体的に引き上げてくれる所です。その心情は愛で結びつくものです。上には父母が結びつき、左右には夫婦が結びつき、下には息子、娘が立体的な愛でしっかりと結びついている所が本郷です。人間は愛を中心とした幸福を最高のものとして望むので、本郷を懐かしく思わざるを得ません。
それでは、神様の本郷とはどこでしょうか。神様の家庭が整えられる本郷の基点とは、神様が父であることを知る息子、娘がいる所です。すなわち神様の愛を独り占めできるひとり子がいる所なのです。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して完全な家庭を成す所なのです。
3 「統一原理」と創世記を見れば、すべての万物は人のために造られたとなっています。また、私たちが望む理想世界も、人のためにあるのです。ですから、人を愛し、人のために生きようとする世界が天国です。天国がほかにあるのではありません。人のために生き、人を愛そうとする人々が暮らす世界が天国です。
それでは、人のために生き、愛そうとする、そのような所とはどこでしょうか。自分自身を中心として見てみるとき、人を愛し、自分自身を高めることができる所は家庭です。父母の日で子女を見るとき、その子が聞き分けのないいたずらっ子で、一から十まで誇るに値することが一つもなくても、父母はその子を誰よりも愛します。家庭は、愛に満ちた所であり、自分を高めることができる所です。自分の価値を無限なものとして現し得る所です。そこは幸福な所なのです。
4 家庭は、万古不易(ばんこふえき)(永久に変わらないの起源であり礎です。これは父も変えることができず、兄弟も変えることができず、どの国も、いかなる制度でも変えることができません。また世界的にも変えることができず、神様も変えることができません。ですから、家庭には永遠に革命という言葉が必要ありません。家庭は愛の場所なので、革命が必要ないというのです。男性が女性を、女性が男性を愛することにおいては、昔、祖父母が若かった時に互いに慕い合っていたことも、今日、現代の若者たちが互いに慕い合うことも変わりはありません。同じです。思春期の時に感じるものは同じです。
しかし、家庭を築く基礎は千態万象に変わっています。愛する心は同じなのに、家庭としてのその形態は変わっています。これは結局、滅びてしまうようになっています。革命の要素を加えることのできない礎として築かれた家庭は、いかなる主義や思想にも吸収されません。むしろ主義や思想を治め、凌駕します。このような基準が立てられた家庭は、十年、百年、千年たっても永遠に変わることはなく、民族と国家の形態を維持するようになるのです。
5 皆さんの幸福の基地は、国でもなく、世界でもなく、皆さんの家庭です。皆さんの理想も、世界ではなく、皆さんの家庭です。ですから、その家庭の中に理想的な人間がいなければならず、その家庭の中に理想的な愛がなければなりません。そのような家庭があるとすれば、その家庭の父は理想的な父であり、母は理想的な母です。そして、息子も理想的な息子であり、娘も理想的な娘です。また私たちは、理想的な家庭の礎だというのです。ですから、理想的な家庭をつくらなければなりません。
6 人にとって幸せな環境とは、どのようなものでしょうか。幸せな環境にある人とは、父母の愛を受けられる立場に立った人です。その次には、夫婦の愛を互いに授け受けできる立場に立った人です。その次には、子女を愛せる立場に立った人です。その次には兄弟の愛が分かる立場に立った人です。そのような内容が分かってこそ、国家と世界を発展させることができます。したがって、幸福の母体になることができるのは、完全な家庭の円満な父母と夫婦、そして子女を中心とした愛の基盤なのです。
7 私たちは、家が絶対的に必要です。完全な幸福の根拠地である家を離れては、国も、世界も、いかなる目的も成立しません。私たちは、神様が望む家を中心とした父母、夫婦、兄弟にならなければなりません。幸福の要因や願望の要因も、家を中心として国家と世界に広がっていきます。神様が望む出発点と決着点は家です。
しかし、私たちは神様が理想とする家を築くことができませんでした。むしろ破滅と不幸に近づいているのが、私たちが暮らしている家だというのです。最高の幸福の根拠地である家が絶望の根拠地になり、不信の根拠地になるとは誰も知りませんでした。神様は、これを蕩減復帰するために、今まで役事(働き)してきました。そのような家庭的な不幸は、アダムとカインの時から始まったのです。
8 私たちは、良いものがあれば誇りたいと思い、宣伝したいと思います。宣伝したいというのは、関係を結びたいということです。なぜ宣伝や自慢をするのでしょうか。「あなたもこのような関係を結びなさい!」というのです。
人にとって一番良いものとは何でしょうか。父母が一番良く、その次には「私」であり、その次には子女です。このようにして歴史が継承されます。このような内容が集約された所とはどこでしょうか。私たちの生命を結びつけ、生命に連結されたその環境を中心として愛が花咲く根拠地が家庭だというのです。
9 家庭は、一つの代表的な人間が暮らしているモデルです。いかなる人も家庭の基盤を通して人生の道を整え、そこで生み、それを中心として東西南北を往来し、上下を往来しながら生き、そして逝くのです。このように見るとき、家庭の幸福を得ることができなかった人は、国の幸福を求めることができません。いくら国を求めたとしても、国のどこに住みますか。自分が行くべき所がなければ不幸なのです。家庭に行ってこそ、父母がいて、家庭に行ってこそ夫や妻がいて、そして家庭に行ってこそ子女がいるのです。
10 ある人は、「会社に行っても愛を探すことができる」というかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結された所です。また、政治の分野は、人同士が自分の権益を得る所です。そして、宗教も、神様を見いだすありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。それで神様を見いだすことはできますが、愛は見いだせません。真の愛は、家庭で探さなければならないのです。いくら会社に出ていってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭のない人は不幸な人です。また、いくら政治の分野に進出して大統領になったり、国会議員になったりしたとしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭がなくなるときには、不幸な人です。有名な牧師になり、立派な霊的指導者になって教会の信者から愛を受けるといっても、その愛だけでは駄目です。その愛よりも深く、さらに中心的な愛の場を求めようとすれば、それは家庭しかありません。
11 世界をいくら統一したとしても、自分の家庭を統一できない人は不幸な人です。愛の理想は、家庭から実現しなければなりません。家庭は幸福の巣です。ですから、天国は家庭から始まります。この地上に天国をつくるために来られたイエス様が「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」という立場で語られたのも、家庭を標準として語ったのです。
家庭は愛で結ばれています。愛で一つにすることができます。愛は変わることがないので、祖父母の愛が一つになることができ、父母の愛が一つになることができ、夫婦の愛が一つになることができます。愛には統一性が介在しているので、一つになることができます。また、愛には生命あ動機が伴っているので、祖父母の生命が連結されるのです。また理想がここに連結されるのです。祖父母は父母に相続します。すなわち子女に相続するのです。祖父母の子女は父母であり、父母の子女は私たちです。このような愛を中心とした所が天国なのです。