天聖経: 第113話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、
もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第四篇 真の人間
第四章 真の人間が行くべき生涯路程 14-15
第四節 真の愛の人生の道 12-18
12 祖父母は、年を取りながら、息子、娘よりも孫、孫娘をもっと愛します。皆さんも祖母がいる人は、父母の愛よりも祖母の愛をたくさん受けるでしょう。祖母の願いとは何かと言うと、孫、孫娘をかわいがることです。自分の家には何があるかというと、昔、自分が少年だったときから青少年のときを過ごした、そのような姿がすべてあるのです。その次には、結婚して息子、娘まですべているというのです。自分が一生を歩んできたものを、再び自分が実体として見ることのできる環境が広がるのです。
祖父になり、曽祖父になれば、東西南北をすべて備え、数多くの子孫を率いているというのです。その子孫がすべて愛でつながっているのです。それが多ければ多いほど福だというのです。愛から生まれ、愛によって流れていくようになっています。人生行路は、愛の道をつないでいくのです。ですから、愛のゆえに生まれた人生であることを否定できません。
13 私たちは刺激的な映画を好みます。よりおもしろく、より刺激的なものには、行ってはいけないと言っても、しきりに心が惹かれます。おもしろくて刺激的なものには、すべてのものが集まります。宇宙の中心的な変化無双の刺激的な母体があれば、その母体の前には、すべての万物が集まるようになっています。人間は言うまでもありません。元素もすべて作用しています。作用をしながら、高いものと一つになろうとするのです。そのような力があるため、宇宙創造が可能だったのです。
その高い所における刺激的な道は、与え合うことによって調和を形成する道です。そこで刺激を感じることができるのです。元素であれば元素自体が、運動しているという刺激を感じることができます。こうして、さらに次元の高い所に行こうとするのです。その刺激には、すべてのものを完全に同化させることのできる力があります。真の愛の力には、神様も我を忘れて酔いしれることができるのです。神様もふらふらになることを願います。私たちが神様に似たので、そのようになるのです。私たちも酔ってぼんやりとし、東西南北を見分けられないほど酔います。その酔った味は何かと比較することができません。ですから、真の愛に酔おうとするのです。
14 アダムとエバが成熟すれば、見えはしませんが、愛の主管を受けます。そして、縦的な頂上にいる神様が降りてきて、横的な立場の両端にいるアダムとエバの中央に来て立つのです。そのように、縦的な主体である神様が横的な位置の核にいるようになれば、アダムとエバはマイナスなので、プラスである神様と完全に一つになるのです。
その次には、縦的な核である神様も、愛するようになれば、じっとしながら愛するのではありません。人間も愛する人同士、抱き締めてキスをするときは、目を閉じて静かに口だけを合わせるのではなく、こすり、ぐるぐる回りながら揺れるのです。縦的な愛は神様の愛です。私たちが神様と同じように火がつけば、その何千度となる核の場に、神様が降りてきてぶつかるのです。
15 夫婦が愛するということは、神様を植えることです。本来、父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は、互いにもう一方の神様になります。そして、息子、娘は、また一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されれば皆が同じ体になります。
父母は、神様に代わる生きた神様であり、夫婦も神様の代わりであり、子女も神様の代わりです。このように、三代が真の愛を中心として神様の代わりの立場になるのです。それで父母、夫婦、そして子女も真の愛を必要とするのです。このように真の愛を中心に形成された家庭組織が、天国の基盤です。そのような基盤を形成しなければ、天国ができません。これが公式です。家庭とは、すべての現実世界の中心です。
16 家庭完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。この場合、神様は全体宇宙の父母として愛の複合的な中心の位置にいらっしゃいます。真の愛を中心として男性と女性が一つになり、理想的な夫婦となって家庭を築けば、彼らは神様に代わる立場に立つようになり、宇宙のすべてのものに連結されます。そのようになるとき、神様のすべてのものが自分のものになるのです。それはどれほど幸福でしょうか。ですから、私たちの心は万物を征服したいと思うのです。
男性と女性が合わさって、家庭、社会、国家、そして世界になるので、その男性と女性が中心になって築く家庭は、氏族のモデルにならなければならず、氏族は国家のモデルにならなければなりません。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭、氏族、国を訪ねていくことです。ですから、理想的な国が出てくるためには、理想的な家庭がなくてはいけません。
17 私たちは、愛によって生まれ、愛によって生きなければならず、愛の世界に向かって死ななければなりません。死は恐ろしいものではありません。死はお嫁に行くのと同じです。移動するのです。制限された人間の愛、抜け出ることのできない愛の限界圏から、時空を超越した無限の世界に移っていくのです。無限の世界に跳躍するというのです。
母親の腹中にいながら、母親の腹を蹴飛ばしながらも、もどかしいとは思いませんでした。そこにいながら、それが一番だと思ったのです。ところが、ふろしきが裂けて母親の腹の中から出てくるとき、安らかだったでしょうか。頭を見れば、頭が長いすいかのようになって出てきます。それはどれほど大変でしょうか。神様は本当に調和の王様です。頭が固い石のようであれば、最初の子女を生むとき、母親がどれほど死ぬような思いをするでしょうか。それがすいかのように伸びて度数を合わせられるようになっているので、出産が可能なのです。
18 霊界と宇宙が合わさったものを天宙と言いますが、真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願うのです。天宙を統一することができるのも、全体の家庭を理想化させて一つにできるのも真の愛です。人間が地上に暮らしていても、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかありません。
真の愛は人間や霊界だけでなく、すべてが好みます。ですから、真の愛をもった人は、動物も植物も好んで彼を主人として迎えようとし、いかなる存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとするのです。被造世界のあらゆる存在は、真の愛をもって生きる男性と女性に近づこうと努力し、彼らと共に生き、彼らにより主管されることを理想と思うのです。したがって、この世の中で最も貴いものは、真の愛をもった男性と女性、すなわち真の人間なのです。