天聖経: 第131話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第五篇 真の家庭

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

第四節 祝福家庭の歴史と意義 49-51

第五節 祝福家庭の責任と入籍 1-7

49 皆さん既成家庭は、来婚の男女が祝福を受けた家庭以上の家庭になることができなければ、祝福を受けた既成家庭の面目を立てることができません。神様のみ旨の中に、エデンの園で既成家庭の祝福がどこにありますか。この者たちを生かすために、先生がぼろぼろの看板をすべて縫い合わせる門を開いておいたのです。それが、三十六家庭で既成家庭を祝福したものです。

 

50 皆さんが独りで独身祝福を受けることより、二人が地上で祝福を受けるほうが福です。本来、祝福は独りでは受けることができません。本来、エデンの園での祝福は、女性の前には男性が、男性の前には女性がいなければなりません。創造理想から見るとき、男性と女性が神様のみ前に祝福を受けるのが原則です。ですから、この独身祝福は非正常的です。

皆さんが独身で祝福を受けるようになれば、将来、霊界に行って皆さんが相対を選択できる権限をもつようになります。女性たちが先生を通して祝福を受ければ、数多くの霊人たちの世界において男性を選ぶことができます。ですから、霊界に行って、このような式をまたしなければなりません。そのようなことを、地上で真の父母様の名によって許諾を受けるのです。

霊界の数多くの霊人たちの中には、今まで、相対がいて、結婚した霊人がいません。結婚というものは、真の父母から真の子女として生まれてするものなのですが、霊界に行っている霊人たちは、地上で真の父母を通して生まれていません。サタン世界の血統を通して生まれたので、結局、真の父母を通して接ぎ木することによって、新しい血族として登場することができるようになるのです。地上にいる皆さんと霊界にいる未来の新郎、あるいは未来の妻と、そのような関係を結ぶことができるという条件をかけて祝福を受けるのです。

 

51 独身家庭を祝福すれば、霊界にいる自分の相対者を中心として結婚することができる時代も来ます。国家的基準を越え、世界的基準を越えて霊界に行って、初めてその時代を中心として祝福を一緒に受けることができるのです。今まではそれが不可能でした。既成祝福を受けるときは、本来はすべて分かれて、それから祝福を受けました。今からは一緒になって受けなければなりません。地上でそのような恵沢を受けるので、一双を祝福すれば霊界の祝福までするので、共に一元化同位圏に立っていることによって、地上で霊界にいる相対と祝福を受けるのです。

第五節 祝福家庭の責任と入籍

 

1 皆さんの家庭の中心は、真の父母です。エデンの園で真の父母と共に暮らす家庭をつくることができませんでした。皆さんがそれを復帰しなければなりません。そのようにしようとすれば、父母様の命令に絶対的に従わなければなりません。父母様の前では、皆さんの意見はあり得ません。皆さんに個人的な概念がなくなることによって、初めて真の父母の名が皆さんの家庭に定着し始めるのです。そうでなければ、理想的な家庭を復帰することができません。これは先生の考えではなく、本然的な神様の創造の概念です。

 

2 堕落したアダムとエバを中心として、カイン、アベル、セツと彼らの相対を含んだアダム家庭の八人家族がみな落ちていってしまったので、神様のみ前に蕩減条件を立て、再び完成級に向かっていかなければなりません。そこでは父母の愛を感じなければなりません。生命は父母の愛を通して生まれます。このような生命の価値を世界の何よりも尊重できる立場を経てこそ、新しい道を行くことができるのです。

 

3 今の個性完成は、完全な全体個性完成になっていません。条件完成です。復帰過程での条件完成だというのです。それで、彼らが父母の立場に立っていますが、神様の心情圏を知りません。自分の妻は宇宙と取り替えることができず、夫は宇宙と取り善えることができないということ、天地を支えて二人が愛するところに行くことができる偉大な力があることを体験できなかったというのです。

ですから、祝福を受けた家庭は、この堕落圏を通り抜ける時までは、条件完成圏内に立っているというのです。天国完成圏ではなく、条件完成圏です。条件完成圏にいるので、ここで生きてから霊界に行けば、異なる手続きをしなければなりません。その手続きを済ませて、完成的完成をしたといえば、通行券をもらって天国に入るのです。

 

4 神様が許諾した真の自由は、責任性を前提とします。もし、責任性なしに個々人が愛の自由ばかりを主張して実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を成し遂げるべき人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。

その責任性は、次の三つとして考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修養、自己管理で自由な真の愛の主体者になる責任です。人において愛の責任性は、法や世間体ゆえに守られるものではなく、神様との生命的縦的関係の中で自己主管、自己決断で守られるのです。

第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子女の間の縦的な愛の関係と異なり、分けられれば、もはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間で絶対的な愛の一体を形成するようになっている創造原理のためです。人は絶対に自分の相対のために生きなければならない愛の責任性があります。

第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は、父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合し一体となった父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的要素を提供することです。家庭が貴い理由はこのためです。生活の経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真の家庭以外、そのどこからも得ることはできないのです。

 

5 生殖器を、盲人のように方向を失ったまま使えば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の基準に合わせて使えば天国の高い所に行くのです。整然とした結論です。今、青少年の問題が深刻です。エデンの園でアダムとエバが青少年期に淫乱で堕落し、フリーセックスを植えたので、収穫期である終わりの日には、必ず世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。

 

6 愛の器官をむやみに扱えば罰を受けるようになっています。それは愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛はそこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源がそこから形成されるというのです。神様の笑顔の根本がそこから出発するのです。愛を求めて神様が踊りを踊ることのできる場が、その場所です。その場を訪ねていかなければならないのです。

 

7 国がなければ国籍がありません。国がなければ入籍できる土台がありません。私たちは、民族を編成して、新しい入籍をしなければなりません。この地上で天国を編成し、その国籍をもって、愛国、愛族の真の善の父母の血統を受け継いで勝利した息子、娘として、自分の一門、あるいは家族を率いて生きてから逝ってこそ、天上世界の天国に入ることができます。それが原理です。

Luke Higuchi