天聖経: 第92話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第四篇 真の人間

第一章 神様が創造された真の人間

第四節 真の人間の価値と神人一体 10-11

第五節 被造世界と人間の位置 1-10

第二章 人間の責任分担と堕落

 第一節 人間の成長と責任分担 1-3

10 先生が宇宙の根本を明らかにしていくときに最も苦心したことは、愛がどのように動き、どのように定着するのかという問題でした。愛は直短距離を通るというこの一言を知ることによって、すべてが解決しました。真の愛が天から地に訪ねてくるとき、どのような道を通って来るのでしょうか。最高の直短距離ですから、垂直です。これは垂直しかありません。愛が一番早く、直短距離を通るというとき、天上世界と地上世界の接着地は、完全水平の中で一点しかありません。絶対的に一つです。

 

11 神様は内的な神様であり、私たちは外的な神様になろうというのです。皆、神様になりたいという欲望があります。創造理想は四位基台の完成です。四位基台の完成は、アダムとエバが愛によって神様と一つになることです。上下、左右、前後に神様が入ってくるのです。そうして人間の愛と神様の愛を完成するのです。神人愛完成であり、一体です。

第五節 被造世界と人間の位置

 

1 人間は万物の霊長だと言いますが、霊長という言葉は、必ず中心に立って全体の価値を身代わりすることができてこそ、語ることができるのです。優れた人であろうと、そうでない人であろうと、人間は世界的な中心になろうとする欲望があります。無限の価値をもった中心になりたいと思うのです。ある存在があれば、その存在の中の最高の存在になりたいと思い、また絶対的な中心があれば、その中心と一つになりたいと思うのです。このように、より優れた価値と関係を結びたいと思うのが人間の心です。それは本来、人間が歴史時代の全体価値を代表する中心的価値をもっているからです。

 

2 神様が人間を万物の霊長として立てるとき、天地のすべての環境を代表したその中心として立てました。そのため、すべての人間は、宇宙の中心になろうと主張できる自主権をもっているのです。それは、猿の世界やライオンの世界、虎の世界にはありません。人間世界にだけあるのです。

 

3 人は万物の霊長だと言いますが、万物の根本となる霊長は神様です。人間には霊があります。人間はその霊の中の長であるため、結局、神様と直結させて霊長と言うのです。万物の霊長は、人間それ自体だけではなることができません。人間も被造物なのに、どのように万物の霊長になるのかというのです。

被造物とは相対的結果体です。被造物としてだけでは原因に通じることができず、原因を占領することができません。被造物は原因によって占領されるようになっているのです。人間が結果的存在であるのは間違いありません。霊長の長は、霊の中で中心であるということです。この言葉は本来、神様と人間が一つになった関係を指して語る言葉です。

 

4 動物と人間が違うのは何でしょうか。食べるのも同じで、寝るのも同じです。服を着たりすることは違いますが、そのようなことは同じだというのです。目と鼻の形、構造を見れば、大した違いがありません。人間は霊と肉が合わさって、一人の人間になっています。

しかし、肉的な生活、肉をもって生きる生活は、動物的な生活とあまり違いがありません。食べて寝て、また食べ物のために活動するのは同じなのです。

人間と動物の違いは、この宇宙世界において異なる価値をもたらす、貴い価値をもたらす者になるということです。貴い人というのは、肉的な人ではなく神霊的な人です。神霊的なほうが貴いというのは、肉的なものとは異なるということです。違わなければならないのです。

 

5 猿と人間は根本が違います。猿はただ食べて寝て、子を産むのが第一です。人間とは種が違うのです。人は自分を中心とするのではなく、他の人を中心として、より大きなものを中心として願いをもちながら生きるようになっているのであって、自分より低いものを願いながら生きるようにはなっていません。次元が違うというのです。人間は生まれたときから神様をあがめてきました。神様をあがめない種族はいません。神様を考え、人間がより良くなれる宇宙を思いながら生きてきたというのです。

 

6 皆さんは、子女を生み、お乳をあげながらかわいいと言いますが、誰のゆえにかわいがるのですか。それは天地に代わってかわいがらなければならないのです。この世界のゆえに、神様のゆえにかわいがらなければなりません。神様の愛に従った天倫の運勢は、世界を越えて天地を抱擁するために動いています。その関係を通して生まれた息子、娘を、自分を中心に愛するというのは許されません。子女を抱いてお乳を与える母親は、天地に代わって神様の愛する息子、娘を抱くという徹底した心情で、自分の息子、娘を抱かなければなりません。神様が願われるエデンで暮らせる息子、娘は、宇宙的性稟を備えた息子、娘でなければなりません。万物を主管しなさいと言われたので、主管者としての資格をもった存在でなければならないというのです。

 

7 皆さん自体は、天が全体を主管するその立場を身代わりし、万物の主管主を身代わりするその価値を現さなければなりません。そして、自分の日で「あなたが探そうとする一つの存在、全体を身代わりした本来の主管主自体として立てられたみ旨をすべて完成しましたので、神様、命令してください」と言うことができなければなりません。このような立場に立つことのできる一つの存在が、六千年間摂理しながら探し求めてこられた、神様の願う存在です。

 

8 人間は、和動の中心体です。和動するためには、絶対的な中心基準が決定されていなければなりません。多くの人が拍子を合わせようとすれば、ちょうど指揮者を中心に上下関係がよく連結されていなければならないのと同じです。この宇宙の和動の中心体が人間です。このような人間は、絶対的基準と一致した位置にいるので、その人がとどまる所に宇宙がとどまるのであり、存在世界がその人を中心として作用するのです。そして、その作用によって存在世界に力が生じるようになるのです。

 

9 人は大宇宙の縮小体です。皆さんが小宇宙です。大宇宙は被造世界です。作用の源泉、力の源泉は神様です。「私」は大宇宙の前に立った一つの小宇宙として、大宇宙の絶え間ない力の源泉になるその力が私の心に入ってくることにより、この大宇宙と相応する相対の価値をもっているのです。ですから、人間は宇宙の花なのです。

 

10 人は自分一人ではありません。宇宙共同の縁を総合した結実体として現れたのが人間です。このような人間には、万物を総合した形がすべて入っており、私たちの先祖から受け継いだ、数多くの先祖のすべての性質が投入されています。顔を自分の顔のように感じていますが、その顔になるまで数万年の歴史を経てきたというのです。数万年かけて先祖の血を受け継ぎ、そのようになったというのです。奇跡的な実体です。それだけでなく、その背後に天との縁がついてきたために、その人が残ったというのです。天から見るとき、無限の曲折を経て今日の自分がつくられたというのです。万物のすべての関係的存在が投入され、投影された実体が自分だというのです。

第二章 人間の責任分担と堕落

 

第一節 人間の成長と責任分担

 

1 アダムとエバが神様の愛を知り、神様と完全に一つになることのできる基準、神様の愛の中心基準と、アダムとエバの愛の中心基準が一点に集まらなければなりません。アダムとエバは横的な代表存在であり、神様は縦的な代表存在です。しかし、この三つが一致して、愛の球形が形成されなければなりません。内在的な核である神様の愛を中心として、外在的なアダムとエバの愛を中心に一つとなり、球形が広がらなければなりません。細胞にも核があります。核を中心として、主体と対象の基準が授け受けしなければなりません。それが形成されなかったので、歴史時代を経て、これを再び収拾しなければならないのです。

 

人間の責任分担と成長期間

2 人間の責任分担は、堕落していないアダムとエバにのみありました。真の父母が生まれたあとは、地上のすべての父母が抱いてくれるため、サタンが干渉できません。サタンが讒訴する何ものもないのです。堕落前には、アダムとエバにのみ可能なことでした。今まで歴史上においてアダムとエバの完成が実現されなかったため、この原則の影響は、すべての歴史過程に、全体分野にかかっています。そのため、堕落した世界の人間が真の父母が出てくることをどれほど待ち望み、霊界に行った霊人もどれほど再臨の日を待ち望んだかを知らなければなりません。

 

3 アダムとエバの前に置かれた責任分担は、一度誤れば億千万年の間、人間にとって癌(がん)となる恐ろしい落とし穴となります。このような責任分担を果たすべき立場にいるアダムとエバなので、神様はサタンの攻撃があることを予想し、「取って食べてはいけない」と警告したのです。それにもかかわらず善悪の実を取って食べたので、それを見つめる神様の心はどうだったでしょうか。そのような立場から外れていく瞬間にも、神様は「お前だけはそうしないだろう」と信じたかったでしょう。

Luke Higuchi